1. 概要
ソティリス・カヤファス(Σωτήριος Καϊάφαςソティリオス・カヤファス現代ギリシア語、1949年12月17日生まれ)は、引退したキプロスのサッカー選手であり、キプロスがこれまでに輩出した中で最高のサッカー選手であると広く見なされている。彼はキャリアの大部分をオモニアで過ごし、キプロス代表としても活躍した。特に、オモニアでの在籍中にはヨーロピアン・ゴールデンブーツを獲得し、キプロスのサッカー史における不滅の金字塔を打ち立てた。彼のキャリアは、1974年のキプロス紛争による個人的な苦難と、それにもかかわらず成し遂げたスポーツにおける卓越した業績が特徴的である。本稿では、彼の生涯とキプロスサッカー界におけるその計り知れない影響に焦点を当てる。
2. 生い立ちと背景
ソティリス・カヤファスのサッカー選手としての輝かしいキャリアは、キプロス北部のミア・ミリアという小さな村での幼少期に端を発する。彼の初期の経験は、後のプロ選手としての成功の礎を築いた。
2.1. 誕生と幼少期
カヤファスは1949年12月17日に、ニコシア近郊のミア・ミリアで生まれた。幼少期については詳細な記録は少ないものの、この地域での生活が彼のサッカーへの情熱を育んだと考えられている。彼の息子であるコスタス・カヤファスも後にオモニアで活躍したサッカー選手となり、さらにその息子たち、すなわちソティリスの孫であるアレクサンドロスとソティリスもまた、それぞれオモニアとオリンピアコス・ニコシアでキャリアの初期段階にある。
2.2. 初期のサッカーキャリア
カヤファスは、地元のクラブであるプロオドスでサッカーを始めた。このユースクラブでの経験を経て、1965年にはキプロスの名門クラブであるオモニアに16歳で入団し、ユースチームに加わった。そして1967年、彼はオモニアのシニアチームでデビューを果たし、プロサッカー選手としての道を歩み始めることとなる。
3. プロ選手としてのキャリア
ソティリス・カヤファスのプロサッカー選手としてのキャリアは、主にACオモニアでの圧倒的な活躍と、サッカーキプロス代表としての貢献によって特徴づけられる。その道程は、個人的な困難を乗り越えながらも、数々の栄光を掴むものであった。
3.1. ACオモニア
カヤファスはキャリアの大半をACオモニアで過ごし、クラブの黄金時代を築き上げた中心人物となった。彼の活躍は、オモニアをキプロスサッカー界の支配的な存在へと押し上げた。
3.1.1. 初期と台頭
1967年にオモニアのシニアチームでデビューしたカヤファスは、すぐにクラブ史上最も得点力のあるストライカーの一人としての地位を確立した。しかし、彼の才能が真に開花したのは1970年代初頭からである。1971-72シーズンには、12得点を挙げ、自身初のキプロス・ファーストディビジョン得点王に輝いた。この得点数は、オモニアの3度目の国内リーグタイトル獲得に大きく貢献した。この時期、カヤファスはアンドレアス・スティリアヌー、パニコス・エフティミアデス、レオニダス・レオニドゥといった他のキプロススター選手たちと同様に、ファンにとっての伝説的な存在となった。当時は選手とファンの間に密接なつながりがあり、サッカーは砂利のピッチでプレーされ、選手への報酬もわずかなものだったという。
3.1.2. トルコ侵攻の影響と難民としての経験
1974年のキプロス・トルコ侵攻は、カヤファスの人生と彼の家族に壊滅的な影響を与えた。トルコ軍はキプロス北部を占領し、その中にはカヤファスの故郷であるミア・ミリアも含まれていた。彼自身も、他の20万人のギリシャ系キプロス人と同様に、家を追われ、キプロスの他の地域で難民生活を送ることになった。これは、故郷を奪われ、避難を強いられた多くのキプロス人が直面した深刻な人道危機の一例であり、カヤファスもその犠牲者の一人であった。
彼は一時的に家族とともに南アフリカへ移住したが、1年後にはキプロスに戻り、それ以来ニコシアで家族と暮らしている。南アフラリカ滞在中も彼はサッカーを続けたという。この経験は、単なる地理的な移動にとどまらず、彼が直面した社会的困難と、それでもなおサッカーを続けるという強い意志を示すものであった。
3.1.3. ゴールデンブーツと記録破りのシーズン
難民としての苦難を乗り越えた後、カヤファスはフィールド上で驚異的なパフォーマンスを見せた。特に彼のキャリアで最も生産的だったのは1975-76シーズンである。このシーズン、彼はリーグ戦で41得点を挙げ、ヨーロピアン・ゴールデンブーツを獲得した。これは、キプロス人サッカー選手がこれまでに獲得した中で最高の栄誉であり、現在に至るまで彼が唯一の受賞者である。カヤファスは「ゴールデンブーツの獲得は、私の人生で最も幸せな日の一つでした。ヨーロッパのサッカー選手にとって、これは非常に特別な栄誉です」と語っている。
彼は1976年と1978年にはキプロスのジャーナリスト協会によって「キプロス年間最優秀スポーツマン」にも選出された。カヤファスはその後もキプロス・ファーストディビジョンでさらに7回(1973-74、1975-76、1976-77、1978-79、1979-80、1980-81、1981-82シーズン)の得点王に輝き、合計で300近くのリーグゴールを記録した。特に1シーズンでの44ゴールという記録は、キプロスリーグにおける史上最多得点記録である。この間、彼は愛するオモニアを6度(通算では11度)のリーグ優勝に導いた。

ヨーロピアンカップでも彼の得点能力は発揮された。1979年11月7日には、アヤックスを相手に2ゴールを挙げ、4-0での勝利に貢献した。これは、2週間前のアムステルダムでのアウェイ戦で0-10と大敗した後でのホームでの大金星であり、カヤファスにとってオモニアでの最高の試合の一つとして記憶されている。その前のラウンドでは、ルクセンブルクのレッドボーイズを6-1で破った試合で4ゴールを記録し、このシーズンのヨーロピアンカップの得点ランキングで3位にランクインした。
3.1.4. 晩年と引退
カヤファスは1984年5月に現役引退を発表し、彼のキャリアに幕を下ろした。彼の現役生活は、オモニアの歴史上最も輝かしい10年間と重なっており、この期間にオモニアは7度のリーグチャンピオンシップを獲得した。彼はクラブを「私の第二の家族」と表現しており、その忠誠心と貢献は計り知れない。
3.2. 代表キャリア
カヤファスのクラブレベルでの成功は、キプロス代表での活躍には必ずしも反映されなかった。彼は代表として17試合に出場し、2得点を記録している。当時のキプロス代表は守備的な戦術を採用しており、またペレ、ヨハン・クライフ、フランツ・ベッケンバウアーといった世界の偉大な選手たちが活躍していた時代において、キプロスのような小国が国際的な舞台でゴールを挙げることは常に困難を伴った。しかし、ヨーロッパの小規模なチームの一員としてプレーしながらも、彼は2ゴールを記録したことは特筆に値する。
4. 栄誉と実績
ソティリス・カヤファスの選手としてのキャリアは、クラブと個人において数多くの重要な栄誉と実績によって彩られている。
4.1. クラブでの栄誉
オモニア
- キプロス・ファーストディビジョン:11回
- 1971-72、1973-74、1974-75、1975-76、1976-77、1977-78、1978-79、1980-81、1981-82、1982-83、1983-84
- キプロス・カップ:6回
- 1971-72、1973-74、1979-80、1980-81、1981-82、1982-83
- キプロス・スーパーカップ:5回
- 1979、1980、1981、1982、1983
4.2. 個人タイトル
- ヨーロピアン・ゴールデンブーツ:1975-76
- キプロス・ファーストディビジョン得点王:8回
- 1971-72、1973-74、1975-76、1976-77、1978-79、1979-80、1980-81、1981-82
- キプロス年間最優秀スポーツマン:1976、1978
- UEFAジュビリーアウォーズ(20世紀最高のキプロス人サッカー選手):2003
- キプロススポーツ協会20世紀最高のキプロス人スポーツ選手(陸上競技選手スタブロス・ツィオルツィスと共同受賞)
- ワールドトップスコアラー:1975-76
5. 遺産と評価
ソティリス・カヤファスは、キプロスサッカー史上最も偉大な選手であると広く認識されており、彼の業績はキプロスサッカー界に永続的な影響を与えている。特に、ヨーロピアン・ゴールデンブーツを受賞した唯一のキプロス人選手であるという事実は、彼の突出した才能と国際的な評価を象徴している。
2003年には、UEFAジュビリーアウォーズの一環として「20世紀最高のキプロス人サッカー選手」に選出され、キプロスサッカー協会からこの栄誉を与えられた。また、キプロススポーツ協会からは、陸上競技選手のスタブロス・ツィオルツィスと共に「20世紀最高のキプロス人スポーツ選手」の一人に選ばれており、これは彼が単なるサッカー選手としてだけでなく、キプロスのスポーツ界全体における傑出した存在であったことを示している。
カヤファスの名は、オモニアの黄金時代と同義であり、彼が残した記録と獲得したタイトルは、クラブの歴史に深く刻まれている。彼のキャリアは、逆境を乗り越え、スポーツを通じて国の誇りとなった一人の選手の物語として、今日でも多くの人々に語り継がれている。
6. 私生活
ソティリス・カヤファスは、引退後もキプロスサッカー界と家族の生活に深く関わり続けている。彼の息子であるコスタス・カヤファスは、父と同様にオモニアでプロサッカー選手として活躍し、クラブ史上2番目に多くの出場記録を持ち、複数のトロフィーを獲得した。コスタスは選手引退後、2014年から2015年にかけてオモニアの監督も務めた。
さらに、ソティリスの孫にあたるアレクサンドロスとソティリスもまた、現在それぞれオモニアとオリンピアコス・ニコシアでキャリアの初期段階にあり、カヤファス家はキプロスサッカー界に多世代にわたって貢献を続けている。カヤファスは、自身が「第二の家族」と呼ぶオモニア、そして自身の家族に対する深い愛情を示している。