1. 概要
ソリン・ミハイ・シンペアヌ(Sorin Mihai Cîmpeanuソリン・ミハイ・シンペアヌルーマニア語/モルドバ語、1968年4月18日生まれ)は、ルーマニアの政治家である。彼は、ヴィクトル・ポンタ政権下の第4次ポンタ内閣、シトゥ内閣、チュカ内閣で教育大臣を歴任した。特に2015年11月5日から17日まで、当時のクラウス・ヨハニス大統領がヴィクトル・ポンタ首相の辞任を受理した後、ルーマニア首相代行を務めた。ヨハニス大統領によるシンペアヌの任命は、新首相候補が選出されるまでの一時的な措置であった。
教育大臣としての在任中、シンペアヌはルーマニアの教育制度に大きな影響を与える数々の政策と改革を推進した。彼の最初の任期では、特に博士号取得者の剽窃に関する緊急法令が物議を醸し、国会で否決された。その後、国民自由党(PNL)の一員として再任された2期目と3期目では、「教育されたルーマニア」プログラムの実施を推進する一方、新型コロナウイルス感染症パンデミックが教育にもたらした課題への対応に追われた。しかし、2022年には自身に対する剽窃疑惑が浮上し、世論からの強い圧力によって教育大臣を辞任するに至った。彼の政治家としてのキャリアは、学術界における輝かしい経歴と、政治家としての重要な役割、そして教育の誠実性や倫理に関する論争が交錯するものであった。
2. 生涯と学術経歴
ソリン・シンペアヌの個人的な背景、学歴、および学術界における彼のキャリアの足跡は、彼の公職の基盤を築いた。
2.1. 幼少期と教育
ソリン・シンペアヌは1968年4月18日にルーマニアのブカレストで生まれた。1986年にブカレストの聖サヴァ国立大学を卒業し、その後、ブカレスト農業科学獣医学大学(USAMV)の土地改良・環境工学部で学び、1991年に卒業した。大学卒業後1年間は、土地改良研究設計研究所で設計技師として勤務した。
2.2. 初期学術活動
1992年から大学でのキャリアを開始し、段階的に昇進を重ねた。彼は準備研究員(1992年~1995年)、研究助手(1995年~1997年)、主任研究員(1997年~2001年)、講師(2001年~2006年)を経て、2006年からは教授を務めている。また、2006年からは博士課程の指導教員も担当している。
ブカレスト農業科学獣医学大学では、土地改良・環境工学部の副学部長(2004年~2008年)を務めた後、学部長(2008年~2012年)に就任し、2012年3月から2014年12月まで同大学の学長を務めた。
彼はまた、複数の専門協会および組織のメンバーでもある。これには、国立土地改良管理機構、ルーマニア一般技術者協会、ルーマニア農村開発財団、国立土壌科学協会、全国大学管理者協会、干ばつ・土地砂漠化・劣化防止全国委員会、農村工学・環境保護研究センター、バイオテクノロジー分野研究センターが含まれる。
3. 政治経歴
シンペアヌは、ルーマニアの教育分野における専門知識と経験を基盤として、公職に進出した。特に、教育大臣として複数回にわたり主要な政策決定に関与し、短い期間ながらも首相代行を務めた。
3.1. 教育大臣在任期間
シンペアヌは3つの内閣で教育大臣を務め、ルーマニアの教育制度に大きな影響を与えた。彼の在任期間は、重要な改革と同時に、激しい論争と批判に直面した。
3.1.1. 第1期在任
シンペアヌは2014年12月17日に第4次ポンタ内閣で国民教育大臣に任命された。最初の任期中、彼は論争の的となった緊急法令を主導した。この法令は、博士号取得者が学位を放棄することを許可することで、実質的に剽窃者を恩赦する内容であった。この法令は、当時のヴィクトル・ポンタ首相自身が博士論文の剽窃で告発されていたことを背景に、特に強い批判を受けた。しかし、国会議員はこの緊急法令に反対票を投じ、その施行を阻止した。
当時、シンペアヌはいずれの政党にも属していなかった。彼は保守党の党首であるダニエル・コンスタンティンによってポンタ内閣の教育ポートフォリオに推薦され、支持された。彼はブカレスト農業大学の学長職を一時停止されており、また全国学長評議会の議長職も一時停止されていた。
3.1.2. 第2期および第3期在任
国民自由党(PNL)の一員となったシンペアヌは、2020年12月23日にシトゥ内閣の教育大臣に再び任命された。当時のPNL党首ルドヴィク・オルバンは、この任命について「シンペアヌは『教育されたルーマニア』プログラム実施の保証人である」と説明した。このプログラムは2016年にクラウス・ヨハニス大統領によって初めて発表されたものである。シンペアヌがシトゥ内閣に任命されたことについては、彼の最初の任期における活動、特に「学術論文の剽窃者を保護する」とされる法案を巡る経緯から批判が上がった。その後、2021年11月25日には、シトゥ内閣の後継であるチュカ内閣で、3期目の教育大臣に就任した。
しかし、彼の2期目と3期目は、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって大きく特徴づけられた。パンデミックは教育に深刻な影響を与え、2020年3月11日以降、ルーマニア全国で学校閉鎖が実施された。例外として、感染率が住民1,000人あたり3件未満の地域では、2020年9月14日から11月8日までの期間に学校が部分的または完全に開校された。2021年2月8日の学校再開以降、学校閉鎖とオンライン学習への移行が全国規模で再び実施されることはなくなり、物理的な対面授業が最も重要な目標とされた。
2022年、シンペアヌはルーマニアの学年構造の変更から始め、いくつかの改革を主導した。これには、新学期開始日を9月の最初の月曜日に変更することや、2学期制から5つの「モジュール」制への移行が含まれた。その後、彼は新しい教育法の制定にも着手した。これらの改革は大きな批判を受け、彼の「解雇と教育法の撤回」を求める請願活動まで発展した。批判者たちは、これらの法律が「個別指導産業と剽窃産業」に新たな推進力を与えるものだと見なした。
また、シンペアヌ自身もこの時期に剽窃で告発された。彼は、自身が教えていた大学の講義資料で、他の2人の教授の著作から92ページを盗用したと報じられた。シンペアヌは、これらの告発は教育法の採択を阻止することを目的としたものだと反論した。しかし、世論からの強い圧力により、彼は2022年9月29日に教育大臣を辞任した。
3.2. 首相代行在任期間
2015年11月5日、ヴィクトル・ポンタ首相の辞任を受けて、クラウス・ヨハニス大統領はソリン・シンペアヌを首相代行に任命した。任命後、シンペアヌは投資家と債権者に対し、「ルーマニアは安定の要因であり続けなければならない」と強調した。また、ルーマニア国民に対しては、国の信頼を維持するために可能な限り均衡の取れた経済が必要であると述べた。
彼はまた、暫定政府が国の2016年度予算計画の策定を継続する意向を示したが、暫定政府には新しい法律を可決する権限はないことも明言した。この短期間の任期は、新しい首相候補が選出されるまでの橋渡し役としての役割に限定された。
4. 学術および研究活動
シンペアヌは、政治家としてのキャリアと並行して、学術分野でも活発な研究活動を行ってきた。彼は80以上の科学論文と11の専門書籍または大学教科書を執筆している。また、専門家集団の一員または専門コンサルタントとして60以上のプロジェクトに参加しており、その中には3つの国際プロジェクトも含まれる。
2012年以降、シンペアヌはルーマニア技術科学アカデミーの通信会員、ゲオルゲ・イオネスコ・シシェスティ農業林業科学アカデミーの通信会員、および称号・学位・大学証明書認定全国評議会の事務総長を務めている。2013年からは、ルーマニア全国学長評議会の議長を務めており、ルーマニアの高等教育界における中心的な人物の一人である。
5. 受賞と栄誉
ソリン・シンペアヌは、その学術的および公的な貢献に対して、数々の賞や栄誉を受けている。
彼は複数のルーマニアの大学から名誉博士号(Doctor Honoris Causa)を授与されている。具体的には、以下の大学から授与された。
- ゲオルゲ・アサキ・ヤシ工科大学(2014年)
- ブカレスト農業科学獣医学大学(2015年)
- クライオヴァ大学(2017年)
- ニコラエ・バルチェスク陸軍士官学校(2018年)
- コンスタンツァ・オヴィディウス大学(2018年)
- ブカレスト経済大学(2018年)
- クルジュ=ナポカ農業科学獣医学大学(2018年)
これらの名誉博士号は、彼の学術界における深い関与と、ルーマニア国内外での教育への貢献が認められたものである。
また、学術的功績に対して、以下の賞を受賞している。
- 2002年:高等教育科学研究国家評議会から、研究活動に対する「イン・ホック・シグノ・ヴィンチェス」賞。
- 2004年:ルーマニア大統領府から「教育功労」メダル。
- 2013年:EUROLINK - 欧州の家財団から「欧州ルーマニアのための今年の人物」賞。
これらの受賞歴は、シンペアヌの多岐にわたる活動と、ルーマニア社会への貢献を明確に示している。
6. 評価と批判
ソリン・シンペアヌの公的な活動と業績は、肯定的な評価と同時に、特に教育の誠実性に関わる重大な批判に直面してきた。
彼の学術経歴と初期の学術活動は、彼が教育分野の専門家としての地位を確立する上で重要な基盤となった。しかし、政治家としての役割、特に教育大臣としての任期中には、彼が推進した政策や彼自身の行動が、繰り返し物議を醸した。
最も顕著な批判の一つは、2014年の最初の教育大臣任期中に彼が主導した緊急法令である。この法令は、博士号の剽窃者がその学位を放棄することを許可するものであり、当時、ヴィクトル・ポンタ首相(自身も剽窃疑惑の渦中にあった)を保護するための措置ではないかとの強い疑念が持たれた。この法令は「剽窃者の恩赦」と批判され、最終的に国会で否決されたことは、彼の政策が国民の信頼を損ねたことを示唆している。このような政策は、学術的誠実性を重視する中央左派および社会自由主義の視点から見ると、学術倫理の侵害であり、教育システムの健全性を損なうものと評価される。
2020年以降の2度目と3度目の教育大臣任期では、「教育されたルーマニア」プログラムの推進など、前向きな改革も試みられた。また、COVID-19パンデミックという未曾有の事態において、学校の再開やオンライン学習への移行など、教育の継続性を確保するための対応に尽力した。しかし、2022年に彼が開始した新たな教育法案も、一部から「個別指導産業と剽窃産業」を助長するという批判にさらされた。
さらに深刻なのは、2022年に彼自身が大学の講義資料における剽窃で告発されたことである。これは、2人の教授の著作から92ページを盗用したという具体的な内容であり、教育大臣としての彼の権威を著しく損ねるものであった。この告発は社会的な大きな反発を招き、最終的に彼は教育大臣を辞任せざるを得なくなった。この出来事は、彼が過去に剽窃者を擁護するような政策を推進した経緯と相まって、彼の教育分野におけるリーダーシップに対する信頼を根底から揺るがす結果となった。シンペアヌは、これらの告発が教育法の制定を妨害する目的であると反論したが、公共の圧力は強く、辞任へと至った。
総じて、ソリン・シンペアヌはルーマニアの教育と学術界において重要な役割を果たした人物であるが、特に剽窃を巡る数々の論争と彼自身の行動は、学術倫理と公職の誠実性という観点から、厳しい批判の対象となっている。