1. 生い立ちとユースキャリア
リボル・シオンコは1977年2月1日にチェコのオストラヴァで生まれました。幼少期からサッカーを始め、地元オストラヴァのTJヴィトコヴィツェやFCバニーク・オストラヴァのユースチームでサッカー選手としての基礎を築きました。彼はU-17を含む各世代のチェコ代表チームで活躍しました。
2. クラブキャリア
リボル・シオンコのプロサッカー選手としてのキャリアは、チェコ国内のクラブから始まり、その後オーストリア、スコットランド、デンマークと海外のリーグで経験を積み、最終的に古巣のスパルタ・プラハで引退しました。
2.1. チェコリーグでのキャリア
シオンコのプロキャリアはFCバニーク・オストラヴァで始まりました。彼は1993年から1994年まで、そして1997年から1999年までバニーク・オストラヴァに所属し、合計46試合に出場し11得点を記録しました。この間、TZトリネツ(1994年-1996年)やVTJズノイモ(1996年-1997年)でもプレーしました。
1999年にはACスパルタ・プラハと契約し、チェコ国内のトップリーグであるチェコ・ファーストリーグで成功を収めました。また、UEFAチャンピオンズリーグでも活躍し、1999-2000シーズンと2003-2004シーズンにはグループステージを突破する快挙に貢献しました。スパルタ・プラハでは2004年まで95試合に出場し25得点を挙げました。
2.2. 海外でのキャリア
2004年2月、契約上の問題からACスパルタ・プラハを退団し、オーストリアのグラーツァーAKに移籍しました。彼はグラーツァーAKがクラブ史上初のオーストリア・ブンデスリーガ優勝を果たすのに貢献し、さらにオーストリア・カップも獲得しました。グラーツァーAKでは合計15試合に出場し2得点を記録しました。
その後、FKアウストリア・ウィーンに移籍。2004-2005シーズンのUEFAカップでは、チームが準々決勝に進出する上で主要な選手として活躍しました。2005-2006シーズンには、アウストリア・ウィーンでリーグとカップの国内二冠を達成し、自身2度目のオーストリアでの二冠となりました。アウストリア・ウィーンでは合計63試合に出場し8得点を記録しました。
2006年5月16日、ボスマン判決に基づき、スコットランドの強豪レンジャーズFCに3年契約で移籍しました。同年7月30日のスコティッシュ・プレミアシップ開幕戦、マザーウェルFC戦でデビューし、チームの2対1の勝利に貢献する得点を挙げました。しかし、度重なる負傷により、監督のポール・ル・グエンの下では出場機会が限られました。2006年12月にはチームでの地位を再確立し、ハイバーニアンFCやアバディーンFC戦で得点し、チームの不調からの脱却に貢献しました。レンジャーズでは初シーズンに24試合に出場し3得点を記録しました。
2007年夏、デンマークの王者FCコペンハーゲンと2年契約を結びました。同年8月4日、オーフスGF戦でデビューし、1対0の勝利に貢献する唯一のゴールをアシストしました。ホームデビュー戦となったパルケン・スタディオンでのエスビャウfB戦では、5対2の勝利に貢献する初ゴールを記録しました。一時的にベンチスタートが続きましたが、9月23日のブレンビーIFとの「ニューファームダービー」では先発に復帰し、彼のパスから生まれたゴールで1対0の勝利を収めました。また、デンマーク・カップのFCフレゼリシア戦では2得点、リュンビーBK戦では1得点を挙げ、両試合でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれました。コペンハーゲンでの生活について、彼は「コペンハーゲンは第二の故郷だ」と語るほど家族とともに定着していました。FCコペンハーゲンでは合計54試合に出場し9得点を記録しました。
2.3. スパルタ・プラハへの復帰と引退
2009年秋にはFCコペンハーゲンで出場機会が減少したため、2010年1月に契約を解除し、古巣のACスパルタ・プラハに復帰しました。スパルタ・プラハとは2012年6月までの契約を結び、合計40試合に出場し7得点を記録しました。契約満了後、新たな所属クラブを見つけることができず、2012年8月27日に現役引退を正式に表明しました。
3. 代表キャリア
リボル・シオンコはチェコ共和国の各世代別代表チームで活躍した後、シニア代表に選出され、複数の主要な国際大会に出場しました。
3.1. 代表デビューとシニアキャリア
リボル・シオンコは、U-17、U-18、U-20、U-21といった各世代のチェコ代表チームでプレーしました。1998年5月には非公式の親善トーナメントにも2度出場しています。
シニア代表としてのデビューは1999年4月24日、ポーランド代表との親善試合でした。彼はチェコ代表として通算41試合に出場し、8得点を記録しました。長らく右ウインガーのポジションはカレル・ポボルスキーが務めていたため、シオンコは主に控え選手としての役割を担っていましたが、2010年まで代表で活躍しました。
3.2. 主要大会への参加
シオンコはチェコ代表として、オリンピック、FIFAワールドカップ、UEFA欧州選手権といった主要な国際大会に出場しました。
3.2.1. 2000年シドニーオリンピック
2000年にシドニーで開催されたシドニーオリンピックにチェコ代表として出場しました。彼はグループステージの全3試合に出場しましたが、チェコはアメリカ合衆国、カメルーンと引き分け、クウェートには敗れ、グループ最下位でグループステージ敗退となりました。
3.2.2. 2006 FIFAワールドカップ
2006 FIFAワールドカップでは、負傷したヴラディミール・シュミツェルの代替選手としてチェコ代表に招集されました。彼のFIFAワールドカップデビューは2006年6月17日のガーナ戦でしたが、この試合はガーナが2対0で勝利しました。シオンコは数試合で途中出場しましたが、チェコ代表はグループステージで敗退しました。
3.2.3. UEFA EURO 2008
UEFA EURO 2008にもチェコ代表として参加しました。2008年6月11日に行われたグループステージ第2戦のポルトガル戦では、デコが先制点を挙げたわずか9分後の前半17分にシオンコが同点ゴールを決めました。しかし、その後クリスティアーノ・ロナウドとリカルド・クアレスマに追加点を許し、チェコは1対3で敗れました。この結果、ポルトガルは準々決勝進出を決めました。チェコはグループA最終戦でトルコと対戦し、一時2点リードしながらも後半の終盤に3点を失い、2対3で逆転負けを喫しました。これによりチェコはグループ3位で敗退となりました。
4. 国際試合ゴール記録
リボル・シオンコがチェコ代表として記録した国際試合でのゴールは以下の通りです。
(スコアと結果はチェコ共和国の得点を先に示す。スコア欄はシオンコの各ゴール後のスコアを示す。)
No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2003年11月12日 | ナ・スティナドレフ、テプリツェ、チェコ共和国 | カナダ | 4-0 | 5-1 | 親善試合 |
2 | 2006年9月6日 | テヘルネ・ポレ、ブラチスラヴァ、スロバキア | スロバキア | 1-0 | 3-0 | UEFA EURO 2008予選 |
3 | 2-0 | |||||
4 | 2007年10月17日 | アリアンツ・アレーナ、ミュンヘン、ドイツ | ドイツ | 1-0 | 3-0 | UEFA EURO 2008予選 |
5 | 2008年5月30日 | レトナ・スタジアム、プラハ、チェコ共和国 | スコットランド | 1-0 | 3-1 | 親善試合 |
6 | 3-1 | |||||
7 | 2008年6月11日 | スタッド・ドゥ・ジュネーヴ、ジュネーヴ、スイス | ポルトガル | 1-1 | 1-3 | UEFA EURO 2008 |
8 | 2008年10月15日 | ナ・スティナドレフ、テプリツェ、チェコ共和国 | スロベニア | 1-0 | 1-0 | 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
5. 受賞歴
リボル・シオンコは、選手キャリアを通じて以下の主要なタイトルと個人賞を獲得しました。
- オーストリア・ブンデスリーガ
- 優勝: 2003-2004 (グラーツァーAK), 2005-2006 (FKアウストリア・ウィーン)
- オーストリア・カップ
- 優勝: 2003-2004 (グラーツァーAK), 2004-2005 (FKアウストリア・ウィーン), 2005-2006 (FKアウストリア・ウィーン)
- デンマーク・スーペルリーガ
- 優勝: 2008-2009 (FCコペンハーゲン)
- デンマーク・カップ
- 優勝: 2008-2009 (FCコペンハーゲン)
- チェコ・ファーストリーグ
- 優勝: 1999-2000 (ACスパルタ・プラハ), 2000-2001 (ACスパルタ・プラハ), 2002-2003 (ACスパルタ・プラハ)
- チェコ・カップ
- 優勝: 2003-2004 (ACスパルタ・プラハ)
- 個人賞
- FCコペンハーゲン 年間最優秀選手: 2007-2008