1. 概要
アルフレド・デスパイネ・ロドリゲス(Alfredo Despaigne Rodríguezスペイン語、1986年6月17日 - )は、キューバ出身のプロ野球選手(外野手、指名打者)。キューバ国内リーグのグランマ・アラサネスに所属し、過去にはメキシカンリーグのピラタス・デ・カンペチェ、日本プロ野球(NPB)の千葉ロッテマリーンズと福岡ソフトバンクホークスで活躍した。彼は特にその卓越した本塁打能力と長打力で知られ、キューバ国内リーグでは本塁打記録を樹立し、NPBでは本塁打王と打点王のタイトルを獲得するなど、両国で顕著な功績を残した。また、キューバ野球国家代表チームの一員として、夏季オリンピック、ワールド・ベースボール・クラシックなどの主要な国際大会に数多く出場し、多くのメダル獲得に貢献するなど、キューバ野球の国際舞台での存在感を高める上で重要な役割を果たしている。
2. 幼少期と背景
アルフレド・デスパイネは1986年6月17日にキューバのサンティアーゴ・デ・クーバ州にあるパルマ・ソリアーノで生まれた。彼の野球への情熱は幼い頃から芽生え、後にキューバのナショナルチームを代表する選手として、その才能を国内外で開花させることとなる。
3. プロ経歴
デスパイネのプロ野球キャリアは、キューバ国内リーグを皮切りに、メキシコ、そして日本へとその舞台を広げ、各リーグでその強打を披露し、印象的な成績を残してきた。

3.1. キューバ国内リーグ(初期)
デスパイネは、海外リーグ移籍前はキューバ国内リーグのグランマ・アラサネスでプレイし、その類稀なる打撃力でリーグを席巻した。2009年には、キューバ国内リーグの本塁打記録を更新し、打率.373、97打点という圧倒的な成績を記録した。この活躍により、彼はナショナルシリーズのMVPに選出された。2010年も引き続き傑出したパフォーマンスを見せ、様々な打撃部門で上位にランクインした。さらに2012年には、キューバ国内リーグのレギュラーシーズンにおいて、35本塁打という新たな本塁打記録を樹立し、その長打力を改めて証明した。
3.2. メキシカンリーグ
2013年6月21日、デスパイネはメキシカンリーグのピラタス・デ・カンペチェと契約し、短期間ながらもその実力を示した。このシーズンは33試合に出場し、打率.338、出塁率.364、長打率.564、8本塁打、24打点を記録した。翌2014年にはカンペチェで20試合に出場し、打率.346、出塁率.407、長打率.603、5本塁打、15打点をマークした。メキシカンリーグでの活躍は、彼がキューバ国外のリーグでも適応できる能力を持っていることを示唆するものであった。
3.3. 日本プロ野球(NPB)
デスパイネは2014年より日本の日本プロ野球(NPB)に参戦し、千葉ロッテマリーンズと福岡ソフトバンクホークスの2球団で長きにわたり中心選手として活躍した。
3.3.1. 千葉ロッテマリーンズ
2014年7月15日、デスパイネは千葉ロッテマリーンズと契約し、同年7月29日にNPBデビューを果たした。移籍初年度は45試合の出場ながら、打率.311、12本塁打、33打点と高い適応力を見せた。シーズン終了後の12月8日には、マリーンズと2年契約を締結した。2015年シーズンは103試合に出場し、打率.258、18本塁打、62打点を記録。続く2016年シーズンには、134試合で打率.280、24本塁打、92打点と成績を向上させた。しかし、2016年12月20日、マリーンズはデスパイネとの契約を更新しないことを発表し、翌日にはNPBの自由契約選手となった。
3.3.2. 福岡ソフトバンクホークス
千葉ロッテマリーンズを退団後、デスパイネは2017年2月11日に福岡ソフトバンクホークスと契約した。
ホークス移籍初年度の2017年シーズンは、136試合に出場し、打率.262、35本塁打、103打点と素晴らしい成績を収めた。この年、彼はパシフィック・リーグの本塁打王、打点王、そしてベストナインに選出され、NPBオールスターゲームではMVPを獲得するなど、チームの優勝に大きく貢献した。
2018年シーズンは116試合に出場し、打率.238、29本塁打、74打点を記録した。また、この年にはNPBオールスターゲームにも選出された。
2019年シーズンは130試合に出場し、打率.259、36本塁打、88打点と再び好成績をマークした。さらに、この年の日本シリーズでは優秀選手賞を受賞し、チームの日本一に貢献した。シーズン終了後の2019年12月2日には、自由契約選手となった。
2020年1月22日、デスパイネは福岡ソフトバンクホークスと新たに2年契約を結んだ。しかし、COVID-19パンデミックの影響でキューバからの渡航が遅れ、日本に到着したのは7月19日となった。このシーズンは25試合の出場にとどまり、打率.224、6本塁打、12打点という成績だった。しかし、読売ジャイアンツとの2020年の日本シリーズでは、11月22日の第2戦で満塁本塁打を放つなど1試合6打点を記録し、日本シリーズの1試合最多打点記録に並んだ。彼の活躍はチームの4年連続日本一に大きく貢献した。
2021年シーズンは、開幕から27試合で打率.220、1本塁打、6打点と不振に陥り、5月3日には一軍登録を抹消された。その後、5月24日には2020年東京オリンピックの野球競技の予選に出場するため、キューバ野球国家代表チームに合流するためアメリカへ渡った。6月9日に日本に再入国し、所定の隔離期間を経て8月1日にチームに合流した。8月21日の千葉ロッテマリーンズ戦で、開幕以来初となる本塁打を記録した。シーズン後半には調子を取り戻し、9月30日には打率を.271まで上げた。最終的に80試合出場で打率.264、10本塁打、41打点という成績でシーズンを終え、推定年俸2.70 億 JPYでホークスと再契約した。
2022年シーズンは、キューバ国内リーグで右足首を負傷した影響で、シーズン開幕一軍入りを逃した。5月17日にようやく一軍に合流。6月3日には交流戦の中日ドラゴンズ戦でシーズン初本塁打を放った。しかし、6月28日に新型コロナウイルス検査で陽性となり、再び一軍登録を抹消された。7月13日にチームに復帰し、翌14日のオリックス・バファローズ戦では2点本塁打を放った。このシーズンは度重なる離脱があったものの、89試合に出場し、打率.269、14本塁打、40打点を記録した。2022年シーズン終了後、彼は自由契約選手となった。
2023年5月31日、デスパイネはホークスと再契約した。しかし、7月にチームに合流したものの、出場はわずか20試合にとどまった。12月1日、ホークスはデスパイネとの契約を解除すると発表した。
3.4. キューバ国内リーグ(復帰後)
日本でのキャリアを終えた後、デスパイネは2024年のキューバ国内リーグで再びグランマ・アラサネスの一員としてプレーを続けている。
4. 国際キャリア
アルフレド・デスパイネは、キューバ野球国家代表チームの一員として、数多くの国際大会に出場し、その存在感を示してきた。2007年には顕著な活躍を見せ、以降、キューバ代表チームの主力選手として欠かせない存在となった。
4.1. 主要国際大会出場
彼は以下の主要な国際大会でキューバ代表として出場している。
- 2004年AAA世界野球選手権大会
- 2007年ハーレムベースボールウィーク
- 2007年IBAFワールドカップ
- 2008年北京オリンピックの野球競技
- 2009 ワールド・ベースボール・クラシック
- 2010年世界大学野球選手権大会
- 2010年インターコンチネンタルカップ
- 2011年パンアメリカン競技大会の野球競技
- 2012年チャイニーズタイペイ・CPBLオールスターとの親善試合
- 2012年日本代表との親善試合
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック
- 2014年中央アメリカ・カリブ海競技大会の野球競技
- 2015年パンアメリカン競技大会の野球競技
- 2015 WBSCプレミア12
- 2017 ワールド・ベースボール・クラシック
4.2. 国際大会でのメダルと栄誉
デスパイネはキューバ野球国家代表チームとして、以下のメダルや個人栄誉を獲得している。
- 2008年北京オリンピックの野球競技: 銀メダル
- 2007年IBAFワールドカップ: 銀メダル
- 2009年IBAFワールドカップ: 銀メダル
- 2010年インターコンチネンタルカップ: 金メダル
- 2011年パンアメリカン競技大会の野球競技: 銅メダル
- 2015年パンアメリカン競技大会の野球競技: 銅メダル
- 2014年中央アメリカ・カリブ海競技大会の野球競技: 金メダル
- 2007年ハーレムベースボールウィーク: ベストヒッター
5. 受賞と個人栄誉
アルフレド・デスパイネは、そのプロおよび国際野球キャリアを通じて数多くの個人賞と表彰を受けてきた。
- 日本シリーズ優勝(2017年、2018年、2019年、2020年):チームの一員として4度の日本一に輝いた。
- NPBオールスター選出(2017年、2018年、2019年)
- NPBオールスターゲームMVP(2017年)
- ベストナイン(2017年、2019年):パシフィック・リーグの指名打者部門で受賞。
- パシフィック・リーグ本塁打王(2017年)
- パシフィック・リーグ打点王(2017年)
- 日本シリーズ優秀選手賞(2019年)
- キューバナショナルシリーズMVP(2009年)
- 2007年ハーレムベースボールウィーク ベストヒッター
6. 功績と評価
アルフレド・デスパイネは、その卓越した打撃力と国際舞台での活躍により、キューバ野球と国際野球の両方に計り知れない影響を与えた選手として評価されている。キューバ国内リーグでは本塁打記録を更新するほどの支配的な打者であり、その活躍はキューバ国民の誇りであった。日本プロ野球では、千葉ロッテマリーンズと福岡ソフトバンクホークスという異なる文化や環境に適応し、中心打者として数々のタイトル獲得やチームの日本一に貢献した。特にソフトバンクホークスでの連続日本一は、彼の勝負強さとリーダーシップを象徴する功績である。
彼はキューバが社会主義国としての道を歩む中で、国際的なプロリーグで活躍する数少ない「公認された」選手の一人として、キューバ野球の国際化と発展に寄与した。彼の存在は、キューバ人選手が国外リーグで活躍する可能性を広げ、野球を通じて国際交流を促進する象徴的な役割を果たしたと言える。国家代表チームの一員としての献身的な姿勢と、オリンピックやワールド・ベースボール・クラシックといった大舞台でのメダル獲得への貢献は、彼の野球選手としての技術的な能力だけでなく、キューバ国家への忠誠心と国民からの支持を示すものであった。デスパイネは、単なる強打者としてだけでなく、キューバ野球の国際的地位向上に貢献した、歴史的な意味を持つ選手として記憶されるだろう。