1. 概要
ロマン・ミハイロヴィチ・ドミトリエフ (Роман Михайлович Дмитриевロマン・ミハイロヴィチ・ドミトリエフロシア語、1949年3月7日 - 2010年2月11日) は、ソビエト連邦およびロシアのフリースタイルレスリング選手、コーチ、そして政治家である。シベリアのヤクート族出身で、その多岐にわたるキャリアは、選手としてオリンピックで金メダルと銀メダルを獲得し、世界選手権やヨーロッパ選手権でも輝かしい成績を収めた。引退後はレスリングのコーチとしてソ連およびロシアの代表チームを指導し、さらに故郷であるサハ共和国の地域ガバナンスに貢献する政治家としても活動した。彼の功績は、スポーツ界のみならず、地域社会の発展にも大きな影響を与えた。
2. 生涯
ロマン・ドミトリエフは、選手、コーチ、政治家として多岐にわたる活動を展開した。
2.1. 幼少期と背景
ロマン・ドミトリエフは1949年3月7日、ソビエト連邦ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のヤクート自治ソビエト社会主義共和国、ジガンスク地区で生まれた。彼はシベリアの先住民族であるヤクート族の出身である。
2.2. 競技初期
レスリング選手としてのキャリアは幼少期に始まり、彼の身長は154 cmであった。若き日のコーチには、ディミトリ・ゴーキンやセルゲイ・プレオブラジェンスキーがいた。彼はモスクワのCSKAモスクワに所属し、次第にその才能を開花させていった。特に1969年には、ヨーロッパレスリング選手権大会で金メダルを獲得し、またソ連選手権でも優勝を果たすなど、その後の華々しいキャリアの基礎を築いた。
3. レスリング選手としての経歴
ロマン・ドミトリエフは、フリースタイルレスリングにおいて国際的および国内的に数々の顕著な成績を収めた。

3.1. オリンピック
ロマン・ドミトリエフは2度の夏季オリンピックに出場し、いずれもメダルを獲得した。
- 1972年ミュンヘンオリンピックでは、男子フリースタイル48kg級で金メダルを獲得した。
- 1976年モントリオールオリンピックでは、男子フリースタイル48kg級で銀メダルを獲得した。
3.2. 世界選手権およびヨーロッパ選手権
彼はFILA主催の世界レスリング選手権大会およびヨーロッパレスリング選手権大会でも優れた成績を残した。
- 世界選手権:
- 1969年マル・デル・プラタ大会: 48kg級 銀メダル
- 1970年エドモントン大会: 48kg級 銅メダル
- 1973年テヘラン大会: 48kg級 金メダル
- 1974年イスタンブール大会: 52kg級 銀メダル
- ヨーロッパ選手権:
- 1969年ソフィア大会: 48kg級 金メダル
- 1981年ウッチ大会: 48kg級 銅メダル
3.3. ソ連選手権
ドミトリエフはソビエト連邦国内の最高峰であるソ連選手権で複数回優勝を果たした。
- 1969年
- 1971年
- 1972年
- 1976年
- 1979年
- 1981年
4. 引退後の活動
1981年に選手生活から引退した後、ロマン・ドミトリエフはレスリング界におけるコーチおよびロシアの政治家として重要な役割を担った。
4.1. コーチング
1981年に現役を引退したドミトリエフは、ソ連のシニアレスリング代表チームのコーチに就任し、その後はジュニアレスリングチームの指導も行った。彼はまた、ロシアレスリング連盟の様々な役職を務め、後進の指導と育成に尽力した。
4.2. 政治活動
ドミトリエフは故郷であるサハ共和国の政治にも積極的に関与した。2008年にはサハ共和国のドゥーマ(議会)議員に選出され、地域ガバナンスの発展に貢献した。彼の政治活動は、スポーツ界で培ったリーダーシップと国民への奉仕の精神を反映するものであった。
5. 死去
ロマン・ドミトリエフは2010年2月11日、ロシアのモスクワで死去した。享年60歳であった。
6. 功績と評価
ロマン・ドミトリエフは、フリースタイルレスリングの歴史において、ソビエト連邦およびロシアを代表する偉大な選手の一人として記憶されている。オリンピックでの金メダルと銀メダル、そして世界選手権やヨーロッパ選手権での複数のメダル獲得は、彼の卓越した技術と不屈の精神の証である。選手引退後も、コーチとして多くの若手選手を育成し、ロシアレスリングの発展に貢献した。さらに、故郷サハ共和国のドゥーマ議員として地域社会に奉仕したことは、彼がスポーツ界だけでなく、社会全体に対しても責任感を持っていたことを示している。ドミトリエフの生涯は、スポーツにおける栄光と、引退後の社会貢献という二つの側面で、後世に多大な影響を与え続けている。