1. 生い立ちと背景
イングリット・クレーマーは1943年7月29日にドイツドレスデンで生まれた。彼女の身長は1.58 m、体重は56 kgであった。クレーマーはクラブでは主にSCアインハイト・ドレスデンとSCエンポル・ロストックに所属し、競技生活を送った。
2. 飛込競技選手としてのキャリア
クレーマーは、そのキャリアを通じて数々の国際大会で輝かしい成績を収めた。彼女の主要な大会での活躍は、ヨーロッパ選手権とオリンピックで特に顕著である。
2.1. ヨーロッパ選手権
クレーマーはヨーロッパ水泳選手権において、初期からその才能を発揮した。
1958年ヨーロッパ水泳選手権では、3m飛板飛込で4位、10m高飛込で8位の成績を収めた。
その後、1962年ヨーロッパ水泳選手権(ライプツィヒ開催)では、3m飛板飛込と10m高飛込の両種目で金メダルを獲得し、ヨーロッパのトップダイバーとしての地位を確立した。
2.2. オリンピック
イングリット・クレーマーは、1960年ローマオリンピックと1964年東京オリンピックに統一ドイツ選手団の一員として出場し、顕著な成果を上げた。

1960年ローマオリンピックでは、3m飛板飛込と10m高飛込の両種目で金メダルを獲得し、二冠を達成した。
1964年東京オリンピックでは、彼女はドイツ選手団の旗手を務めた。この大会では、1963年11月に重量挙げ選手でコーチのハイン・エンゲルと結婚したため、エンゲル=クレーマーとして出場した。東京オリンピックでは、3m飛板飛込で再び金メダルを獲得して連覇を果たしたが、10m高飛込では銀メダルに終わった。
1968年メキシコシティオリンピックには、グルビンという名前で東ドイツ代表として出場し、3m飛板飛込で5位に入賞した。
3. コーチとしてのキャリアと引退後
クレーマーは1968年メキシコシティオリンピック後に選手としてのキャリアを引退し、飛込競技のコーチとして新たな道を歩み始めた。彼女は非常に成功したコーチとなり、多くの才能ある選手を育成した。指導した選手の中には、マルティナ・イェシュケ、ベアテ・ヤーン、ヤン・ヘンペル、ミヒャエル・キューネ、ハイコ・マイヤー、アネット・ガムなどがいる。
しかし、ドイツ再統一後、彼女はコーチの職を失った。その後は銀行員として生計を立てた。
4. 私生活と公的評価
イングリット・クレーマーは、1963年11月にドイツの重量挙げ選手でコーチであったハイン・エンゲルと結婚し、1964年東京オリンピックにはエンゲル=クレーマーとして出場した。
彼女は、その輝かしい競技生活の中で数々の公的評価と栄誉を受けた。特に、東ドイツでは1960年、1962年、1963年、1964年に年間最優秀スポーツパーソンに選ばれた。さらに、1960年には西ドイツでも年間最優秀スポーツパーソンを受賞しており、東西ドイツの両方でこの賞を受賞した唯一の人物となった。これは、冷戦期の分断されたドイツにおいて、彼女のスポーツにおける功績が政治的境界を超えて高く評価されたことを示している。
5. 功績と栄誉
イングリット・クレーマーのスポーツ界への貢献は多岐にわたる。彼女はオリンピックでの複数回優勝やヨーロッパ選手権での勝利を通じて、飛込競技の歴史にその名を刻んだ。その功績は、1975年にフロリダ州フォートローダーデールにある国際水泳殿堂に殿堂入りしたことで公式に認められた。これは彼女の卓越した才能と、スポーツ界への継続的な影響力への敬意を表するものである。
6. 関連項目
- 国際水泳殿堂のメンバー一覧