1. 幼少期
1.1. 生い立ちと教育
ポール・ウェストファルはカリフォルニア州トーランスで生まれた。1966年から1969年までレッドンドビーチのアビエーション高校で学生時代を過ごした。その後、ロサンゼルスにある南カリフォルニア大学に進学し、トロージャンズのガードとしてカレッジバスケットボールでプレーした。

1971年にはUSCが24勝2敗という勝敗記録を達成し、トロージャンズの歴代最高勝率を記録した。しかし、当時のPac-8カンファレンスは、わずか1チーム(優勝した1970-71年のUCLA)しか25チーム制のNCAAトーナメントに進出できず、16チーム制のNITにも出場できなかった。
ウェストファルは1972年にオールアメリカンチームのキャプテンに選出された。1970年から1972年までUSCでプレーし、平均16.9得点、5.3リバウンド、5.1アシストを記録し、1972年には平均20.3得点でトロージャンズをリードした。
2. 選手キャリア
ポール・ウェストファルのNBAプロバスケットボール選手としてのキャリアは、ボストン・セルティックスでの初期の活躍から始まり、フェニックス・サンズでの全盛期、そして怪我による困難な時期を経て、最終的に引退するまで続いた。
2.1. ボストン・セルティックス (1972-1975)
1972年のNBAドラフトで、ボストン・セルティックスから全体10位で指名され、NBA入りを果たした。当時のセルティックスはジョン・ハブリチェックやデイブ・コーウェンスらを擁するリーグ屈指の強豪チームであり、1974年にはNBAチャンピオンシップを制した。しかし、ルーキーだったウェストファルがこの優勝に果たした役割は限定的で、レギュラーシーズンでは平均4.1得点、プレーオフでは平均3.9得点という成績だった。2年目の1973-74シーズンに入ると本格的にローテーション入りし、1974-75シーズンには平均9.8得点まで成績を伸ばした。
2.2. フェニックス・サンズ (1975-1980)

1975-76シーズン前、チャーリー・スコットとのトレードでフェニックス・サンズに移籍した。選手層の厚いセルティックスでは控え選手だったウェストファルだが、中堅チームのサンズではエースへと昇格し、前年の成績を大幅に上回る平均20.5得点、5.4アシスト、2.6スティールを記録するという大成長を遂げた。彼に牽引されたサンズも42勝40敗と勝ち越し、6年ぶりのプレーオフ進出を決めると、プレーオフでは上位シード相手に次々とアップセットを起こし、創部8年目にして初のNBAファイナル進出を果たした。ファイナルの相手は皮肉にもウェストファルの古巣、ボストン・セルティックスだった。レギュラーシーズン中の戦績で遥かに上回るセルティックスが圧倒的に優位かに思われたが、サンズはセルティックス相手にも善戦し、2勝2敗で第5戦を迎えた。
オーバータイムにもつれる接戦となった第5戦は、1回目のオーバータイムでも決着はつかず、2回目のオーバータイムへ突入した。残り6秒でサンズは1点のリードを奪い、勝利をその手に掴みかけていたが、セルティックスのジョン・ハブリチェックに執念のシュートを決められ、残り1秒という土壇場で逆転されてしまった。ここでウェストファルはタイムアウトを要求したが、この時点でサンズはタイムアウトを使い切っており、テクニカルファウルを食らってセルティックスにフリースロー1本を献上してしまう。しかし、サンズは点差を2点に広げられるのと引き換えに、コート中央からのスローインという好条件を手にした(ウェストファルのテクニカルファウルがなければ、自陣のゴール下からのスローインとなるはずだった。この出来事により、リーグは翌シーズンからルールを変更している)。インバウンドパスを受け取ったガーフィールド・ハードは、わずか1秒の間で見事にジャンプショットを決め、ファイナル第5戦は空前のトリプルオーバータイムへと突入した。両チームともすでに限界点を突破した時間帯に、ウェストファルはエースの名に恥じぬ活躍でセルティックスを追い詰めたが、最後はセルティックスの選手層の厚さに屈し、互いに死力を尽くした第5戦は128対126でセルティックスの勝利となった。劇的な場面が相次いだこの第5戦は、ファイナル史上最高の試合として名高い。第6戦はセルティックスが勝利し、2勝4敗でサンズの敗退が決定。6年ぶりのプレーオフ進出からファイナルまで到達したこのシーズンのサンズの挑戦は終わった。
翌1976-77シーズン、サンズは34勝48敗で負け越し、プレーオフ出場も逃したものの、ウェストファル個人は全盛期を迎えつつあり、平均21.3得点、5.7アシストの成績を残して初のオールNBA1stチーム入りを果たすと共に、オールスターにも初出場した。1977-78シーズンにはキャリアハイとなる平均25.2得点をあげ、チームも49勝をあげてプレーオフに復帰した。ウェストファルは、1977年のシーズンにNBAで得点平均6位(25.2得点)を記録し、また、最初のNBAオールスターウィークエンドH-O-R-S-Eコンテストの優勝者でもある。翌1978-79シーズンには得点平均で7位(24.0得点)を記録した。ウェストファルの絶頂期と共にサンズも最初の黄金期と言える時代を迎え、翌1978-79シーズンには初めて50勝に到達し、1979-80シーズンには55勝まで伸ばした。ウェストファル個人も4年連続でオールNBAチーム入りを果たし、オールスターにも選ばれ続けた。
2.3. シアトル・スーパーソニックス (1980-1981)
1980-81シーズン前、デニス・ジョンソンとのトレードでシアトル・スーパーソニックスに移籍した。しかし、右足の疲労骨折に見舞われ、このシーズンはわずか36試合の出場に留まった。シーズン終了後、彼はフリーエージェントとなったが、スーパーソニックスは優先交渉権を保持していたものの、契約条件で合意に至らなかった。
2.4. ニューヨーク・ニックス (1982-1983)
1981-82シーズンの大半を欠場した後、シアトルがオファーをマッチしないことを選択したため、ウェストファルは1982年2月下旬にニューヨーク・ニックスと契約した。彼は1982-83シーズンに平均10得点と5.5アシストを記録し、ニックスがプレーオフに進出するのに貢献したことから、年間最優秀カムバック選手賞を受賞した。
2.5. フェニックスへの復帰と引退 (1983-1984)
1983年9月にフェニックスと2年契約を結び、古巣サンズに復帰したが、1984年10月にサンズから解雇された。このシーズンをもって現役から引退した。
3. コーチキャリア
ポール・ウェストファルのコーチとしてのキャリアは、大学バスケットボールとNBAの両方で、数多くのチームを率いた。
3.1. 大学コーチ時代
ウェストファルのコーチキャリアは1985年にフェニックス市に位置するサウスウェスタン・バプテスト・バイブル大学(現在のアリゾナ・クリスチャン大学)で始まった。そこで1シーズンで21勝9敗の記録を達成した後、同じくフェニックスにあるグランドキャニオン大学に移り、2シーズン後の1988年にはチームをNAIA全国タイトルへと導いた。
2001年4月には、ペパーダイン大学のヘッドコーチに就任した。彼の最初のシーズンである2001-02シーズンには、ウェーブズを22勝9敗の成績に導き、全国的にランク付けされていたゴンザガ・ブルドッグスとWCCタイトルを分けた。チームはNCAAトーナメントにアットラージ枠で出場したが、サクラメントのARCOアリーナで行われた1回戦でウェイクフォレストに83対74で敗れた。彼の5年間の在任期間中、このポストシーズン進出は唯一の機会であり、全体的な記録は74勝72敗で終えた。2005-06シーズンに7勝20敗の成績を記録した後、2006年3月15日に解任された。
3.2. NBAコーチ時代
ウェストファルは大学でのコーチ経験の後、NBAのヘッドコーチとしてもフェニックス・サンズ、シアトル・スーパーソニックス、サクラメント・キングスで重要な足跡を残した。
3.2.1. フェニックス・サンズ (1992-1996)
1988年、大学バスケットボール界で3年間コーチを務めた後、ウェストファルはフェニックス・サンズにコットン・フィッツシモンズヘッドコーチのもとでアシスタントコーチとして加わった。そして1992年にフィッツシモンズの後任としてサンズのヘッドコーチに昇格した。サンズは1992年に本拠地を新アリーナに移し、チームロゴやユニフォームを一新し、大物選手チャールズ・バークレーを獲得するなどチームの大改革を進めたが、42歳のウェストファルをヘッドコーチに昇格させたのも大改革の一環だった。ケビン・ジョンソン、ダン・マジャーレ、ルーキーのリチャード・デューマス、チャールズ・バークレー、ダニー・エインジといった選手を擁したサンズは、ウェストファルのヘッドコーチ就任初シーズンでチーム記録となる62勝をあげ、バークレーはシーズンMVPを受賞した。サンズはプレーオフを勝ち上がり、ウェストファルにとっては選手時代を通して2回目、チームとしては17年ぶりとなるNBAファイナルの舞台に進んだ。対戦相手はマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズだったが、このシリーズでもサンズとウェストファルは第3戦でトリプルオーバータイムを戦った。サンズは2勝4敗で破れ、またしても優勝はならなかった。その後もサンズは強豪として過ごし、ウェストファルのヘッドコーチ就任後、3シーズン連続で56勝以上をあげ、1994-95シーズンにはコーチとしては史上2番目の速さで150勝に到達したが、プレーオフでは勝ち残れず、1995-96シーズンにシーズン序盤で負け越したのを契機にヘッドコーチから解任された。
3.2.2. シアトル・スーパーソニックス (1998-2000)
サンズ解任後、2年間アリゾナ州の高校バスケットボールチームのアシスタントコーチを務め、1998-99シーズンにシアトル・スーパーソニックスのコーチとしてNBAに復帰した。彼はシアトルで2000-01シーズンの15試合目までコーチを務め、その後解任された。
3.2.3. サクラメント・キングス (2009-2012)
2009年6月10日、ウェストファルはサクラメント・キングスのヘッドコーチに指名された。彼の在任期間中、2011年にはデマーカス・カズンズとの衝突があり、チームは苦戦を強いられた。2012年1月5日にキングスから解任された。
3.3. アシスタントコーチおよび球団幹部としての役割
2007年6月28日、ダラス・マーベリックスはエイブリー・ジョンソンヘッドコーチのもとでウェストファルをアシスタントコーチとして採用したことを発表した。ジョンソンがリック・カーライルに交代した後、ウェストファルはコーチングの職を離れ、2008年10月にドニー・ネルソンのもとでマーベリックスのバスケットボール運営担当エグゼクティブ・バイスプレジデントに就任した。2014-15シーズンには、ブルックリン・ネッツに新ヘッドコーチのライオネル・ホリンズのアシスタントとして雇われた。ホリンズはかつてフェニックスでウェストファルのアシスタントコーチを務めていた。2016年1月にネッツがホリンズを解雇した際、ウェストファルもチームを離れた。
4. 放送キャリア
コーチキャリアを終えた後、ポール・ウェストファルはバスケットボールのスタジオアナリストとしても活動した。彼はフォックススポーツネット・ウェスト/プライムチケットで、ロサンゼルス・クリッパーズおよびロサンゼルス・レイカーズの試合の分析を担当し、2006年のNBAプレーオフでのクリッパーズの活躍中に初めて参加した。
5. 私生活
5.1. 家族と信仰
ウェストファルはシンディ・ウェストファルと結婚し、二人の子供をもうけた。彼はキリスト教徒だった。
5.2. 病と死
2020年8月、ESPNは彼が脳腫瘍と診断されたと報じた。彼は2021年1月2日、アリゾナ州スコッツデールで70歳でこの世を去った。
6. 功績と栄誉
ウェストファルは選手としてもコーチとしても多大な貢献をし、数々の個人賞やチーム栄誉を受賞した。
6.1. 個人の受賞歴と達成
選手としてのキャリアにおいて、1974年のNBAチャンピオンシップ獲得は特筆すべき功績である。彼は5回(1977年から1981年)のNBAオールスターに選出され、オールNBAチームには3回(1977年、1979年、1980年)のファーストチーム選出と1回(1978年)のセカンドチーム選出を果たした。また、1982-83シーズンには年間最優秀カムバック選手賞を受賞している。大学時代には1971年にAP通信選出のオールアメリカ2ndチームに選ばれている。
コーチとしては、1988年にグランドキャニオン大学をNAIA全国タイトル獲得に導いた。
6.2. バスケットボール殿堂入りとチーム栄誉
2019年9月6日、ポール・ウェストファルは選手としてネイスミス・バスケットボール殿堂入りを果たした。彼の偉大な功績を称え、フェニックス・サンズは彼の背番号『44』を永久欠番に指定し、リング・オブ・オナーのメンバーとしている。また、彼がカレッジでプレーした南カリフォルニア大学も背番号『25』を永久欠番に指定している。
7. 統計と記録
ウェストファルの選手およびヘッドコーチとしての詳細な統計データは、彼のキャリアにおけるパフォーマンスを明確に示している。
7.1. 選手統計
ポール・ウェストファルのプロ選手キャリアにおける総合的な統計データは以下の通りである。NBA通算823試合に出場し、総得点は12,809点(平均15.6得点)、3,591アシスト(平均4.4アシスト)、1,580リバウンド(平均1.9リバウンド)を記録した。彼はフェニックス・サンズの歴代得点ランキングで5位(9,564得点)であり、サンズでの6シーズン(1975-80年、1983-84年)で平均20.6得点を記録した。
7.1.1. レギュラーシーズン
| 年 | チーム | 出場試合 | 先発出場 | 平均出場時間 | フィールドゴール成功率 | 3P成功率 | フリースロー成功率 | 平均リバウンド | 平均アシスト | 平均スティール | 平均ブロック | 平均得点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972 | BOS | 60 | - | 8.0 | .420 | - | .779 | 1.1 | 1.2 | - | - | 4.1 |
| 1973† | BOS | 82 | - | 14.2 | .501 | - | .732 | 1.7 | 2.1 | .5 | .4 | 7.2 |
| 1974 | BOS | 82 | - | 19.3 | .510 | - | .763 | 2.0 | 2.9 | 1.0 | .4 | 9.8 |
| 1975 | PHO | 82 | - | 36.1 | .494 | - | .830 | 3.2 | 5.4 | 2.6 | .5 | 20.5 |
| 1976 | PHO | 81 | - | 32.1 | .518 | - | .825 | 2.3 | 5.7 | 1.7 | .3 | 21.3 |
| 1977 | PHO | 80 | - | 31.0 | .516 | - | .813 | 2.1 | 5.5 | 1.7 | .4 | 25.2 |
| 1978 | PHO | 81 | - | 32.6 | .535 | - | .837 | 2.0 | 6.5 | 1.4 | .3 | 24.0 |
| 1979 | PHO | 82 | 82 | 32.5 | .525 | .280 | .862 | 2.3 | 5.1 | 1.5 | .4 | 21.9 |
| 1980 | SEA | 36 | - | 29.9 | .442 | .240 | .832 | 1.9 | 4.1 | 1.3 | .4 | 16.7 |
| 1981 | NYK | 18 | 12 | 25.1 | .443 | .250 | .766 | 1.2 | 5.6 | 1.1 | .4 | 11.7 |
| 1982 | NYK | 80 | 59 | 24.7 | .459 | .292 | .804 | 1.4 | 5.5 | 1.1 | .2 | 10.0 |
| 1983 | PHO | 59 | 2 | 14.7 | .460 | .269 | .824 | .7 | 2.5 | .7 | .1 | 7.0 |
| キャリア通算 | 823 | 155 | 25.5 | .504 | .275 | .820 | 1.9 | 4.4 | 1.3 | .3 | 15.6 | |
| オールスター | 5 | 4 | 25.6 | .632 | .000 | .688 | 1.4 | 4.8 | 1.2 | 1.0 | 19.4 | |
7.1.2. プレーオフ
| 年 | チーム | 出場試合 | 平均出場時間 | FG% | 3P% | FT% | 平均リバウンド | 平均アシスト | スティール | ブロック | 平均得点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1973 | BOS | 11 | 9.9 | .487 | |||||||
| .714 | .6 | .8 | |||||||||
| 3.9 | |||||||||||
| 1974† | BOS | 18 | 13.4 | .460 | |||||||
| .714 | 1.2 | 1.7 | .4 | .1 | 5.7 | ||||||
| 1975 | BOS | 11 | 16.6 | .469 | |||||||
| .667 | 1.2 | 2.9 | .5 | .2 | 8.0 | ||||||
| 1976 | PHO | 19 | 36.1 | .511 | |||||||
| .763 | 2.5 | 5.1 | 1.8 | .5 | 21.1 | ||||||
| 1978 | PHO | 2 | 33.0 | .468 | |||||||
| .889 | 3.0 | 9.5 | .5 | .0 | 26.0 | ||||||
| 1979 | PHO | 15 | 35.6 | .495 | |||||||
| .788 | 2.2 | 4.3 | 1.0 | .3 | 22.4 | ||||||
| 1980 | PHO | 8 | 31.6 | .486 | .083 | .875 | 1.3 | 3.9 | 1.4 | .4 | 20.9 |
| 1983 | NYK | 6 | 26.0 | .440 | .375 | .769 | 1.3 | 5.7 | .3 | .3 | 9.5 |
| 1984 | PHO | 17 | 13.1 | .375 | .222 | .875 | .5 | 2.2 | .7 | .0 | 5.3 |
| キャリア通算 | 107 | 22.9 | .481 | .207 | .789 | 1.4 | 3.3 | .9 | .2 | 12.5 | |
7.2. ヘッドコーチ戦績
ポール・ウェストファルのNBAおよび大学バスケットボールにおける監督としての記録は以下の通りである。
7.2.1. NBA
| チーム | 年 | 試合数 | 勝利数 | 敗北数 | 勝率 | 順位 | プレーオフ試合数 | プレーオフ勝利数 | プレーオフ敗北数 | プレーオフ勝率 | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| PHO | 1992 | 82 | 62 | 20 | .756 | パシフィック1位 | 24 | 13 | 11 | .542 | NBAファイナル敗退 |
| PHO | 1993 | 82 | 56 | 26 | .683 | パシフィック2位 | 10 | 6 | 4 | .600 | カンファレンス準決勝敗退 |
| PHO | 1994 | 82 | 59 | 23 | .720 | パシフィック1位 | 10 | 6 | 4 | .600 | カンファレンス準決勝敗退 |
| PHO | 1995 | 33 | 14 | 19 | .424 | (解任) | - | - | - | - | - |
| SEA | 1998 | 50 | 25 | 25 | .500 | パシフィック5位 | - | - | - | - | プレーオフ進出ならず |
| SEA | 1999 | 82 | 45 | 37 | .549 | パシフィック4位 | 5 | 2 | 3 | .400 | 1回戦敗退 |
| SEA | 2000 | 15 | 6 | 9 | .400 | (解任) | - | - | - | - | - |
| SAC | 2009 | 82 | 25 | 57 | .305 | パシフィック5位 | - | - | - | - | プレーオフ進出ならず |
| SAC | 2010 | 82 | 24 | 58 | .293 | パシフィック5位 | - | - | - | - | プレーオフ進出ならず |
| SAC | 2011 | 7 | 2 | 5 | .286 | (解任) | - | - | - | - | - |
| キャリア通算 | 597 | 318 | 279 | .533 | 49 | 27 | 22 | .551 | |||
7.2.2. 大学
| チーム | シーズン | 総合成績 | カンファレンス成績 | カンファレンス順位 | ポストシーズン |
|---|---|---|---|---|---|
| サウスウェスタン・バプテスト・バイブル | 1985-86 | 21-9 | - | - | NLCAAトーナメント |
| グランドキャニオン | 1986-87 | 26-12 | - | - | - |
| グランドキャニオン | 1987-88 | 37-6 | - | - | NAIAチャンピオン |
| ペパーダイン | 2001-02 | 21-9 | 13-1 | T-1位 | NCAAディビジョンIラウンド64 |
| ペパーダイン | 2002-03 | 15-13 | 7-7 | 4位 | - |
| ペパーダイン | 2003-04 | 15-15 | 9-5 | T-2位 | - |
| ペパーダイン | 2004-05 | 17-14 | 6-8 | T-5位 | - |
| ペパーダイン | 2005-06 | 7-20 | 3-11 | 8位 | - |
8. 外部リンク
- [http://www.nba.com/suns/history/allcentury_westphal.html フェニックス・サンズ公式HP]
- [http://www.nba.com/coachfile/paul_westphal/index.html?nav=page NBA.com コーチ紹介]
- [http://www.basketball-reference.com/coaches/westppa01c.html Basketball-Reference.com]