1. 概要

エリザベート・ベルクナー(Elisabeth Bergnerドイツ語、1897年8月22日 - 1986年5月12日)は、オーストリア出身のイギリス人女優である。主に舞台女優として活躍し、ベルリンやパリでキャリアを築いた後、ロンドンへ移り、映画にも出演した。彼女は世俗的ユダヤ人の家庭に育ち、ナチズムの台頭によって祖国を離れざるを得なかった経験を持つ。この経験は、その後の彼女の国際的な活動の原動力となり、また彼女の生涯は、有名な映画『イヴの総て』や小説『メフィスト』など、後世のフィクション作品に多大な影響を与えた。
彼女の代表的な役は、マーガレット・ケネディが彼女のために書き下ろした戯曲『Escape Me Neverエスケープ・ミー・ネバー英語』のジェマ・ジョーンズである。この舞台作品の映画化作品で、彼女はアカデミー主演女優賞にノミネートされた。また、1943年にブロードウェイで上演された『The Two Mrs. Carrollsザ・ツー・ミセス・キャロルズ英語』では、ドラマリーグから優秀演技賞を受賞している。
2. 幼少期と初期のキャリア
エリザベート・ベルクナーの個人的な背景として、彼女の出生、幼少期の家庭環境、そして初期の演技活動について記述する。
2.1. 出生と幼少期
エリザベート・ベルクナーは、1897年8月22日にオーストリア=ハンガリー帝国のドロホブィチ(現在のウクライナ領)で、エリザベート・エテル(Elisabeth Ettelドイツ語)またはエラ・ヴェル・エッテル・ベルクナー(Ella vel Ettel Bergnerドイツ語)として生まれた。父親は商人であるエミル(またはシュメルケ・ユダ)・ベルクナー(Emil (- Schmelke Juda) Bergnerドイツ語)、母親はサラ・ベルクナー(旧姓ヴァグナー、Sara (née Wagner) Bergnerドイツ語)である。彼女は世俗的ユダヤ人の家庭で育ち、幼少期に耳にしたヘブライ語は主にヨム・キプルやペサハといった宗教的な行事に関連するものだった。後にイスラエルを訪れた際、彼女は現地の言葉を知らないことを謝罪したという。
2.2. 初期演技活動
彼女はわずか14歳で初めて舞台に立ち、その翌年にはインスブルックの舞台にも出演した。16歳の時には、シェイクスピア劇団とともにオーストリアとドイツの地方を巡業するなど、若くして演技の経験を積んだ。また、彼女は芸術家のモデルとしても活動し、彫刻家ヴィルヘルム・レームブルックのためにポーズを取ることもあった。レームブルックは彼女に恋心を抱いていたという。その後、ベルクナーはミュンヘンを経てベルリンへと活動の拠点を移した。
3. 経歴と主な活動
エリザベート・ベルクナーは、その生涯において数多くの舞台や映画で活躍し、国際的な名声を得た。
3.1. 初期映画デビューと国際的活躍
1923年、彼女は映画『Der Evangelimannデア・エヴァンゲリマンドイツ語』で映画デビューを果たした。その後、ナチズムが台頭し、ドイツにおける人種差別政策が強化されると、ベルクナーは監督のパウル・ツィンナーとともにロンドンへ移住した。彼らは1933年に結婚し、ベルクナーは1938年にイギリスの帰化市民となった。ロンドンでの舞台活動には、J・M・バリーが彼女のために特別に書き下ろした最後の戯曲である『The Boy Davidザ・ボーイ・デビッド英語』(1936年)や、マーガレット・ケネディの『Escape Me Neverエスケープ・ミー・ネバー英語』などがある。彼女が主演し、ツィンナーが監督を務めた映画『Catherine the Greatカザリン大帝英語』(1934年)は、ドイツ政府の人種政策により上映禁止となった。
3.2. 主要な舞台・映画作品
彼女は、ロンドンで初演された『Escape Me Neverエスケープ・ミー・ネバー英語』の舞台版でジェマ・ジョーンズ役を演じ、その後ブロードウェイでの初演でも同じ役を務めた。同作品の映画化作品でも引き続きジェマ・ジョーンズを演じ、アカデミー主演女優賞にノミネートされた。
また、1936年にはシェイクスピアの戯曲『お気に召すまま』の映画化作品で、ローレンス・オリヴィエ演じるオーランドの相手役であるロザリンドを演じた。この映画は、イギリスで製作されたシェイクスピア劇初のトーキー映画であり、シェイクスピア劇全体としても初のトーキー映画であった。ベルクナーは以前にもドイツの舞台でこの役を演じていたが、一部の批評家は、彼女のドイツ語訛りが映画鑑賞の妨げになったと指摘し、この映画は興行的には成功しなかった。彼女はその後も断続的に舞台に戻り、例えば1946年にはジョン・ウェブスターの『The Duchess of Malfiザ・ダッチェス・オブ・マルフィ英語』でタイトルロールを演じた。
1943年、ベルクナーは舞台『The Two Mrs. Carrollsザ・ツー・ミセス・キャロルズ英語』で再びブロードウェイに出演し、この演技によりドラマリーグから優秀演技賞を授与された。
3.3. 戦後の活動と晩年のキャリア
第二次世界大戦後、エリザベート・ベルクナーは1954年に一時的にドイツに帰国し、そこで再び映画や舞台で活動した。ベルリンのシュテーグリッツ=ツェーレンドルフ区にある公園は、彼女にちなんで命名された。
1973年には、ドイツ映画『Der Fußgängerデア・フースゲーガードイツ語』(英題: 『The Pedestrian』)に主演し、この作品はアカデミー国際長編映画賞にノミネートされ、1974年のゴールデングローブ賞 外国語映画賞を受賞した。
3.4. 受賞と栄誉
エリザベート・ベルクナーは、その長いキャリアにおいて数々の賞と栄誉を受けている。
- アカデミー主演女優賞ノミネート(1935年、映画『Escape Me Neverエスケープ・ミー・ネバー英語』)
- ドラマリーグ優秀演技賞(1943年、舞台『The Two Mrs. Carrollsザ・ツー・ミセス・キャロルズ英語』)
- ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞(1974年、主演映画『The Pedestrian』)
- オーストリア科学文化勲章(1980年)
- エレオノーラ・ドゥーゼ賞アゾロ(1982年)
4. 私生活
エリザベート・ベルクナーの私生活は、彼女の結婚や家族関係、そしてフィクション作品に与えた影響によって特徴づけられる。
4.1. 結婚と家族
ベルクナーは、ハンガリー生まれのイギリス人作家、映画監督、プロデューサーであるパウル・ツィンナーと結婚した。彼らの結婚生活は1933年から1972年まで続いた。
4.2. フィクション作品への影響
彼女の個人的な経験は、1950年のアカデミー作品賞受賞映画『イヴの総て』の物語の着想源となった。ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された作家メアリー・オアの死亡記事によると、ベルクナーはオアに、短編小説「The Wisdom of Eveイヴの知恵英語」のインスピレーションとなった経験を語ったという。この短編は1946年に『コスモポリタン』誌に掲載され、その後の舞台化を経て、ジョーゼフ・L・マンキーウィッツの映画『イヴの総て』の脚本の基となった。
このエピソードは、ベルクナーが舞台『The Two Mrs. Carrollsザ・ツー・ミセス・キャロルズ英語』に出演していた時期に起こったとされる。ベルクナーは、劇場の外に何日も立ち尽くしていた「まるで浮浪者のような」若い女性に同情し、彼女を秘書として雇った。しかし、この若い女優はベルクナーの女優としての人生を「乗っ取ろう」と画策したという。
また、ベルクナーはクラウス・マンの小説『メフィスト』に登場するドーラ・マルティンのモデルになったとも言われている。
5. 死去
エリザベート・ベルクナーは、晩年をロンドンで過ごし、1986年5月12日に癌のため88歳で亡くなった。彼女は1986年5月15日にゴルダーズ・グリーン火葬場で火葬され、西回廊には楕円形の記念碑が建てられている。
6. 遺産と影響
エリザベート・ベルクナーは、その生涯を通じて映画や文学に多大な影響を与え、彼女の経験は後世の作品にインスピレーションを与え続けた。
6.1. 映画『イヴの総て』への影響
彼女の個人的な経験は、1950年に公開され、アカデミー作品賞を受賞した映画『イヴの総て』の物語に直接的なインスピレーションを与えた。ベルクナーが作家メアリー・オアに語った出来事、すなわち、彼女が雇った若い付き人が彼女のキャリアと人生を奪おうとしたという話が、オアの短編小説「The Wisdom of Eveイヴの知恵英語」の核となり、最終的にジョーゼフ・L・マンキーウィッツの映画の基礎となった。この作品は、舞台女優の世界における嫉妬、野心、裏切りを描いた古典として知られており、ベルクナーの経験が普遍的なテーマへと昇華された例と言える。
6.2. 文学『メフィスト』への影響
エリザベート・ベルクナーの生涯は、クラウス・マンの1936年の小説『メフィスト』に登場する主要人物の一人、ドーラ・マルティンのモデルになったと言われている。この小説は、ナチズムの台頭期におけるドイツの演劇界を舞台に、権力に魂を売った俳優の堕落を描いた作品である。ベルクナーがナチズムの圧力を受けてドイツを離れ、国際的なキャリアを築いた経験が、この作品のキャラクター造形に影響を与えたと考えられている。
7. 出演作品
エリザベート・ベルクナーが出演した主要な映画作品を年代順に以下に示す。
- 『Der Evangelimannデア・エヴァンゲリマンドイツ語』(1924年) - マグダレーナ役
- 『Husbands or Loversニュウドイツ語』(1924年) - ニュウ役
- 『The Fiddler of Florenceザ・フィドラー・オブ・フローレンス英語』(1926年) - ルネ役
- 『Liebeリーベドイツ語』(1927年) - ヘルツォーギン・フォン・ランゲアイス役
- 『Doña Juanaドニャ・フアナスペイン語』(1928年) - ドニャ・フアナ役
- 『Fräulein Elseフロイライン・エルゼドイツ語』(1929年) - エルゼ・タルホフ役
- 『Ariane女の心フランス語』(1931年) - アリアーヌ・クズネツォワ役
- 『Dreaming Lips夢みる唇英語』(1932年) - ガビー役
- 『The Rise of Catherine the Greatカザリン大帝英語』(1934年) - カザリン役
- 『Escape Me Never逃げちゃ嫌よ英語』(1935年) - ジェマ・ジョーンズ役
- 『お気に召すまま』(1936年) - ロザリンド役
- 『Dreaming Lips夢みる唇英語』(1937年) - ガビー・ローレンス役
- 『Stolen Lifeストールン・ライフ英語』(1939年) - シルヴィーナ・ローレンス / マルティナ・ローレンス役
- 『潜水艦轟沈す』(1941年) - アンナ役(グリニス・ジョンズの代役だったが、出演シーンはカットされた)
- 『Paris Callingパリ・コーリング英語』(1941年) - マリアンヌ・ジャンネティエ役
- 『The Happy Years of the Thorwaldsハッピー・イヤーズ・オブ・ザ・トールヴァルズドイツ語』(1962年) - フラウ・トールヴァルズ役
- 『Cry of the Bansheeクライ・オブ・ザ・バンシー英語』(1970年) - オーナ役
- 『Strogoffストロゴフ英語』(1970年) - マルファ・ストロゴフ役
- 『The Pedestrian』(1973年) - フラウ・リリーエンタール役
- 『Der Pfingstausflugデア・プフィンクスト・アウスフルークドイツ語』(1978年) - マルガレーテ・ヨハンセン役
- 『High Society Limitedハイ・ソサエティ・リミテッド英語』(1982年) - エルゼ役