1. 概要
アマドゥ・ゴン・クリバリ(Amadou Gon Coulibalyアマドゥ・ゴン・クリバリフランス語、1959年2月10日 - 2020年7月8日)は、コートジボワールの政治家である。彼は2017年1月から2020年7月に逝去するまでコートジボワールの首相を務め、その間、国の安定と発展に貢献した。また、アラサン・ワタラ大統領の最も信頼厚い側近として、大統領府事務総長を歴任するなど、同国の政治において極めて重要な役割を果たした。クリバリは2020年コートジボワール大統領選挙において与党の有力な大統領候補であったが、選挙を前にした突然の死は、コートジボワールの政治情勢に大きな影響を与えた。
2. 生涯と初期の経歴
アマドゥ・ゴン・クリバリの生涯は、彼の故郷であるコートジボワールにおける政治と行政の発展に深く関わっていた。彼のキャリアは、技術顧問としての初期の役割から始まり、国会議員や地方自治体の首長としての経験を経て、国の最高位の行政職へと進んでいった。
2.1. 出生と幼少期
アマドゥ・ゴン・クリバリは1959年2月10日に、当時フランス領西アフリカの一部であったアビジャン(現在のコートジボワール)で生まれた。後に彼は故郷のコルホゴ市長を務めることになる。
2.2. 学業と初期の政治活動
1990年代初頭、クリバリは当時首相であったアラサン・ワタラの技術顧問として働いた。この経験は、彼のその後の政治キャリアの基盤を築く上で重要なものとなった。彼は1995年から1999年まで、そして2011年から逝去するまで国民議会議員を務めた。また、コルホゴの市長も務め、地方政治にも深く関与した。2002年10月から2010年2月にかけては、農林水産大臣を務め、国の重要な農業分野の政策立案と実行に貢献した。
3. 主要な政治的経歴
クリバリの政治キャリアにおける最も顕著な部分は、アラサン・ワタラ大統領の政権下で果たした重要な役割に集約される。彼は大統領府事務総長、そして首相として、コートジボワールの行政と政治運営の中核を担った。
3.1. 大統領府事務総長
アラサン・ワタラが大統領に就任した後、アマドゥ・ゴン・クリバリは2011年から2017年1月まで大統領府事務総長を務めた。この期間、彼はワタラ大統領の最側近として、大統領の政策決定と国家運営において中心的な役割を担い、政府の安定に不可欠な存在であった。

3.2. コートジボワール首相
2017年1月10日、ワタラ大統領はクリバリを首相に任命した。彼の新しい政府の構成は1月11日に発表され、前任のダニエル・カブラン・ダンカン政権と概ね類似しており、主要な閣僚のほとんどがそのポストを維持した。閣僚の数は28人となり、以前の35人から規模が縮小された。2017年7月19日には、彼に予算に関する大臣職務が追加で割り当てられ、政府内での彼の責任と影響力が増大した。
2018年7月、ワタラ大統領が与党連合内の緊張を理由に政府を解散した際、クリバリは新たな政府を組閣するために再任命された。これは、ワタラ大統領が彼に対して抱いていた強い信頼と、政治的危機において政府を再編成し安定させる彼の能力を裏付けるものであった。
3.3. 与党指導部活動と大統領候補指名
2017年9月に開催された与党共和連合(RDR)の第三回通常会議において、クリバリは同党の第一副総裁に指名された。これにより、党内における彼の地位はさらに強固なものとなった。
彼は2020年コートジボワール大統領選挙において、与党の公認候補となり、選挙戦の有力候補の一人と目されていた。しかし、後述する健康問題により、選挙の前に逝去することとなる。
4. その他の公的活動
アマドゥ・ゴン・クリバリは、国内政治の要職だけでなく、国際的な機関においても重要な役割を果たした。彼の国際的な関与は、コートジボワールのグローバルな連携を強化する上でも貢献した。
2017年から2020年にかけて、彼は国際通貨基金(IMF)の理事会、多数国間投資保証機関(MIGA)(世界銀行グループの一部)の理事会、そして世界銀行の理事会に、それぞれ職務上のメンバーとして参加した。これらの役割を通じて、彼は国際的な経済および開発政策の議論に貢献した。
5. 健康と逝去
アマドゥ・ゴン・クリバリは、長年にわたり心臓の健康問題を抱えていた。2012年には心臓手術を受けている。
2020年5月2日、彼は心臓検査と療養のためにフランスへ渡航した。約2ヶ月間の滞在を経て、同年7月2日にコートジボワールへ帰国した。しかし、そのわずか6日後の7月8日、週次の閣議中に体調を崩し、病院へ搬送されたが、そのまま帰らぬ人となった。享年61歳であった。彼の突然の逝去は、コートジボワールの政治に大きな衝撃を与え、特に控えていた大統領選挙に不確実性をもたらした。
6. 評価と遺産
アマドゥ・ゴン・クリバリは、アラサン・ワタラ大統領の長年にわたる忠実な協力者として、コートジボワール政治において中心的かつ影響力のある人物であった。首相および大統領府事務総長としての彼の在任期間は、国の行政機構の強化と、ワタラ政権下での政治的安定の維持に不可欠であったと評価されている。彼は政策立案と実行において重要な役割を果たし、コートジボワールの発展と民主的統治の継続に貢献した。
2020年の大統領選挙を前にした彼の突然の逝去は、与党共和連合にとって大きな痛手となり、後継者選びに不透明感を生じさせた。しかし、彼の遺産は、公共サービスへの献身と、コートジボワールの行政における長年の重要な貢献として記憶されている。彼の死は、国家の安定に寄与してきた指導者の喪失であり、その影響は国内外で広く認識された。