1. 概要
ラファエル・ガルサ・グティエレス(Rafael Garza Gutiérrezスペイン語、1896年12月13日 - 1974年7月3日)は、メキシコの著名なサッカー選手およびサッカー指導者である。彼はクラブ・アメリカの創設者の一人として知られ、その功績から「レコルド(Récordスペイン語)」という愛称で親しまれた。選手としてはディフェンダーとして活躍し、クラブ・アメリカをリーガ・マヨール昇格に導き、1920年代には同クラブで4度のリーグ優勝を経験した。また、メキシコ代表チームの初代監督を務め、選手としても1930年のFIFAワールドカップ・ウルグアイ大会に出場し、1928年のアムステルダムオリンピックにも参加するなど、国際舞台でも活躍した。引退後もクラブ・アメリカの役員や監督、メキシコ代表監督を複数回務め、1949年にはNAFCチャンピオンシップで優勝を果たすなど、メキシコサッカーの発展に多大な貢献をした、その礎を築いた人物として位置づけられている。
2. 生涯
2.1. 出生と家族
ラファエル・ガルサ・グティエレスは1896年12月13日に生まれた。彼は兄のフランシスコ・ガルサ・グティエレスと共にガルサ家の一員であり、この家族はメキシコサッカー界において重要な役割を果たした。特に、1916年10月12日のアメリカ発見の日(コロンブスの日、Día del descubrimiento de Américaスペイン語)にクラブ・アメリカの創設を主導したことで知られている。
2.2. 愛称
ラファエル・ガルサ・グティエレスは「レコルド(Récordスペイン語)」という愛称で広く知られていた。この愛称は、彼が共同で創設したクラブの一つ「レコルド」に由来しており、後に彼自身の個人的なニックネームとなった。この愛称は、彼のサッカー界における象徴的な存在を強調するものであった。
3. 選手経歴
ラファエル・ガルサ・グティエレスは、ディフェンダーとしてクラブ・アメリカとメキシコ代表チームで活躍し、数々の重要な試合や大会に参加した。
3.1. クラブ・アメリカ
ラファエル・ガルサ・グティエレスは、クラブ・アメリカの創設に深く関与した若者グループの一員であった。1916年10月12日、彼のグループ「レコルド」とヘルマン・ヌニェスのグループ「ウニオン」が統合され、クラブ・アメリカが設立された。クラブ名は設立日の「アメリカ発見」にちなんで名付けられた。
彼はクラブの設立後も中心選手として活躍し、1917年にはクラブ・アメリカをメキシコシティの主要リーグであるリーガ・マヨール(Liga Mayor de la Ciudadスペイン語)への昇格に導いた。ディフェンダーとして、彼はクラブ・アメリカが1924-25シーズンから1927-28シーズンにかけて、4シーズン連続でリーグ優勝を果たす原動力となった。この期間、彼は選手として(1924-25シーズン)、そして選手兼監督として(1925-26、1926-27、1927-28シーズン)チームを牽引した。彼は1932年にクラブ・アメリカでの選手生活を引退した。
3.2. メキシコ代表
ガルサ・グティエレスのクラブでの成功は、メキシコを国際大会で代表するナショナルチームの構想を推進する人々の注目を集めた。1927年にメキシコサッカー連盟(Federación Mexicana de Fútbol Asociaciónスペイン語、FEMEXFUT)が設立されると、彼はメキシコ代表チームの初代監督に選出された(ただし、1923年からは非公式にチームを指導していた)。
選手としては、1930年にウルグアイで開催された第1回FIFAワールドカップに出場し、ディフェンダーとしてプレーした。また、1928年のアムステルダムオリンピックにもサッカーメキシコ代表の一員として参加した。
4. 指導者経歴
選手引退後、ラファエル・ガルサ・グティエレスはサッカー指導者および管理者として、クラブ・アメリカとメキシコ代表チームで重要な役割を担った。
4.1. クラブ・アメリカ
選手引退後、彼は愛するクラブ・アメリカの役員を務め、後に監督も務めた。彼は選手兼監督として、クラブが1926-27シーズンと1927-28シーズンにリーグ優勝を果たすことに貢献した。
4.2. メキシコ代表
メキシコサッカー連盟(FEMEXFUT)設立後の1927年から1928年にかけて、メキシコ代表チームの初代監督を務めた。選手引退後も、彼は1934-35年、1937年、そして1949年と、合計3回にわたりメキシコ代表チームを率いた。特に1949年には、NAFCチャンピオンシップでチームを優勝に導くなど、指導者としても顕著な成果を残した。
5. 主な功績と受賞歴
ラファエル・ガルサ・グティエレスは、選手および指導者としてメキシコサッカー界に数々の輝かしい功績を残した。
5.1. 選手としての受賞歴
- プリメーラ・ディビシオン
- 1924-25シーズン
- 1925-26シーズン
- 1926-27シーズン
- 1927-28シーズン
- コパ・チャレンジャー
- 1927年
5.2. 指導者としての受賞歴
- プリメーラ・ディビシオン
- 1926-27シーズン(クラブ・アメリカ監督)
- 1927-28シーズン(クラブ・アメリカ監督)
- NAFCチャンピオンシップ
- 1949年(メキシコ代表監督)
6. 死去
ラファエル・ガルサ・グティエレスは1974年7月3日に死去した。
7. 遺産と影響力
ラファエル・ガルサ・グティエレスは、クラブ・アメリカの創設者の一人として、また選手および指導者として、メキシコサッカーの発展に計り知れない貢献をした。彼の功績は、単に試合の勝利やタイトルの獲得に留まらず、メキシコにおけるサッカー文化の形成と普及に深く根ざしている。彼は、メキシコ代表チームの初代監督を務め、国際舞台でのメキシコサッカーの地位確立に尽力した。また、長年にわたりクラブ・アメリカの中心人物として、若手選手の育成やクラブ運営にも関わり、後進の指導にも貢献した。彼の存在は、メキシコサッカーの歴史において、その礎を築いた偉大な先駆者として記憶され、その遺産は現代のメキシコサッカーにも脈々と受け継がれている。