1. 概要
ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク方伯女カロリーネ(Caroline von Hessen-Rheinfels-Rotenburgカロリーネ・フォン・ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルクドイツ語)は、1714年8月18日にヘッセンのローテンブルク・アン・デア・フルダで生まれ、1741年6月14日にパリで死去した貴族女性である。彼女はヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト・レオポルトとエレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォールの娘であり、ブルボン家の支流であるコンデ家の当主、ブルボン公ルイ・アンリの二度目の妻として知られる。結婚後はフランス宮廷で「ブルボン公爵夫人」(duchesse de Bourbonデュシェス・ド・ブルボンフランス語)または「マダム・ラ・デュシェス」(Madame la Duchesseマダム・ラ・デュシェスフランス語)と呼ばれた。
彼女の生涯は、フランス宮廷における政治的駆け引きと、アンシャン・レジーム末期の社会情勢が交錯する時代に位置づけられる。特に、フランス国王ルイ15世の妃候補とされた経緯や、夫の失脚と復権、そして著名な親族がフランス革命という歴史的激動に巻き込まれるなど、多くの重要な出来事と関連している。本項目では、カロリーネの出自から結婚、フランス宮廷での生活、子孫、そして後世への影響に至るまで、彼女がブルボン公妃として果たした役割と、関連する歴史的背景を詳述する。
2. 幼少期と背景
カロリーネは、神聖ローマ帝国の主要な領邦国家の一つであるヘッセン方伯領の分家、ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク方伯家の出身である。彼女の幼少期は、この家系の歴史的背景と、厳格なカトリック信仰に彩られた環境の中で形成された。
2.1. 出生と家族
カロリーネは1714年8月18日、ドイツのヘッセン地方にあるローテンブルク・アン・デア・フルダで生まれた。彼女の父はヘッセン家のカトリック分家の当主であるヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト・レオポルト、母はレーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール伯爵夫人エレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォールである。彼女は10人きょうだいの8番目の子、五女として生まれた。この大家族の一員として、彼女は多くの兄弟姉妹と共に育った。
2.2. 幼少期と教育
幼少期のカロリーネは「評判の美少女」として知られていた。彼女の家系がヘッセン家のカトリック分家であること、そしてその血統の良さも相まって、フランス国王ルイ15世の有力な花嫁候補の一人として検討された。しかし、最終的に候補から除外されたのは、彼女の兄弟姉妹に女子が多く、さらに男子の中には口唇口蓋裂の障害を持って生まれた子もいたため、遺伝的な理由によるものとされている。この決定は、当時の王室における血統と健康に対する厳しい基準を浮き彫りにしている。
3. 結婚と宮廷生活
カロリーネの結婚は、彼女の人生の転機となり、フランス宮廷での波乱に満ちた生活へと繋がった。彼女はブルボン公妃として、宮廷内の複雑な人間関係と政治的状況に身を置くこととなった。
3.1. ルイ・アンリとの結婚

1728年7月23日、カロリーネはフランスのマルヌ県サリーでブルボン公ルイ・アンリと結婚した。当時、カロリーネは14歳の誕生日を迎える1ヶ月前であった。夫のルイ・アンリは、フランスの血統親王であり、ブルボン家の支流であるコンデ家の当主であった。彼は母を通じてルイ14世の孫にあたる人物である。ルイ・アンリはカロリーネよりも22歳年上で、この再婚時には既に片目の視力を失っており、若年期に彼に魅力を与えていたとされるすらりとした体型も失っていたという。ルイ・アンリの最初の妻は、カロリーネとの結婚の8年前に死去したマリー・アンヌ・ド・ブルボンであった。
3.2. フランス宮廷での生活
結婚後、カロリーネはフランス宮廷において「マダム・ラ・デュシェス」(Madame la Duchesseマダム・ラ・デュシェスフランス語)として知られるようになった。しかし、彼女の新婚生活は平穏なものではなかった。夫のルイ・アンリは1725年にルイ15世の失寵を被り、シャンティイ城の領地へ逼塞させられていたため、カロリーネは彼と共にこの郊外の城館で新婚生活を送ることを余儀なくされた。
1730年に夫が国王と和解し、夫妻は再び宮廷への出仕を許されると、パリのオテル・ド・コンデに居を構え、比較的静かに暮らした。結婚から8年後、夫妻は唯一の子であるルイ・ジョゼフ・ド・ブルボンをもうけた。
1740年1月27日、夫のルイ・アンリはシャンティイ城で死去した。奇しくもその同じ年、後に「サド侯爵」として知られる人物がオテル・ド・コンデで誕生している。サド侯爵の母であるマリー・エレオノール・ド・マイエ(1712年 - 1777年)はカロリーネの侍女を務めており、この縁戚関係がサド侯爵の誕生の場所と時期に影響を与えたとされる。
4. 子孫と親族関係
カロリーネは一人の息子をもうけた。また、彼女の親族の中には、後のフランスの歴史に大きな影響を与えた人物もおり、特にフランス革命期の重要な出来事と深く関連している。
4.1. 子女
- ルイ・ジョゼフ・ド・ブルボン(1736年8月9日 - 1818年5月13日):カロリーネとルイ・アンリの唯一の子であり、父の死後、次のコンデ公となった。幼くして両親を失ったため、その養育は放蕩者として知られる叔父のクレルモン伯爵に委ねられた。
4.2. 著名な親族
カロリーネの死後、彼女の二人の姪がフランス宮廷に入り、歴史の中で重要な役割を果たすことになった。
- ヴィクトリア・フォン・ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク公女**:カロリーネの姪にあたるこの女性は、1745年にロアン家の分家当主であるスービーズ公シャルルの三度目の妻となった。スービーズ公シャルルは、後に別のコンデ公と結婚することになるシャルロット・ド・ロアンの父でもある。
- サヴォワ=カリニャン公女マリー・ルイーズ**:カロリーネのもう一人の姪であるマリー・ルイーズは、1767年にフランスへ渡り、王家の支族の一人である若きランバル公ルイ・アレクサンドルと結婚した。彼女は後にマリー・アントワネット王妃の親友、そして女官長となる「ランバル公妃」としてフランス宮廷で大きな影響力を持つようになった。しかし、フランス革命の激化とともに、彼女は王妃との近しい関係ゆえに革命派の標的となり、1792年の九月虐殺の際にパリで革命暴徒によって非業の死を遂げた。彼女の死は、革命の恐怖とその残忍さを象徴する出来事の一つとして、歴史に深く刻まれている。
5. 死去
カロリーネは夫の死の翌年、1741年6月14日にパリで死去した。26歳という若さであった。彼女の遺体は、パリのカルメル・ド・フォーブール・サン=ジャック教会に安置された。
6. 祖先
カロリーネ・フォン・ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルクは以下の家系に連なる。
- 1. カロリーネ・フォン・ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク
- 2. ヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト・レオポルト
- 3. レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール伯爵夫人エレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール
- 4. ヘッセン=ローテンブルク方伯ヴィルヘルム
- 5. マリア・アンナ・フォン・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール
- 6. レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール侯爵マクシミリアン・カール・フォン・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール
- 7. ポリクセナ・キューン・フォン・ベラージ・ツー・リヒテンベルク伯爵夫人
- 8. ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク方伯エルンスト
- 9. マリー・エレオノーレ・フォン・ゾルムス=ホーエンゾルムス
- 10. レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール伯爵フェルディナント・カール(12番と同じ)
- 11. フュルステンベルク=ハイリゲンベルク伯爵夫人アンナ・マリア(13番と同じ)
- 12. レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール伯爵フェルディナント・カール(10番と同じ)
- 13. フュルステンベルク=ハイリゲンベルク伯爵夫人アンナ・マリア(11番と同じ)
- 14. リヒテンベルク・ウント・ガンデッグ伯爵マティアス・キューン・フォン・ベラージ
- 15. メッガウ・ツー・クロイツェン伯爵夫人アンナ・スザンナ
7. 遺産と歴史的背景
カロリーネの生涯は短かったものの、彼女はフランス宮廷という歴史の舞台で特定の役割を果たし、特にその親族を通じて後世の出来事に間接的に影響を与えた。彼女は直接的な政治的権力を行使したわけではないが、その立場と血縁関係は、彼女が生きたアンシャン・レジーム期の社会構造と宮廷文化を理解する上で重要な要素となる。
彼女の姪であるランバル公妃マリー・ルイーズの悲劇的な最期は、カロリーネの生涯が生きた時代の歴史的激動を象徴している。ランバル公妃がマリー・アントワネットの親友として宮廷の中心にいたこと、そして九月虐殺の犠牲となったことは、フランス革命が旧体制の貴族階級にもたらした壊滅的な影響を示す具体的な例である。この出来事は、単なる個人的な悲劇にとどまらず、革命の暴力性、そして人権や民主主義の理念が血なまぐさい混乱の中で形成されていく過程を浮き彫りにするものである。カロリーネの存在は、フランス絶対王政末期の貴族社会の閉鎖性、そしてそれがやがて来る大衆の時代の波にどのように呑み込まれていったかという、歴史の転換点における一つの窓を提供している。