1. 概要
ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手であるビエンヴェニード・"ベン"・リベラ・サンタナ(Bienvenido Rivera Santanaビエンヴェニード・リベラ・サンタナスペイン語、1968年1月11日 - )は、アメリカ合衆国のMLB、台湾のCPBL、日本のNPB、そして韓国のKBOリーグという、多様な国際プロ野球リーグで活躍した投手である。彼は、1993年にフィラデルフィア・フィリーズの一員としてナショナルリーグ優勝に貢献し、また、NPBの阪神タイガースでは球団新記録となる27セーブを達成するなど、各リーグで守護神として顕著な功績を残した。CPBL、NPB、KBOの3つのアジアリーグ全てでプレーした初の選手として、そのユニークなキャリアパスも特筆される。
2. 生涯と初期のプロ経歴
リベラ・サンタナは、ドミニカ共和国に生まれ、早くから野球の才能を示し、プロの道へと進んだ。そのキャリアは北米のメジャーリーグから始まり、その後アジアの主要プロ野球リーグへと舞台を移し、国際的な活躍を遂げた。
2.1. 出生と初期キャリア
ビエンヴェニード・リベラ・サンタナは1968年1月11日にドミニカ共和国で生まれた。彼のプロ野球キャリアは、1986年にアトランタ・ブレーブスと契約したことから始まった。
2.2. メジャーリーグベースボール (MLB) 時代
リベラ・サンタナは1992年4月9日にメジャーリーグデビューを果たした。同年シーズン途中にフィラデルフィア・フィリーズへ移籍し、1992年から1994年までの3シーズンをMLBで過ごした。特に1993年には、ナショナルリーグで優勝したフィリーズの一員として活躍した。
3. アジアプロ野球での活躍
リベラ・サンタナは、メジャーリーグでの経験を経て、アジアの主要な3つのプロ野球リーグでキャリアを広げ、それぞれの国でその投球術を披露した。
3.1. 中華職棒(CPBL)時代
1997年、リベラ・サンタナは台湾の中華職棒に所属する和信ホエールズに入団し、本格的にリリーフ投手に転向した。この転向は成功を収め、彼は抑え投手として好成績を記録した。2004年には誠泰コブラズに入団し、7年ぶりに台湾球界に復帰した。
3.2. 日本プロ野球(NPB)時代
台湾での活躍が評価され、1998年に日本の日本プロ野球、阪神タイガースに入団した。阪神での1年目から、彼の最速150km/hを超える速球を武器に守護神としてチームを支え、当時球団新記録となる27セーブをマークする目覚ましい活躍を見せた。
しかし、2年目の1999年には、引き続き抑え投手として好成績を維持したものの、走者を背負った場面でのセットポジションからの投球や、バント処理における不安といった欠点が露呈した。これらの起用法を巡っては、当時の野村克也監督と対立することもあった。シーズン途中に右ひじを故障し、治療のために帰国したが、治療期間中に球団が戦力外を通告したため、そのまま阪神を退団することとなった。
阪神入団時には「鎌のようなスライダーが武器」という触れ込みがあったが、実際のピッチングではストレートが主体であり、スライダーが決め球となることは少なかった。また、「左腕でも130km/hが出る」という両投げが可能であるという触れ込みもあったが、これも実際の試合で披露されることはなかった。
3.3. KBOリーグ時代
2001年、リベラ・サンタナは韓国のKBOリーグに所属するサムスン・ライオンズと契約した。この入団により、彼はCPBL、NPB、KBOというアジアの主要な3つのプロ野球リーグ全てでプレーした初の選手となり、そのキャリアにユニークな記録を加えた。サムスン・ライオンズへの入団には、日本時代に同じセントラル・リーグで守護神として活躍した宣銅烈の推薦が大きく影響した。
阪神時代と同様に、彼は抑えとして起用され、6月の時点で6勝21セーブをマークするなど活躍を見せた。しかし、毎回のようにイニング跨ぎをさせられるなど、過酷な起用が続いた影響で球威が低下し、さらに腰の状態も悪化した。これにより、シーズン途中でチームを解雇されることとなった。
4. 後期キャリアと引退
アジアでのキャリアを終えた後、リベラ・サンタナは再びプレーの場を移した。2002年にはメキシカンリーグでプレーし、怪我からの回復を目指した。2004年には台湾のCPBLへ復帰し、誠泰コブラズでプレーしたが、その後2005年には再びメキシカンリーグでプレー。同年限りで現役を引退した。
5. 引退後の活動
プロ野球選手としての引退後、リベラ・サンタナは野球界との繋がりを維持した。2010年からは、かつて所属した阪神タイガースの中南米担当スカウトに就任し、新たな才能の発掘に尽力している。
6. プレースタイルと特徴
リベラ・サンタナのプレースタイルは、その豪快な投球によって特徴づけられる。主な武器は、150km/hを超える速球であり、打者を力でねじ伏せる投球が持ち味であった。
入団時の触れ込みとしては「鎌のようなスライダーが武器」とされていたが、実際の投球では速球が主体であり、スライダーはそれほど多用されなかった。また、左腕でも130km/hの球を投げられる、いわゆる「両投げ」の能力があるという噂もあったが、公式戦でその能力が披露されることは一度もなかった。
7. 通算成績と主要記録
リベラ・サンタナは、MLB、CPBL、NPB、KBOリーグと多岐にわたるプロ野球リーグで活躍し、各リーグで投手として様々な記録を残した。
7.1. 年度別投手成績
年 度 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992 | ATL | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 78 | 15.1 | 21 | 1 | 13 | 2 | 2 | 11 | 0 | 0 | 8 | 8 | 4.70 | 2.22 |
PHI | 20 | 14 | 4 | 1 | 0 | 7 | 3 | 0 | -- | .700 | 409 | 102.0 | 78 | 8 | 32 | 2 | 2 | 66 | 5 | 0 | 32 | 32 | 2.82 | 1.08 | |
'92計 | 28 | 14 | 4 | 1 | 0 | 7 | 4 | 0 | -- | .636 | 487 | 117.1 | 99 | 9 | 45 | 4 | 4 | 77 | 5 | 0 | 40 | 40 | 3.07 | 1.23 | |
1993 | 30 | 28 | 1 | 1 | 0 | 13 | 9 | 0 | -- | .591 | 742 | 163.0 | 175 | 16 | 85 | 4 | 6 | 123 | 13 | 0 | 99 | 91 | 5.02 | 1.60 | |
1994 | 9 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | -- | .429 | 176 | 38.0 | 40 | 7 | 22 | 0 | 1 | 19 | 3 | 0 | 29 | 29 | 6.87 | 1.63 | |
1997 | 和信 | 49 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 19 | 0 | .500 | 355 | 86.0 | 59 | 2 | 37 | 2 | 9 | 112 | 9 | 1 | 29 | 24 | 2.51 | 1.12 |
1998 | 阪神 | 44 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 27 | -- | .400 | 220 | 53.0 | 44 | 2 | 19 | 1 | 0 | 45 | 1 | 0 | 14 | 14 | 2.38 | 1.16 |
1999 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 12 | -- | .500 | 98 | 25.1 | 15 | 0 | 6 | 0 | 0 | 29 | 1 | 0 | 4 | 2 | 0.71 | 0.83 | |
2001 | 三星 | 36 | 0 | 0 | 0 | -- | 6 | 3 | 21 | 0 | .667 | 248 | 58.1 | 52 | 7 | 33 | 2 | 0 | 63 | 2 | 0 | 18 | 17 | 2.62 | 1.46 |
2004 | 誠泰 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 4 | 0 | .667 | 89 | 23.1 | 15 | 1 | 8 | 2 | 0 | 26 | 1 | 1 | 4 | 4 | 1.54 | 0.99 |
MLB:3年 | 67 | 49 | 5 | 2 | 0 | 23 | 17 | 0 | -- | .575 | 1405 | 318.1 | 314 | 32 | 152 | 8 | 11 | 219 | 21 | 0 | 168 | 160 | 4.52 | 1.46 | |
CPBL:2年 | 65 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 6 | 23 | 0 | .538 | 444 | 109.1 | 74 | 3 | 45 | 4 | 9 | 138 | 10 | 2 | 33 | 28 | 2.30 | 1.09 | |
NPB:2年 | 73 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 39 | -- | .429 | 318 | 78.1 | 59 | 2 | 25 | 1 | 0 | 74 | 2 | 0 | 18 | 16 | 1.84 | 1.06 | |
KBO:1年 | 36 | 0 | 0 | 0 | -- | 6 | 3 | 21 | 0 | .667 | 248 | 58.1 | 52 | 7 | 33 | 2 | 0 | 63 | 2 | 0 | 18 | 17 | 2.62 | 1.46 |
7.2. 記録
- NPB初登板:1998年4月5日、対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)
7.3. 背番号
- 51 (1992年、アトランタ・ブレーブス)
- 34 (1992年途中 - 1994年、フィラデルフィア・フィリーズ / 1997年、和信ホエールズ)
- 49 (1998年 - 1999年、阪神タイガース)
- 14 (2001年、サムスン・ライオンズ)
- 36 (2004年、誠泰コブラズ)
8. 評価と影響
リベラ・サンタナのキャリアは、その国際的な広がりと、各リーグでの守護神としての確かな貢献によって特徴づけられる。
8.1. 貢献と肯定的評価
彼は阪神タイガースにおいて、1998年に球団新記録となる27セーブを達成するなど、その力強い投球でチームの守護神として絶大な存在感を示した。また、韓国のKBOリーグにおいても、短期間ながらチームの抑えとして成功を収め、日韓台の3つのアジアプロ野球リーグ全てでプレーした初の選手という、歴史的な記録を打ち立てたことは、その国際的な活躍の証左である。
8.2. 困難と主な出来事
リベラ・サンタナのキャリアは、常に順風満帆だったわけではない。阪神タイガース時代には、走者を背負った際の投球やバント処理における弱点が指摘され、当時の野村監督との間で起用法を巡る対立が生じた。また、右ひじの故障によりシーズン途中で帰国を余儀なくされ、治療中に球団から戦力外通告を受けるという苦い経験もしている。
韓国のKBOリーグ、サムスン・ライオンズ在籍時には、わずか6月までに6勝21セーブを挙げる活躍を見せたものの、頻繁なイニング跨ぎなど過酷な起用が続いた結果、球威の低下と腰の悪化を招き、シーズン途中で解雇されるという困難に直面した。これらの経験は、彼の才能と貢献にもかかわらず、プロ野球選手としての厳しい側面を示している。
9. 外部リンク
- [https://archive.ph/wnFJz 中華職業棒球大聯盟(李維拉)]
- [https://archive.ph/OGKRo koreabaseball.com(KBOでの成績)]