1. 生涯と経歴
アントワーヌ・ドニ・ショーデは、18世紀後半から19世紀初頭にかけてのフランス彫刻界において、新古典主義の重要な担い手として活動した。彼の生涯は、フランス革命という激動の時代と重なりながらも、アカデミックな教育と公職を通じて着実にキャリアを築いた。
1.1. 幼少期と教育
ショーデは1763年3月3日にパリで生まれた。幼少期から芸術への才能を示し、彫刻家ジャン・バティスト・ストーフのもとで初期の美術教育を受けた。その後、エティエンヌ・ピエール・アドリアン・ゴワにも師事し、彫刻の技術と理論を深く学んだ。彼の才能は早くから認められ、1784年にはレリーフ作品『兄弟に売られたヨセフ』で権威あるローマ賞を受賞した。この受賞により、彼はローマの在ローマ・フランス・アカデミーで4年間(1784年から1788年頃まで)学ぶ機会を得た。ローマでは、古代彫刻を研究し、新古典主義様式への理解を深めた。
1.2. 職業経歴
1789年にフランスへ帰国したショーデは、同年中に王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれた。しかし、フランス革命の影響でアカデミーは1793年に廃止された。1793年には、彼の学生であったジャンヌ=エリザベート・ガビュウ(後にジャンヌ=エリザベート・ショーデとして知られる)と結婚した。ジャンヌ=エリザベートもまた、彼の指導のもとで学び、後に著名な肖像画家となった。
ショーデは、建築家ピエール=フランソワ=レオナール・フォンテーヌやシャルル・ペルシエとの共同プロジェクトにも参加し、建築と彫刻の融合にも貢献した。1801年には、ジャン・ラシーヌの全集の挿絵制作にも携わり、その多くは聖書を題材としたものであった。1805年にはフランス学士院の会員に選出され、その学術的地位を確立した。
1810年2月には、数年前に亡くなったルイ=ジャン=フランソワ・ラグレネの後任として、パリ国立高等美術学校の教授兼学長に就任した。しかし、そのわずか2ヶ月後の1810年4月19日、彼はパリで急逝した。彼の死後、教授職は1810年9月8日にフランソワ=フレデリック・ルモが引き継いだ。ショーデの遺体はモンパルナス墓地に埋葬された。彼のスケッチや手稿は現在、ルーヴル美術館に所蔵されている。
2. 芸術様式と作品
アントワーヌ・ドニ・ショーデの作品は、18世紀後半から19世紀初頭にかけてフランスで隆盛を極めた新古典主義様式を色濃く反映している。彼は古代ギリシャ・ローマ美術の理想を追求し、その作品には古典的な美しさ、調和、そして静謐さが特徴として表れている。
2.1. 芸術様式
ショーデの新古典主義様式は、古代彫刻の厳格な形式と理想化された人体表現に基づいている。彼は感情の過度な表出を避け、抑制された感情と明快な構図を重視した。これは、当時のロココ様式の華美さや感傷性からの脱却を目指す動きと合致していた。彼の作品は、しばしば神話や歴史、聖書を題材とし、道徳的または教訓的なメッセージを内包していた。素材としては主に大理石やブロンズを用い、その表面処理には細心の注意を払い、滑らかで洗練された質感を追求した。
2.2. 主要な彫刻とレリーフ
ショーデは数多くの彫刻作品やレリーフを制作し、その多くは現在、世界中の主要な美術館に所蔵されている。

- 『兄弟に売られたヨセフ』(1784年):このバ=レリーフは、彼がローマ賞を受賞した際の作品であり、聖書の物語を題材としている。若きヨセフが兄弟たちによって奴隷として売られる場面を描いており、その構成と人物表現には古典的な規範が強く見られる。
- 『幼いオイディプスとフォルバス』(1799年):この作品は、パリのサロンで1801年に展示された。ショーデの死後、ピエール・カルテリエとルイ・デュパティによって完成された。羊飼いフォルバスに救われる幼いオイディプスを描いたもので、ルーヴル美術館に所蔵されている。
- 『キューピッドと蝶』(1817年):この作品もショーデの死後、ピエール・カルテリエによって完成された。愛の神クピードーが蝶を捕まえようとする姿を描いており、ルーヴル美術館に収められている。

- 『平和』(1800年頃 - 1810年):平和の女神パクースを象徴する作品で、新古典主義の理想的な女性像が表現されている。
- 『盲目のベリサリウスの休息』(1791年):リール宮殿美術館に所蔵されており、盲目となったベリサリウスが休息する姿を描いている。


- 『キュパリッソスが鹿を悼む』:キュパリッソスが愛する鹿の死を悼む姿を描いた作品。
- 『詩人ホメロス』:古代ギリシャの詩人ホメロスを描いたレリーフ。
2.3. ナポレオン関連作品
ショーデは、ナポレオン・ボナパルトの時代において、皇帝の肖像彫刻を複数手がけた。
- ナポレオン・ボナパルトの大理石像(1804年):この像は、ショーデが制作したナポレオンの代表的な彫刻の一つである。この作品は、1810年にピエール=ノラスク・ベルジェレと多数の彫刻家チームによって制作されたヴァンドーム広場のアウステルリッツ戦勝記念柱の頂上に設置されたナポレオン像の原型となった。

- ナポレオン皇帝とジョゼフィーヌ皇后の胸像(1811年展示):これらの胸像は、ナポレオン帝政期の肖像彫刻として制作され、当時のサロンで展示された。

- モスクワへのナポレオン像移送:1812年、ショーデが制作したナポレオンの大理石像は、ナポレオンの命によりモスクワへ運ばれ、要所に設置された。この像は現在、ボロジノの戦いパノラマ博物館に展示されている。

ナポレオンの失脚後、ヴァンドーム広場の記念柱のナポレオン像は撤去され廃棄されたが、ナポレオン3世の命令により、1863年にオーギュスト・デュモンによって復元された。
3. 遺産と評価
アントワーヌ・ドニ・ショーデは、その短い生涯にもかかわらず、フランスの新古典主義彫刻に重要な足跡を残した。彼は単なる彫刻家としてだけでなく、教育者としても後進の育成に貢献した。
彼の死後、未完成の作品は弟子のピエール・カルテリエやルイ・デュパティらによって完成され、その芸術的遺産は引き継がれた。特に、彼の代表作の一つである『幼いオイディプスとフォルバス』や『キューピッドと蝶』は、死後に完成されたものである。
ナポレオンの彫刻作品は、その後の歴史的変遷の中で移送や復元の対象となった。1812年にモスクワへ運ばれたナポレオン像は、現在もボロジノの戦いパノラマ博物館に展示されており、ショーデの作品が国際的な影響力を持っていたことを示している。また、ヴァンドーム広場の記念柱のナポレオン像が一度撤去され、後に復元された経緯は、彼の作品が当時の政治状況と密接に結びついていたことを物語っている。
ショーデのスケッチや手稿がルーヴル美術館に所蔵されていることは、彼の制作過程や芸術思想を研究する上で貴重な資料となっている。彼の作品は、新古典主義の理想を体現し、その後のフランス彫刻に大きな影響を与えたと評価されている。