1. 概要
レジナルド・エドガー・ウォーカー(Reginald Edgar Walker英語、1889年3月16日 - 1951年11月5日)は、南アフリカ共和国の陸上競技選手であり、1908年ロンドンオリンピック男子100メートル競走の金メダルリストである。
彼はオリンピック100メートル競走の史上最年少優勝者であり、南アフリカに初のオリンピック金メダルをもたらした。
2. 初期生い立ちと背景
レジナルド・ウォーカーの出生地と幼少期の背景について述べる。
2.1. 出生と幼少期
ウォーカーは1889年3月16日、イギリスの植民地であったナタール植民地(現在の南アフリカ共和国)のダーバンで生まれた。
3. 陸上競技キャリア
ウォーカーの陸上競技キャリアは、南アフリカでの国内選手権での成功から始まり、1908年のロンドンオリンピックでの歴史的な金メダル獲得で頂点に達した。
3.1. 南アフリカ選手権
彼は1907年に南アフリカチャンピオンとなり、その実力を示した。
3.2. 1908年ロンドンオリンピック
1908年のロンドンオリンピックは、ウォーカーの陸上競技キャリアにおける最も輝かしい舞台となった。
3.2.1. 参加への道のりと準備
ウォーカーは1907年の南アフリカチャンピオンであったが、1908年ロンドンオリンピックの優勝候補とは見なされていなかった。さらに、彼はロンドンへの渡航費用が不足しており、参加が危ぶまれていた。しかし、地元のナタール州のスポーツ記者が資金を募り、彼の渡航を支援したことで、ようやくオリンピックに参加することができた。イギリスでは、後にハロルド・エイブラハムスのコーチも務めた著名なサム・マサビーニの指導を受けた。
3.2.2. オリンピックレース
オリンピック本番、ウォーカーは予選で11秒0のタイムを記録し、比較的容易に準決勝に進出した。準決勝では、アメリカのウィリアム・メイらを退け、オリンピック新記録となる10秒8のタイムで決勝に進出を決めた。多くの有力選手が決勝に残れない中、ウォーカーは決勝の舞台に立った。決勝では、彼を含め3人の北米の選手との対決となり、特に準決勝でウォーカーと同じ10秒8の記録を出していたアメリカのジェームス・レクターとの激戦が予想された。
3.2.3. 優勝と記録
決勝のスタートでウォーカーは素早くリードを奪ったが、中盤を過ぎるとレクターが追いつき、一時的に並びかけた。しかし、ウォーカーは全力を振り絞り、レクターと並走しながら、最終的には約1歩半の差で先にゴールし、再びオリンピック記録に並ぶ10秒8のタイムで優勝を果たした。

この勝利により、ウォーカーは19歳128日という若さでオリンピック100メートル競走の史上最年少優勝者となり、また南アフリカに初のオリンピック金メダルをもたらした。
4. 軍歴
第一次世界大戦中、ウォーカーは南アフリカ陸軍に所属し、まずドイツ領南西アフリカで第7歩兵隊として従軍した。その後、1917年には南アフリカ海外遠征軍に加わり、フランスの西部戦線で戦った。この従軍中に、彼は頭部に銃創を負った。ウォーカーは1919年に陸軍を除隊した。
5. 晩年
軍を除隊した後、ウォーカーはケニア植民地のナイロビにあるロープス・アンド・マッティングス社で書記官として働いた。その後、彼は南アフリカへ帰国し、その地で生涯を終えた。
6. 遺産
レジナルド・エドガー・ウォーカーは、19歳128日という若さでオリンピック100メートル競走の金メダルを獲得し、この記録は現在も破られていない。彼の金メダルは、南アフリカにとって初のオリンピック金メダルであり、南アフリカの陸上競技史における先駆者としての地位を確立した。彼の功績は、その後の南アフリカのスポーツ界に大きな影響を与え、後進の選手たちに希望とインスピレーションを与え続けた。