1. 概要
平松康平は、静岡県静岡市清水区出身の元プロサッカー選手で、主にMFとして活躍しました。清水エスパルスのユースチームからトップチームに昇格し、長年にわたりチームの主力としてプレーしました。特に2001年には日本代表候補に招集されるなど、将来を嘱望される選手でした。現役引退後は、サッカー界とは異なる福祉の分野に進出し、障がい者福祉事業所の経営や障がい者専門のスポーツクラブの設立、さらには飲食店経営を通じて、社会貢献活動に積極的に取り組んでいます。その多岐にわたる活動は、サッカー選手としてのキャリアを終えた後の新たな生き方を模索する人々に影響を与えています。
2. 経歴
平松康平のサッカー選手としてのキャリアは、彼の故郷である静岡県で始まり、幼少期からの才能と努力によって形成されました。
2.1. 出生と初期生活
平松康平は、1980年4月19日に静岡県静岡市清水区興津で生まれました。幼少期からサッカーに親しみ、その才能を育んでいきました。
2.2. 学歴とユースキャリア
平松は、清水FCでサッカーの基礎を学びました。その後、清水エスパルスのジュニアユースに1993年から1995年まで所属し、静岡市立清水興津中学校で学びました。1996年から1998年までは清水エスパルスのユースチームに所属し、常葉学園橘高等学校で学生生活を送るとともに、プロサッカー選手としての基礎を築きました。ユース時代からその才能は高く評価され、1999年には清水エスパルスのトップチームに昇格しました。
3. クラブ経歴
平松康平は、プロキャリアの大部分を清水エスパルスで過ごし、その後、他のクラブでもプレーしました。
3.1. 清水エスパルス時代
平松は1998年にJ1リーグの清水エスパルスに加入しました。特に2000年シーズンからは攻撃的MFとして多くの試合に出場しました。この時期、チームは1999-2000 アジアカップウィナーズカップで優勝し、2001年には天皇杯も制覇するなど、輝かしい成績を収めました。平松は「澤登正朗の後継者」としてサポーターや澤登本人からも大きな期待を寄せられ、2001年には当時の日本代表監督であったフィリップ・トルシエにより日本代表候補合宿にも招集されました。チームがJ1リーグ残留争いに巻き込まれた際には、救世主として幾度となくスタジアムを沸かせました。しかし、怪我の影響もあり、安定したパフォーマンスを維持することに苦労する時期もありました。独特の風貌や型破りな発言、人間性、そして天性の華麗なプレーは、地元出身の選手としてサポーターから強い愛憎の念を一身に受けていました。2005年からは出場機会が減少傾向に転じ、2007年シーズン終了をもって自身の意思で清水エスパルスを退団しました。
3.2. FC琉球および後期クラブキャリア
清水エスパルス退団後、平松はJ2リーグのチームからオファーを受けていましたが、J1でのプレーにこだわった結果、2008年シーズンの開幕時点では所属先が決まっていませんでした。同年4月24日、JFLに所属するFC琉球への完全移籍が決定しました。ここでは、総監督を務めていたフィリップ・トルシエからも、彼が持つサッカーセンスとJリーガーとしての経験をチームにもたらす選手として大きな期待を受けました。FC琉球でのプレーは1シーズン限りとなり、2009年1月に契約が満了しました。その後9ヶ月間のブランクを経て、同年10月には地域リーグの静岡FC(後に藤枝MYFCへ吸収合併)に加入しました。2010年5月には藤枝MYFCに入団しましたが、同年11月には同チームを退団し、2010年シーズン限りで現役を引退しました。
4. 日本代表経歴
平松康平は、年代別の日本代表に選出され、将来を嘱望される存在でした。
彼は1995年にU-15日本代表に、1996年にはU-16日本代表に選ばれました。さらに1999年にはU-19日本代表として活動し、世代別代表の中心選手として活躍しました。そして、2001年にはA代表の日本代表候補合宿にも招集され、その才能が全国的に認められました。
5. 引退後の活動
平松康平はサッカー選手引退後、新たなキャリアを福祉分野に求め、社会貢献活動に積極的に取り組んでいます。
5.1. 福祉および事業活動
平松は2014年から2018年まで、福祉事業所に現場職員として勤務し、福祉の現場での経験を積みました。この経験を活かし、2018年からは障がい福祉事業所を経営するとともに、障がい児や障がい者専門のスポーツクラブを設立し、運営しています。これらの活動を通じて、障がいを持つ人々がスポーツを通じて社会とつながり、自己成長できる機会を提供しています。さらに、2023年には福祉以外の世界と障がい者をつなぐ試みとして飲食店を経営し、障がい者の働く場を提供することで、雇用の促進と社会参加を支援しています。
5.2. 取得資格と現在の活動
平松康平は、福祉事業に携わる上で専門性を高めるため、複数の資格を取得しています。具体的には、介護福祉士、サービス管理責任者、児童発達管理責任者の資格を保有しています。これらの資格は、彼が障がいを持つ人々の生活支援や発達支援、そして福祉サービスの質向上に深く関わる上で不可欠なものです。現在も、福祉の世界に留まらず、多様な分野で積極的に活動を展開しており、その社会貢献の範囲を広げています。
6. プレースタイルと評価
平松康平は、その天性のサッカーセンスと独特のプレースタイルで、多くの人々に記憶されています。
彼は主にMFとしてプレーし、特に清水エスパルス時代には攻撃的な役割を担いました。そのプレーは「天性のものを感じさせる華麗なプレイ」と評され、ファンを魅了しました。澤登正朗の後継者として期待され、日本代表候補に選ばれるなど、その才能は高く評価されていました。また、ピッチ外での独特の風貌や型破りな発言、親しみやすい人柄も相まって、地元出身のスターとしてサポーターから強い支持を集めました。しかし、キャリアを通じて怪我に悩まされることが多く、これが安定したパフォーマンスの発揮を妨げる要因となることもありました。
7. キャリア統計
平松康平のプロキャリアにおけるクラブおよび国際試合の出場記録と得点は以下の通りです。
| クラブパフォーマンス | リーグ | カップ | リーグカップ | 大陸選手権 | 合計 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| 日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | アジア | 合計 | |||||||
| 1998 | 清水エスパルス | J1 | 5 | 0 | 3 | 0 | 4 | 1 | - | 12 | 1 | |
| 1999 | J1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | - | 4 | 0 | ||
| 2000 | J1 | 20 | 2 | 5 | 1 | 3 | 0 | - | 28 | 3 | ||
| 2001 | J1 | 30 | 4 | 2 | 0 | 5 | 1 | - | 37 | 5 | ||
| 2002 | J1 | 27 | 2 | 8 | 1 | 2 | 0 | 6 | 0 | 43 | 3 | |
| 2003 | J1 | 14 | 1 | 1 | 0 | 4 | 1 | 2 | 0 | 21 | 2 | |
| 2004 | J1 | 27 | 2 | 7 | 0 | 1 | 0 | - | 35 | 2 | ||
| 2005 | J1 | 8 | 0 | 2 | 1 | 4 | 0 | - | 14 | 1 | ||
| 2006 | J1 | 6 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | - | 10 | 0 | ||
| 2007 | J1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | - | 3 | 0 | ||
| 2008 | FC琉球 | JFL | 11 | 1 | - | - | - | 11 | 1 | |||
| 2009 | 静岡FC | 東海1部 | 0 | 0 | - | - | - | 0 | 0 | |||
| 2010 | 藤枝MYFC | 東海1部 | 4 | 0 | - | - | - | 4 | 0 | |||
| 総通算 (J1) | 138 | 11 | 35 | 3 | 26 | 3 | 8 | 0 | 207 | 17 | ||
| 総通算 (JFL) | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 1 | ||
| 総通算 (東海1部) | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | ||
| 総通算 | 153 | 12 | 35 | 3 | 26 | 3 | 8 | 0 | 222 | 18 | ||
その他の公式戦
- スーパーカップ
- 2001年:1試合0得点
- 2002年:1試合0得点