1. 初期キャリアとプロデビュー
スティーブン・ハウィーは、サンダーランドで生まれ育ち、ニューカッスル・ユナイテッドでプロとしてのキャリアをスタートさせた。初期はストライカーとしてプレーしていたが、後にディフェンダーへコンバートされ、そのポジションで才能を開花させた。
1.1. 出生と幼少期
スティーブン・ノーマン・ハウィーは、1971年10月26日にイングランドのサンダーランドで生まれた。彼の兄であるリー・ハウィーもまたサッカー選手であり、主にニューカッスル・ユナイテッドのライバルであるサンダーランドでプレーした。
1.2. プロキャリアの初期段階
ハウィーは、1989年12月11日にニューカッスル・ユナイテッドとプロ契約を結び、キャリアをスタートさせた。当初はユースチームやリザーブチームでストライカーとしてプレーしていたが、当時の監督であるオズワルド・アルディレスの構想により、攻撃から守備へとコンバートされた。
2. クラブキャリア
スティーブン・ハウィーは、そのプロキャリアの大部分をニューカッスル・ユナイテッドとマンチェスター・シティで過ごし、それぞれのクラブで重要な役割を果たした。これらのクラブでの成功に加え、その後の短期間の移籍も含め、彼の選手としての足跡をたどる。
2.1. ニューカッスル・ユナイテッド
ハウィーは、ケビン・キーガンが率いるニューカッスル・ユナイテッドが1992-93シーズンにフットボールリーグ・ファーストディビジョンで優勝し、プレミアリーグへの昇格を果たしたチームの重要な一員であった。昇格後も、彼はレギュラーのセンターバックとして定着したが、怪我による欠場も多かった。ニューカッスル在籍中、クラブは1995-96シーズンと1996-97シーズンの2度にわたりプレミアリーグで準優勝し、FAカップでも1997-98シーズンと1998-99シーズンに準優勝を経験した。ハウィーは、スティーブ・ワトソン、ロビー・エリオット、リー・クラークらと共にニューカッスルユースアカデミー出身の成功した選手の一人として、現在でもニューカッスルで非常に人気のある人物である。
2.2. マンチェスター・シティ
2000年8月、プレミアリーグに昇格したばかりのマンチェスター・シティは、ハウィーを獲得するためにニューカッスルへ200.00 万 GBPを支払った。彼のデビュー戦はチャールトン・アスレティックとの試合で4対0で敗れ、マンチェスター・シティが降格する失望的なシーズンとなった。しかし、ハウィーは翌シーズンもチームに残り、ファーストディビジョンで優勝し、プレミアリーグへの即座の復帰に貢献した。マンチェスター・シティでの最後のシーズンでは、チームのプレミアリーグで上位半分の順位での残留に貢献した。マンチェスター・シティでの3シーズンで、ハウィーは合計11ゴールを挙げた。マンチェスター・シティ在籍中のハイライトの一つは、オールド・トラッフォードで行われた宿敵マンチェスター・ユナイテッドとのダービーマッチで、試合終了間際に同点ゴールを決めたことである。この試合は、ロイ・キーンとアルフィー・ハーランドの衝突があったことでも記憶されている。
2.3. その後のクラブキャリア
2003年6月、ハウィーは昇格したばかりのプレミアリーグのチーム、レスター・シティに移籍金非公開で加入した。レスターで13試合に出場した後、2004年1月28日にボルトン・ワンダラーズへ移籍したが、ここではわずか3試合の出場に終わり、契約を解除された。2004年8月26日には、スティーブ・ニコルが率いるMLSのニューイングランド・レボリューションと「シニアインターナショナル」として契約を結んだ。その2日後にはD.C. ユナイテッドとの0-0の引き分けでデビューを飾り、その後2試合連続で先発出場したが、それ以降の出場はなく、11月26日に契約解除となった。2005年3月、ハウィーはハートリプール・ユナイテッドと短期契約を結び、そこでの最後の出場が彼の16年間のプロキャリアの幕を下ろした。
3. 代表キャリア
スティーブン・ハウィーは、イングランド代表として4試合に出場し、UEFA EURO '96の代表メンバーに選ばれるなど、国際舞台でも活躍した。
ハウィーはイングランド代表として4試合に出場し、いずれも先発出場を果たした。彼の代表デビューは、1994年11月にウェンブリー・スタジアムで行われたナイジェリア戦で、イングランドが1対0で勝利した試合である。その後、1995年のコロンビア戦とポルトガル戦での引き分け試合にも出場し、1996年3月に行われたブルガリアとの試合で1対0の勝利を収めたのが、彼の最後の代表出場となった。ハウィーはUEFA EURO '96のイングランド代表メンバーに招集され、初戦のスイス戦では控えであったが、その後の4試合では怪我により出場選手登録に含まれるほど体調が万全ではなかった。以降、彼はイングランド代表に再び招集されることはなかった。
4. 引退後のキャリア
選手引退後、スティーブン・ハウィーはサッカー指導者として、またメディアでプレゼンターとしても活躍し、多岐にわたるキャリアを築いている。
4.1. 監督・コーチングキャリア
ハウィーは2006年9月にクルック・タウンの監督に就任したが、成績不振のためわずか2ヶ月後に辞任し、短期間ではあったが成功とは言えない監督としてのキャリアを終えた。その後、ミドルズブラでユースチームのコーチを務め、さらにナショナルリーグのビショップ・オークランドで選手として復帰しながら、コーチとしても活動した。2007年にはイースト・ダーラム・カレッジのサッカー育成センターのコーチとなり、2010年にはヘッドコーチに就任した。
4.2. メディア活動
ハウィーは、トータル・スポーツやBBCラジオ・ニューカッスルでプレゼンターとして活動している。彼はマルコ・ガッビアディーニやサイモン・プライドと共にBBCニューカッスルで『トータル・スポーツ』を共同で担当していた。2019年と2020年には、ITVのテレビ番組『ハリーの英雄たち (Harry's Heroesハリーズ・ヒーローズ英語)』の2シーズンに出演した。この番組では、元サッカー監督のハリー・レドナップが、元イングランド代表の選手たちを再び健康でフィットした状態に戻し、ドイツのレジェンドチームとの試合に挑む様子が描かれた。
5. 私生活と健康問題
スティーブン・ハウィーの兄であるリー・ハウィーもまたサッカー選手であり、主にニューカッスルの宿敵サンダーランドでプレーした。2024年12月、53歳になったハウィーは、医療検査により自身の脳認知機能が低下していることが判明したと公表した。彼はこの認知機能低下が、サッカーにおけるヘディングによるものだと考えている。ハウィーは、ジョー・キニアの遺族を含む、プレミアリーグ時代の元サッカー選手4人のうちの一人として、スポーツ当局に対して法的措置を講じた。この問題は、サッカーにおけるヘディングと長期的な健康問題、特に脳への影響について、選手たちの間で深刻な懸念が広がっていることを示している。
6. 主要な功績と受賞歴
- ニューカッスル・ユナイテッド
- フットボールリーグ・ファーストディビジョン: 1992-93
- FAカップ準優勝: 1997-98
- マンチェスター・シティ
- フットボールリーグ・ファーストディビジョン: 2001-02
7. キャリア統計
クラブ | シーズン | リーグ | FAカップ | リーグカップ | その他 | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ニューカッスル・ユナイテッド | 1988-89 | ファーストディビジョン | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | |
1989-90 | セカンドディビジョン | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
1990-91 | セカンドディビジョン | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 11 | 0 | ||
1991-92 | セカンドディビジョン | 21 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 | - | 26 | 2 | ||
1992-93 | ファーストディビジョン | 41 | 2 | 3 | 0 | 5 | 0 | 4 [a] | 0 | 53 | 2 | |
1993-94 | プレミアリーグ | 14 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | - | 17 | 0 | ||
1994-95 | プレミアリーグ | 30 | 1 | 4 | 0 | 4 | 0 | 3 [b] | 0 | 41 | 1 | |
1995-96 | プレミアリーグ | 28 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 | - | 33 | 1 | ||
1996-97 | プレミアリーグ | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 [b] | 0 | 9 | 1 | |
1997-98 | プレミアリーグ | 14 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 3 [c] | 0 | 23 | 0 | |
1998-99 | プレミアリーグ | 14 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 [d] | 0 | 18 | 0 | |
1999-2000 | プレミアリーグ | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 [e] | 0 | 10 | 0 | |
通算 | 191 | 6 | 23 | 0 | 17 | 1 | 11 | 0 | 242 | 7 | ||
マンチェスター・シティ | 2000-01 | プレミアリーグ | 36 | 6 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | 39 | 6 | |
2001-02 | ファーストディビジョン | 34 | 3 | 2 | 0 | 2 | 0 | - | 38 | 3 | ||
2002-03 | プレミアリーグ | 24 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | 26 | 2 | ||
通算 | 94 | 11 | 3 | 0 | 6 | 0 | - | 103 | 11 | |||
レスター・シティ | 2003-04 | プレミアリーグ | 13 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | 15 | 1 | |
ボルトン・ワンダラーズ (期限付き移籍) | 2003-04 | プレミアリーグ | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 3 | 0 | |
ニューイングランド・レボリューション | 2004 | MLS | 3 | 0 | ? | ? | - | ? | ? | ? | ? | |
ハートリプール・ユナイテッド | 2004-05 | リーグ1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 [f] | 0 | 1 | 0 |
キャリア通算 | 305 | 18 | 26 | 0 | 25 | 1 | 11 | 0 | 367 | 19 |
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