1. 概要

エステル・フェルヘール(Esther Vergeerエステル・フェルヘールオランダ語)は、オランダ出身の元車いすテニス選手であり、「プロスポーツ史上最も支配的な選手」と広く称賛されています。彼女は1999年から引退する2013年まで世界ランキング1位を維持し続け、特に2003年1月30日以降はシングルスで一度も敗れることなく、引退までに驚異的な470連勝という未曾有の記録を打ち立てました。この記録には、120のトーナメント優勝、73人の異なる対戦相手を破り、95回もスコア6-0, 6-0の「ダブルベーグル」を達成したことが含まれます。連勝中に失ったセットはわずか18で、マッチポイントを握られたのは一度きりでした。
彼女のキャリアを通じて、グランドスラムシングルスで21回、ダブルスで22回、パラリンピックでシングルス4個、ダブルス3個の金メダルを獲得し、さらにNEC車いすテニスマスターズではシングルス14回、ダブルス9回と圧倒的な成績を収めました。これらの偉業は、車いすテニスの地位向上と社会的な認知度の改善に大きく貢献し、障害を持つ人々、特に子どもたちに大きな希望とインスピレーションを与えました。彼女は障害を持つ子どものための財団を設立するなど、社会貢献活動にも積極的に取り組んでおり、その影響はスポーツ界を超えて広く及んでいます。
2. 生涯初期
エステル・フェルヘールは1981年7月18日、オランダのユトレヒト州ワーデンに生まれました。身長は178 cm、体重は62 kgであった。幼少期に脳の健康上の課題に直面し、その後の彼女の人生に大きな影響を与えることになります。
2.1. 病気と障害
6歳の時、水泳の授業後にめまいを感じ、意識を失いました。病院での検査の結果、彼女の脳に水分が溜まっていることが判明し、脳内出血も併発していました。医師は彼女の脳にシャントを設置し、6週間後に退院しましたが、1989年6月に再び頭痛、眼窩の圧迫感、首の痛みを訴えるようになります。しかし、この時には原因不明とされました。同年10月には鼠径部周辺の痛みを訴え始め、ホリデーシーズン中には脳卒中を起こし、再びシャントの設置が必要となりました。
最終的に、医師たちはフェルヘールの脊髄周辺に血管性脊髄症という異常があることを発見します。この異常が、彼女が経験した脳卒中の原因でした。1990年1月15日には9時間にわたる大手術を受けましたが、この手術が原因で彼女は両足を動かせなくなり、下半身麻痺となりました。同年3月にもう一度手術を受けましたが、麻痺は残りました。
2.2. スポーツへの導入
下半身麻痺となった後のリハビリテーションの一環として、エステルは車いすバレーボール、車いすバスケットボール、そして車いすテニスといった様々な車いすスポーツを学び始めました。特に車いすバスケットボールでは、クラブレベルで数年間プレーした後、オランダのナショナルチームに招集されます。彼女は、1997年に欧州選手権で優勝したオランダチームの一員として活躍しました。
12歳で車いすテニスを本格的に始めると、この競技に情熱を傾けるようになり、後の圧倒的なキャリアの基礎を築くことになります。
3. 車いすテニスキャリア
エステル・フェルヘールは、車いすテニス選手として類を見ない支配的なキャリアを築き、数々の記録を打ち立てました。
3.1. 初期キャリアと世界ランキング1位への昇格 (1995-2004)
1995年にプロ転向を果たしたフェルヘールは、翌1996年にチルブルフでシングルスのタイトルを獲得し、メルンでも決勝に進出するなど、初期からその才能の片鱗を見せ始めました。アントニーとジュネーブでの大会でも活躍を見せ、1998年には主要大会の一つであるNEC車いすテニスマスターズで優勝を果たしました。
2000年に開催されたシドニーパラリンピックでは、シングルスで1セットも落とすことなく金メダルを獲得し、マーイケ・スミットをパートナーに組んだダブルスでも金メダルを獲得しました。この快挙は、彼女が世界のトッププレーヤーとして台頭したことを決定づけました。
彼女の圧倒的な強さは早くから注目を集め、1999年4月6日には初めて世界ランキング1位に上り詰めます。一時的にその座を譲るも、2000年10月2日には再び世界1位の座を奪還し、その後は一度もその座を譲ることなく引退まで維持し続けました。2003年には、ワールドチームカップでオランダチームを16度目の優勝に導き、自身もノッティンガムでタイトルを獲得しました。さらに2004年のアテネパラリンピックでも、シングルスとダブルスの両方で金メダルを獲得し、その支配力を確固たるものにしました。
3.2. 未曾有の連勝記録と支配 (2005-2013)
2003年1月30日にシドニーインターナショナルでダニエラ・ディトーロ(オーストラリア)に敗れて以降、エステル・フェルヘールはシングルスで一度も敗れることなく、キャリアを終えました。この驚異的な連勝記録は470試合に及び、彼女がプロスポーツ史上最も支配的な選手と称される所以となりました。この間、彼女は120のトーナメントで優勝し、73人の異なる対戦相手に勝利しました。さらに、95回もの試合で6-0, 6-0の「ダブルベーグル」スコアを達成しました。連勝中に失ったセットはわずか18セットで、マッチポイントを握られたのは、2008年北京パラリンピックの女子シングルス決勝でコリー・ホーマン(オランダ)と対戦したわずか一度だけでした。この試合では、彼女は2つのマッチポイントをしのぎ、勝利を収めました。

彼女は2007年に女子車いすテニス史上初となる年間グランドスラムを達成しました。この年、彼女は全豪オープン、全仏オープン、全米オープンの全3つのグランドスラムタイトルを制覇しました。ダブルスでもイースケ・グリフィウーンと組み、多くのタイトルを獲得しました。
2008年にも、彼女はシングルスとダブルスの両方で利用可能なグランドスラムタイトルをすべて獲得しました。また、2008年のNEC車いすテニスマスターズでも優勝し、この大会で11度目のタイトルを獲得しました。
2009年には再びシングルスグランドスラムを達成。同年12月には、世界ランキング1位を10年間維持したことを祝い、2009年のITF世界チャンピオンに選ばれました。
2010年には全仏オープンと全米オープンのシングルスで優勝。また、年間最終戦であるNEC車いすテニスマスターズでも優勝し、400連勝という節目を達成しました。この年も世界ランキング1位を維持しました。
2011年には、シングルスグランドスラムを達成。ウィンブルドン選手権決勝でセットカウント5-2からの逆転勝利や、全米オープンでのタイブレークからの勝利など、粘り強さも見せました。この年もNEC車いすテニスマスターズで優勝し、12年連続でITF世界チャンピオンに輝きました。
2012年ロンドンパラリンピックでは、シングルスで4大会連続の金メダルを獲得し、車いすテニス史上最も多くのメダルを獲得した選手となりました。ダブルスでもマルヨレイン・バイスと組み、金メダルを獲得しました。この大会での成功は、彼女のキャリアを華々しく締めくくるものとなりました。
4. 主な成果と受賞
エステル・フェルヘールは、その圧倒的なキャリアを通じて、数多くの主要な大会で優勝し、数々の栄誉に輝きました。
4.1. 主要大会での優勝
彼女のキャリアにおける主な優勝記録は以下の通りです。
- シングルス:
- 生涯通算タイトル数: 169
- グランドスラム: 21回優勝
- 全豪オープン:9回(2002年、2003年、2004年、2006年、2007年、2008年、2009年、2011年、2012年)
- 全仏オープン:6回(2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年)
- 全米オープン:6回(2005年、2006年、2007年、2009年、2010年、2011年)
- パラリンピック: 4個の金メダル
- シドニーパラリンピック(2000年)、アテネパラリンピック(2004年)、北京パラリンピック(2008年)、ロンドンパラリンピック(2012年)
- NEC車いすテニスマスターズ: 14回優勝(1998年、1999年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年)
- ダブルス:
- 生涯通算タイトル数: 136
- グランドスラム: 22回優勝
- 全豪オープン:8回(2003年、2004年、2006年、2007年、2008年、2009年、2011年、2012年)
- 全仏オープン:5回(2007年、2008年、2009年、2011年、2012年)
- ウィンブルドン:3回(2009年、2010年、2011年)
- 全米オープン:6回(2005年、2006年、2007年、2009年、2010年、2011年)
- パラリンピック: 3個の金メダル(2000年、2004年、2012年)、1個の銀メダル(2008年)
- NEC車いすテニスマスターズ: 9回優勝(2001年、2002年、2003年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2011年)
- チーム戦:
- ワールドチームカップ: オランダ代表として14回優勝
4.2. 受賞と栄誉
フェルヘールは、その傑出した功績が称えられ、以下のような権威ある賞や栄誉を多数受賞しています。
- ローレウス世界スポーツ賞(障害者部門): 2002年と2008年の2回受賞。この賞は、スポーツ界で最も輝かしい成果を上げた個人やチームに贈られる世界的な栄誉です。
- 国際テニス殿堂入り: 2023年に殿堂入りが発表されました。これは、テニス界における彼女の長期にわたる影響と貢献が認められた証です。
- 「プロスポーツ史上最も支配的な選手」としての評価: 多くのスポーツ専門家やメディアから、ロジャー・フェデラーやキム・クライシュテルスといった著名な選手たちからも、彼女の連勝記録と卓越したパフォーマンスはプロスポーツ界のトップと称賛されました。
- ITF世界チャンピオン: 2000年から引退する2012年まで、13年連続で国際テニス連盟(ITF)が選出するITF世界チャンピオンに輝きました。
- オランダ障害者スポーツ選手賞: 2002年、2003年、2005年、2008年、2010年にこの国内栄誉を受賞しました。
- ESPN The Magazineの「Body Issue」掲載: 2010年10月、同誌の年間特集号で障がいを持つアスリートとして初めてヌードモデルを務め、障がい者の身体に対する認識を広める上で重要な役割を果たしました。
5. 影響と遺産
エステル・フェルヘールのキャリアは、車いすテニス界だけでなく、より広い社会にも具体的な影響を与え、彼女の功績は大きな遺産として残されています。
5.1. 車いすテニスへの影響
彼女の圧倒的な強さとメディアでの露出は、車いすテニスという競技の地位向上と社会的な認知度の変化に多大な貢献をしました。彼女が試合で勝利を重ねるたびに、車いすテニスはより多くの人々の注目を集め、その競技としての魅力やアスリートたちの能力が広く認識されるようになりました。特に、テレビ放映や主要なテニス大会での車いす部門の導入が進む中で、フェルヘールの活躍は、この競技が世界的なスポーツイベントの一部として確立される上で重要な役割を果たしました。彼女は、車いすテニスが単なるリハビリテーション活動ではなく、高度な技術と精神力を要する本格的なプロスポーツであることを証明しました。
5.2. 社会的影響と貢献
フェルヘールは、スポーツにおける功績だけでなく、障害を持つ人々に対する認識改善にも深く貢献しました。彼女自身が下半身麻痺という困難を乗り越え、世界トップレベルで活躍する姿は、多くの人々、特に障害を持つ子どもたちにとってのロールモデルとなりました。
彼女は、障害を持つ子どものための財団「エステル・フェルヘール財団」(Esther Vergeer Foundation英語)を設立し、車いすテニスや他のスポーツの機会を提供することで、子どもたちが身体活動を通じて社会参加し、自信を育む支援を行っています。この財団の活動は、障害を持つ子どもたちが直面する障壁を打ち破り、彼らの可能性を広げることに焦点を当てています。
また、彼女は2008年北京パラリンピックの開会式でオランダ選手団の旗手を務め、障がい者スポーツの顔としてその存在感を示しました。彼女の活動は、障害者が社会の中で積極的に活躍し、健常者と同じようにスポーツや人生を楽しめることを世に示し、多様性と包摂性を推進する上で多大なインスピレーションを与えました。彼女の遺産は、次世代の障害を持つアスリートたちに道を開き、より公平で理解のある社会の実現に寄与しています。
6. 引退
エステル・フェルヘールは、2013年2月12日にプロ車いすテニス選手としての引退を発表しました。彼女の最後の公式大会は、2012年ロンドンパラリンピックであり、そこでシングルスとダブルスの両方で金メダルを獲得し、有終の美を飾りました。引退発表時も、彼女は世界ランキング1位の座を維持していました。
引退後も、彼女は自身が設立したエステル・フェルヘール財団の活動に引き続き尽力し、障害を持つ子どもたちのスポーツ参加を支援しています。また、国際テニス連盟(ITF)の車いすテニス大使を務めるなど、引き続き車いすテニス界の発展に貢献しています。
7. キャリア統計
7.1. グランドスラムシングルス成績
大会 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 生涯SR | 生涯勝率 |
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グランドスラム大会 | |||||||||||||||||
全豪オープン | 開催なし | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 不参加 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 不参加 | 優勝 | 優勝 | 9 / 9 | 100% | |||
全仏オープン | 開催なし | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 6 / 6 | 100% | ||||||||
全米オープン | 開催なし | 優勝 | 優勝 | 優勝 | NH | 優勝 | 優勝 | 優勝 | NH | 6 / 6 | 100% |
7.2. グランドスラムダブルス成績
大会 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 生涯SR | 生涯勝率 | ||
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グランドスラム大会 | |||||||||||||||||
全豪オープン | 開催なし | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | 不参加 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 不参加 | 優勝 | 優勝 | 8 / 9 | 89% | |||
全仏オープン | 開催なし | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | 5 / 6 | 89% | ||||||||
ウィンブルドン | 開催なし | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 準決勝 | 3 / 4 | 75% | ||||||||||
全米オープン | 開催なし | 優勝 | 優勝 | 優勝 | NH | 優勝 | 優勝 | 優勝 | NH | 6 / 6 | 100% |
7.3. パラリンピックおよびマスターズ成績
大会 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 生涯SR | 生涯勝率 |
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NEC車いすテニスマスターズ | |||||||||||||||||
シングルス | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 14 / 14 | 100% | |
ダブルス | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 予選敗退 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 不参加 | 優勝 | 9 / 11 | 82% | |||
パラリンピック | |||||||||||||||||
シングルス | 開催なし | 金 | 開催なし | 金 | 開催なし | 金 | 開催なし | 金 | 4 / 4 | 100% | |||||||
ダブルス | 開催なし | 金 | 開催なし | 金 | 開催なし | 銀 | 開催なし | 金 | 3 / 4 | 75% |