1. 生涯
アレクサンダー・パリギンの生涯は、旧ソビエト連邦時代のカザフスタンで始まり、オリンピックでの栄光を経て、オーストラリアへの移住と国籍変更、そしてその後の競技キャリアへと展開した。
1.1. 出生と初期の経歴
アレクサンダー・パリギンは1973年4月25日に、当時ソビエト連邦の構成国であったカザフ・ソビエト社会主義共和国のアルマトイで生まれた。彼の本名はАлександр Владимирович Парыгинアレクサンドル・ウラジミロヴィチ・パリギンロシア語である。身長は180 cm、体重は75 kgで、近代五種競技選手として恵まれた体格を持っていた。
1.2. オーストラリアへの移住と国籍変更
1996年のアトランタオリンピックでの金メダル獲得後、パリギンの才能に目をつけたオーストラリアの元近代五種代表選手アレックス・ワトソンの勧誘を受け、パリギンは1997年に妻と息子を連れてオーストラリアへ移住した。この移住に際し、当時のカザフスタン大統領ヌルスルタン・ナザルバエフは彼にカザフスタンに留まるよう要請したが、パリギンはその要請を拒否した。その後、1999年にオーストラリア国籍を取得し、オーストラリア代表選手として活動を開始した。
2. 主な活動と功績
アレクサンダー・パリギンは、カザフスタン代表として、またオーストラリア代表として、国際舞台で顕著な活動を行った。
2.1. 1996年アトランタオリンピック金メダル
パリギンは1996年にアメリカ合衆国アトランタで開催された1996年アトランタオリンピックにカザフスタン代表として出場し、近代五種個人種目で金メダルを獲得した。この大会では、ロシアのエドゥアルト・ゼノフカとハンガリーのヤノシュ・マルティネクを破り、見事な勝利を収めた。この金メダルは、カザフスタン近代五種史上最大の成果として評価された。
2.2. オーストラリア代表としての活動
オーストラリア国籍取得後、パリギンはオーストラリア代表として国際大会に出場した。
彼は1994年広島で開催されたアジア競技大会にも出場しており、近代五種チーム種目で金メダル、個人種目で銀メダルを獲得している。
2000年にオーストラリアのシドニーで開催された2000年シドニーオリンピックでは、代表選考で脱落し、出場することはできなかった。しかし、2004年ギリシャアテネで開催された2004年アテネオリンピックにはオーストラリア代表として出場し、総合27位という成績を残した。
3. 論争と評価
アレクサンダー・パリギンのキャリアには、2008年北京オリンピック出場資格を巡る論争という重要な出来事が含まれる。
3.1. 2008年北京オリンピック出場資格を巡る論争
パリギンは2008年に中華人民共和国北京で開催される2008年北京オリンピックの出場権を当初獲得していた。しかし、彼の出場資格はイギリスチームによって疑問視された。この論争は、東京で開催されたオセアニア選手権での出来事に起因する。この大会では、馬インフルエンザの発生により、近代五種競技の障害飛越セグメントが中止されたため、パリギンがオリンピック出場に必要とされる最低限のポイント条件を満たしていないのではないかという疑惑が提起された。
これに対し、オーストラリアオリンピック委員会は当初、パリギンが必要な条件を満たしていると主張したが、最終的にスポーツ仲裁裁判所(CAS)が介入し、パリギンの北京オリンピック出場は取り消されるという裁定が下された。この裁定により、彼のオリンピック出場は実現しなかった。
4. 私生活
オリンピックでの活躍や国籍変更を経験したアレクサンダー・パリギンは、引退後もオーストラリアに居住している。
4.1. 現在の居住地
アレクサンダー・パリギンは現在、オーストラリアのメルボルンに居住している。彼は妻と息子と共にオーストラリアへ移住しており、引退後もこの地で生活を続けている。
q=Melbourne|position=right
