1. 概要
アレクサンドル・ゲンナージエヴィチ・ザイツェフ(Александр Генナдьевич Зайцевアリクサーンドル・ギンナーヂイェヴィチュ・ザーイツェフロシア語、Alexander Gennadyevich Zaitsevアレクサンドル・ゲンナージエヴィチ・ザイツェフ英語)は、ソビエト連邦出身の元ペアスケーティング選手である。パートナーのイリーナ・ロドニナと共に、1970年代から1980年代初頭にかけてフィギュアスケート界を席巻し、2度のオリンピック金メダル(1976年、1980年)、6度の世界選手権優勝、7度のヨーロッパ選手権優勝という輝かしい実績を残した。彼らは1973年から1980年にかけて出場した全ての大会で優勝し、史上最も成功したペアチームの一つとされている。引退後はコーチやスポーツ行政に携わり、私生活ではロドニナと結婚し息子をもうけたが、後に離婚している。
2. 生い立ちと背景
アレクサンドル・ザイツェフは、ソビエト連邦のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)で生まれ育った。
2.1. 出生と成長
ザイツェフは1952年6月16日にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のレニングラードで生まれた。彼は後にペアパートナーとなるイリーナ・ロドニナよりも3歳年下であり、経験も浅かったが、急速に技術を習得していった。
3. スケートキャリア
アレクサンドル・ザイツェフのフィギュアスケート選手としてのキャリアは、主にイリーナ・ロドニナとのペア時代に築かれた。
3.1. イリーナ・ロドニナとのパートナーシップ結成
1972年4月、当時のコーチであるスタニスラフ・ジュークの推薦により、ザイツェフはイリーナ・ロドニナの新たなパートナーとして選ばれた。ロドニナは既に4度の世界選手権優勝と1972年オリンピック金メダルを獲得しており、以前のパートナーであったアレクセイ・ウラノフがリュドミラ・スミルノワと組むために彼女のもとを去った後であった。ザイツェフはロドニナよりも若く、経験も少なかったが、すぐに頭角を現した。彼はレニングラード出身であったのに対し、ロドニナはモスクワ出身であった。
3.2. コーチング
ロドニナとザイツェフのペアは、当初スタニスラフ・ジュークの指導を受けていた。しかし、1974年にはジュークとの関係が悪化したため、彼らはコーチをタチアナ・タラソワに変更し、モスクワでトレーニングを続けた。タラソワの指導の下、彼らはさらなる成功を収めることとなる。
3.3. 主な競技実績
ロドニナとザイツェフのペアは、1973年から1980年にかけて出場した全ての大会で優勝するという、フィギュアスケート史上類を見ない圧倒的な強さを見せた。
3.3.1. オリンピックでの成功
彼らは2度の冬季オリンピックで金メダルを獲得した。
- 1976年インスブルックオリンピック:初のオリンピック金メダルを獲得。
- 1980年レークプラシッドオリンピック:2大会連続となる金メダルを獲得。これはロドニナにとって3度目のオリンピック金メダルであった。
3.3.2. 世界選手権での圧倒的な強さ
彼らは6年連続で世界選手権を制覇した。
- 1973年世界選手権(ブラチスラヴァ)
- 1974年世界選手権(ミュンヘン)
- 1975年世界選手権(コロラドスプリングス)
- 1976年世界選手権(イェーテボリ)
- 1977年世界選手権(東京)
- 1978年世界選手権(オタワ)
3.3.3. ヨーロッパ選手権での成功
彼らは7度のヨーロッパ選手権優勝を果たした。
- 1973年ヨーロッパ選手権(ケルン)
- 1974年ヨーロッパ選手権(ザグレブ)
- 1975年ヨーロッパ選手権(コペンハーゲン)
- 1976年ヨーロッパ選手権(ジュネーヴ)
- 1977年ヨーロッパ選手権(ヘルシンキ)
- 1978年ヨーロッパ選手権(ストラスブール)
- 1980年ヨーロッパ選手権(イェーテボリ)
3.3.4. その他の主要タイトル
上記の国際大会の他にも、彼らは国内大会やその他の国際大会で多くのタイトルを獲得した。
- ソビエト選手権:1973年、1974年、1975年、1977年に優勝。
- モスクワ国際(Prize of Moscow News):1978年に優勝。
3.4. キャリアにおける重要な出来事
ロドニナとザイツェフのキャリアには、いくつかの特筆すべき出来事があった。

- 1973年世界選手権での音楽中断事件**: 1973年世界フィギュアスケート選手権のショートプログラム中に、彼らの演技音楽が停止するという事件が発生した。これは、プラハの春弾圧への報復としてチェコ人作業員が意図的に行った可能性が指摘されている。しかし、彼らは集中力を保ち、音楽なしで演技を完遂し、スタンディングオベーションを受けた。この演技が評価され、彼らは金メダルを獲得し、ライバルであるスミルノワとウラノフを再び破った。
- ロドニナの妊娠と復帰**: 1978-79年シーズンは、ロドニナの妊娠のため競技会を欠場した。彼らの息子は1979年2月23日に誕生した。その後、彼らは1980年に競技に復帰し、2度目のオリンピック金メダルを獲得した。
- 無敗記録**: 彼らは1973年から1980年にかけて出場した全ての大会で優勝し、この期間無敗を誇った。
4. 成績
イリーナ・ロドニナとのペアスケート競技結果を以下に示す。
大会/年 | 1972-73 | 1973-74 | 1974-75 | 1975-76 | 1976-77 | 1977-78 | 1978-79 | 1979-80 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
オリンピック | 1 | 1 | ||||||
世界選手権 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||
欧州選手権 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | |
ソビエト選手権 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||
モスクワ国際 | 1 |
5. 引退後
1979-80年シーズン終了後、アレクサンドル・ザイツェフは競技生活から引退した。
5.1. コーチングとスポーツ行政
競技引退後、ザイツェフはフィギュアスケートのコーチとして活動を開始した。また、一時期はスポーツ行政にも関与し、フィギュアスケート界の発展に貢献した。
6. 私生活
アレクサンドル・ザイツェフは、ペアパートナーであるイリーナ・ロドニナと私生活でもパートナーとなった。
1975年4月、ザイツェフとロドニナは結婚した。彼らの間には、1979年に息子が誕生し、彼もアレクサンドルと名付けられた。しかし、後に二人は離婚している。
7. レガシーと評価
アレクサンドル・ザイツェフは、イリーナ・ロドニナとのパートナーシップを通じて、フィギュアスケートの歴史にその名を刻んだ。
7.1. 歴史的影響
ロドニナとザイツェフのペアは、その圧倒的な競技成績と無敗記録により、史上最も成功し、最も多くのタイトルを獲得したペアチームとして広く認識されている。彼らの演技は、その後のペアスケーティングの技術と芸術性に大きな影響を与えた。
7.2. 特筆すべき出来事
2023年、ザイツェフが1980年レークプラシッドオリンピックで獲得した金メダルが、RRオークションで9.30 万 USDで落札された。このメダルは、買い手手数料を含めるとこの価格になった。ザイツェフ自身は、この売却には関与しておらず、メダルは元妻の両親が保管していたと述べている。