1. 幼少期と背景
ヘルベルト・ツィマーマンは、1954年7月1日にドイツのラインラント=プファルツ州にあるエンガースで生まれた。彼のサッカーキャリアは、若くしてその才能を見出され、プロの世界へと進むことになる。
2. 選手経歴
ヘルベルト・ツィマーマンは、プロサッカー選手としてFCバイエルン・ミュンヘンでキャリアをスタートさせ、その後1.FCケルンでその名を確立した。キャリアを通じてフォワードからディフェンダーへとポジションを変え、その適応能力の高さを示した。西ドイツ代表としても重要な大会に出場し、そのキャリアの大部分を代表チームでの活動に費やした。ブンデスリーガでは通算204試合に出場し、22得点を記録した。
2.1. クラブ経歴
ツィマーマンのクラブキャリアは、FCバイエルン・ミュンヘンでの初期の経験と、1.FCケルンでの成功に分かれる。彼はもともと攻撃的な選手であったが、1.FCケルンでは守備の要としてチームを支え、複数のタイトル獲得に貢献した。
2.1.1. FCバイエルン・ミュンヘン
1972年から1974年にかけてFCバイエルン・ミュンヘンに在籍したツィマーマンは、強力な選手層に阻まれ、プロの舞台で出場機会を得ることはほとんどなかった。しかし、彼はチームの一員として、1973年と1974年のブンデスリーガ優勝、そして1974年のUEFAチャンピオンズカップ(当時の名称はヨーロッパ・チャンピオンズカップ)優勝を経験した。バイエルンでの出場はわずか2試合に留まり、得点はなかった。
2.1.2. 1.FCケルン
1974年、ツィマーマンは出場機会を求め1.FCケルンに移籍し、1984年まで在籍した。このクラブで彼は、チームの負傷者続出により、それまでのストライカーから中央ディフェンダーへとポジションを転向した。この新しい役割で優れたパフォーマンスを見せたことで、彼はこのポジションに定着することとなった。1977-78シーズンにはブンデスリーガとDFBポカールの両方を制覇し、クラブ史上初の二冠達成に貢献した。これは彼にとって、クラブレベルでの最大の功績である。
ケルンでは、元日本代表の奥寺康彦とチームメイトとしてプレーし、良好な関係を築いた。1976-77シーズンにもDFBポカールを獲得しており、1982-83シーズンにも再び同タイトルを獲得するなど、ケルンの黄金期を支えた重要な選手であった。1978-79シーズンにはUEFAチャンピオンズカップで準決勝に進出している。しかし、キャリア晩年は度重なる怪我に苦しみ、最終的に202試合に出場し22得点を挙げた。
2.2. 代表経歴
ツィマーマンは、1976年から1979年にかけて西ドイツ代表として活躍した。A代表では14試合に出場し2得点を記録し、B代表でも6試合に出場した。
彼の代表デビューは、1976年10月にウェールズ代表との親善試合でディフェンダーとして果たされた。1978年と1979年は彼にとって代表キャリアの絶頂期であり、この期間にほとんどのキャップ数を獲得した。1979年には、UEFA欧州選手権1980の予選でウェールズ代表とトルコ代表相手に重要な得点を挙げ、本大会出場に貢献した。これらの得点により、彼は欧州選手権1980の西ドイツ代表優勝メンバーに選出されたが、トルコ戦が彼の代表での最後の試合となった。本大会では、残念ながら負傷により出場機会はなかった。
その2年前、1978年にはアルゼンチンで開催された1978 FIFAワールドカップに西ドイツ代表として参加した。彼はポーランド代表戦に出場したが、ブエノスアイレスのエスタディオ・モヌメンタルで行われたイタリア代表との試合で、後半に負傷し途中交代を余儀なくされた。この試合は0-0の引き分けに終わっている。
3. タイトル
ヘルベルト・ツィマーマンは、そのキャリアを通じてクラブおよび代表チームで数々のタイトルを獲得した。
3.1. クラブタイトル
- ブンデスリーガ:
- 1972-73, 1973-74(FCバイエルン・ミュンヘン)
- 1977-78(1.FCケルン)
- UEFAチャンピオンズカップ:
- 1973-74(FCバイエルン・ミュンヘン)
- DFBポカール:
- 1976-77, 1977-78, 1982-83(1.FCケルン)
3.2. 代表タイトル
- UEFA欧州選手権:
- 1980(西ドイツ代表)
3.3. 個人タイトル
- キッカー誌選出ブンデスリーガ年間ベストイレブン:
- 1976-77
4. 評価と影響
ヘルベルト・ツィマーマンは、その多才さと粘り強さでドイツサッカー界に足跡を残した選手である。もともと攻撃的な選手であったにもかかわらず、チームの状況に応じて中央ディフェンダーとして見事に適応し、その新しい役割でも高いパフォーマンスを発揮したことは、彼の戦術理解度と献身性を物語っている。
特に1.FCケルンでは、1970年代後半の黄金期において不可欠な存在となり、ブンデスリーガとDFBポカールのダブルを含む複数のタイトル獲得に大きく貢献した。彼の貢献は、単なる得点や守備だけでなく、チーム全体のバランスと精神的な支柱としての役割も大きかった。また、奥寺康彦と共にプレーした経験は、当時のケルンを国際的な側面からも注目させる一因となった。
西ドイツ代表においても、彼は限られた出場機会の中で重要な役割を果たし、特にUEFA欧州選手権1980での優勝メンバーとして名を連ねたことは、彼のキャリアにおけるハイライトの一つである。度重なる怪我に悩まされながらも、第一線で長く活躍し続けた彼のプロフェッショナリズムは、後進の選手たちに大きな影響を与えた。ツィマーマンは、そのユーティリティ性と勝利への貢献度から、ドイツサッカー史において記憶されるべき選手の一人である。