1. 生涯
1.1. 名前と語源
「ネオプトレモス」(Νεοπτόλεμος現代ギリシア語)という名前は、ギリシア語で「新しい戦争」を意味する。この名前は、ギリシア神話に登場するアキレウスとデイダメイアの息子である同名の戦士に由来する。彼はまた、古代エピロスのモロシア人を統治したモロシア王家の神話上の祖先とも関連付けられている。
1.2. 家系
ネオプトレモス1世の父はアルケタス1世である。彼の子供たちには、娘のトロアス、アレクサンドロス1世、そしてマケドニア王国のピリッポス2世に嫁ぎ、後にアレクサンドロス大王の母となったオリュンピアスがいる。オリュンピアスは元々「ポリクセナ」という名であったが、ネオプトレモス自身がこの名を改名した可能性がある。これにより、ネオプトレモス1世はアレクサンドロス大王の母方の祖父にあたり、さらにその孫を通じてピュロス1世の曽祖父という極めて重要な血縁関係を有している。彼は自らをギリシア神話の英雄アキレウスとリュコメデス王の子孫であると主張した。また、後にローマ帝国の皇帝となったカラカラ帝も、自身がネオプトレモス1世の子孫であると主張している。
2. 治世
2.1. 王位継承と共同統治
父アルケタス1世の死後、ネオプトレモス1世は兄弟であるアリュバスと王位を巡って争った。しかし、両者は最終的にエピロス王国を分割統治して共同統治することで合意に至った。彼らはその後、両者の間に調和を妨げるような大きな争いもなく、それぞれの割り当てられた領域を統治し続けた。ドイツの歴史家ヨハン・グスタフ・ドロイゼンによると、ネオプトレモス1世の死は紀元前360年頃とされているが、他の資料では紀元前357年まで統治したと記されている。モロシア人同盟に関する最初の碑文的証拠は、ネオプトレモス1世が王位に就いた紀元前370年にまで遡る。
3. 関連項目
- エピロス王国の君主一覧
- アルケタス1世 (エピロス王)
- アリュバス (エピロス王)
- アレクサンドロス1世 (エピロス王)
- オリュンピアス
- アレクサンドロス大王
- ピュロス1世
- アキレウス
- リュコメデス
- モロシア人同盟