1. 概要
ジェームズ・スターリング(James Stirling英語、1692年5月11日 - 1770年12月5日)は、スコットランドの数学者である。「ヴェネツィア人」という異名でも知られている。
彼はスターリング数、スターリング置換、スターリングの近似など、数多くの数学的概念にその名を残している。また、アイザック・ニュートンによる三次平面曲線の分類の正しさを証明するなど、純粋数学において重要な貢献を果たした。応用科学や工学分野においても、鉱山会社のマネージャーとして水力空気圧縮機(トロンプ)の発明に携わり、グラスゴーの港湾開発のための測量を行うなど、実用的な成果を上げた。スターリングの生涯は、彼の学術的な功績と、社会への実践的な貢献の両面から評価されている。
2. 伝記
ジェームズ・スターリングの生涯における主要な出来事を時系列に沿って記述する。彼の学業、初期のキャリア、そしてジャコバイト運動への関与が彼の人生に与えた影響について説明する。
2.1. 誕生と家族背景
スターリングは1692年5月11日(旧暦)に、スターリング近郊のガーデン・ハウスで生まれた。彼はアーチボルド・スターリング(1651年-1715年)とアンナ・ハミルトンの三男であり、ガーデン卿アーチボルド・スターリング(1617年-1668年)の孫にあたる。彼の家族はスコットランド貴族であった。

2.2. 教育
18歳の時、マー伯爵ジョン・アースキンの影響を主に受けて、オックスフォード大学のバリッジ・カレッジに入学し、1711年にビショップ・ワーナー奨学生(またはスネル奨学生)の一人に指名された。しかし、1715年に彼のいとこ、特に著名なジャコバイトであるケアー家やガーデン家のメンバーとの書簡のやり取りが原因で、大学から追放された。これらのいとこは1708年の「ブリッグ・オ・タークの集会」に加担していた。
2.3. 初期キャリアと帰還
オックスフォードを追放された後、スターリングはヴェネツィアへと渡り、そこで数学教授として活動した。1717年には彼の著作『Lineae tertii ordinis Newtonianae, sive . . .』がオックスフォードで出版された。ヴェネツィア滞在中、彼はアイザック・ニュートンを介して王立協会に「Methodus differentialis Newtoniana illustrata」(『Philosophical Transactions』、1718年)という論文を提出した。
ヴェネツィアのガラス工芸職人の企業秘密を発見したため暗殺を恐れ、彼はニュートンの助けを得て1725年頃にロンドンへ帰国した。ロンドンには10年間滞在し、そのほとんどの期間をタワー・ストリートのアカデミーで過ごし、余暇を数学と著名な数学者たちとの交流に費やした。1730年には彼の最も重要な著作である『Methodus differentialis, sive tractatus de summatione et interpolatione serierum infinitarum』(ロンドン)が出版された。これは1718年の論文をさらに発展させた内容であった。1735年には王立協会に「地球の形状とその表面における重力の変動について」と題する論文を提出した。
3. 主要な活動と業績
スターリングが成し遂げた主な活動、業績、および科学・工学分野への貢献を詳細に解説する。彼の数学的著作から応用科学における実践的な貢献まで、その多岐にわたる業績を網羅する。
3.1. 数学的著作
スターリングは、その生涯においていくつかの重要な数学的著作を発表した。彼の学術的な貢献はこれらの著作を通じて広く知られることとなった。
- 『Lineae tertii ordinis Newtonianae, sive illustratio tractatus d. Newtoni de enumeratione linearum tertii ordinis. Cui subjungitur, solutio trium problematum』(1717年、オックスフォード)
- この著作は、『ニュートンの三次曲線』とも称され、アイザック・ニュートンによる三次大数曲線の分類の正しさを厳密に証明したものである。
- 1797年にはパリで再版された。
- 『Methodus differentialis: sive tractatus de summatione et interpolatione serierum infinitarum』(1730年、ロンドン)
- この著作は『差分法:または無限級数の合計と補間に関する論考』と訳され、スターリングの最も重要な業績とされる。
- この書において、スターリング数が初めて用いられた。
- 1764年にはロンドンで、1749年にはハリデイによる英語訳がロンドンで出版された。
- 王立協会への論文「地球の形状とその表面における重力の変動について」(1735年)
3.2. 応用科学と工学
スターリングは純粋数学だけでなく、応用科学や工学の分野でも実践的な貢献をした。
- スコットランド鉱業会社のマネージャー
- 1735年、彼はリードヒルズのスコットランド鉱業会社にマネージャーとして採用された。
- 彼の在任中、1736年には彼のためにスコットランド鉱業会社邸が建設された。この邸宅は現在、スコットランドの文化遺産に指定されている。
- トロンプの発明
- 王立協会に提出された次の論文は、純粋科学ではなく応用科学に関するものであった。具体的には、スコットランドの鉛鉱山で使用された水力空気圧縮機であるトロンプ(水力空気圧縮機)について記述されている。この論文は1744年に『Philosophical Transactions』に掲載された。
- グラスゴーの港湾開発への貢献
- 彼の名は、後に大々的な事業へと発展する別の実用的な事業にも関連している。1752年のグラスゴー市会計記録によると、グラスゴーを海港にするために費やされた最初の1000万ポンドの支払いの一部(28 GBP 4シリング4ペンス)が、「ジェームズ・スターリング、数学者、水深を増すための水門による河川測量における彼の奉仕、労力、尽力に対して」銀製のティーケトルを贈呈するために使われた。
3.3. 数学的概念と定理
ジェームズ・スターリングにちなんで名付けられた主要な数学的概念と定理は以下の通りである。
- スターリング数
- スターリング置換
- スターリングの近似
- アイザック・ニュートンの三次平面曲線の分類の正しさの証明
4. 私生活
スターリングの個人的な側面としては、彼の文学的な遺物、すなわち論文、書簡、そして度量衡に関する論文の2巻の写本が、故郷のガーデンに現在も保存されている。
5. 死


スターリングは1770年12月5日にエディンバラで死去した。彼の遺体はエディンバラのグレーフライアーズ教会墓地に埋葬された。
6. 遺産
ジェームズ・スターリングの数学と科学への影響は永続的である。彼の名にちなんだスターリング数、スターリング置換、スターリングの近似といった概念は、現在でも数学、統計学、物理学などの幅広い分野で基礎的なツールとして用いられている。特に、スターリングの近似は、階乗の値を近似するための強力な手法として、統計力学や確率論において不可欠な役割を果たしている。
また、彼の著作『Methodus differentialis』は、無限級数の和と補間に関する重要な論考であり、微積分学の発展に貢献した。アイザック・ニュートンの三次平面曲線の分類を証明した業績は、代数幾何学の初期の発展における彼の重要な貢献を示している。
さらに、スコットランド鉱業会社でのマネージャーとしての活動や、水力空気圧縮機(トロンプ)の発明、グラスゴーの港湾開発への関与といった応用科学・工学分野での実践的な業績は、彼が単なる理論家にとどまらず、社会の具体的な問題解決にも深く関与したことを示している。これらの多岐にわたる貢献を通じて、ジェームズ・スターリングは数学史および科学史において重要な位置を占める人物として記憶されている。