1. 概要
ガイウス・クラウディウス・グラベル(Gaius Claudius Glaberガイウス・クラウディウス・グラベルラテン語)は、共和政ローマ後期の軍事司令官であり政務官であった人物である。紀元前73年に法務官を務め、第三次奴隷戦争の緒戦であるヴェスヴィオ山の戦いで、スパルタクス率いる奴隷軍によって壊滅的な敗北を喫したことで知られる。ローマ側がこの奴隷の反乱を当初過小評価し、グラベルのような経験の浅い指揮官に任せた結果がこの壊滅に繋がり、その後のスパルタクス軍の勢力拡大を許すことになった。本稿では、彼の生涯とスパルタクスに対する軍事活動、その歴史的意義、そして彼の敗北がもたらした影響について記述する。
2. 生涯
ガイウス・クラウディウス・グラベルの生涯に関する記録は乏しいが、彼の公職への就任と、特に第三次奴隷戦争におけるスパルタクス鎮圧作戦での壊滅的な敗北が特筆される。このセクションでは、彼の背景から軍事活動、そしてヴェスヴィオ山での決定的な敗北、その後の記録の欠如と歴史的評価について詳述する。
2.1. 背景と初期の経歴
グラベルは共和政ローマの平民出身の家系に属していた。著名な貴族のクラウディウス氏族とは遠縁にあたる可能性が指摘されている。紀元前73年に8人選出される法務官の一人に任命されており、これは2名の執政官に次ぐ高官の地位であった。彼の初期の人生や経歴に関する情報は非常に限られており、彼は執政官に昇進することはなく、その後の子孫に関する記録も存在しない。古代の歴史家たちは、彼のスパルタクスに対する悲惨な軍事指導との関連でしか彼に言及していない。歴史学者バリー・S・シュトラウスは、彼の無名さが、紀元前73年の時点においてローマ元老院がスパルタクスの反乱にほとんど注意を払っていなかったことのもう一つの兆候であると指摘している。ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』の梗概では、彼のコグノーメンをプルケルとし、レガトゥス(副官)を務めたと記されている。
2.2. スパルタクス鎮圧作戦
紀元前73年、イタリア半島南部のカプアにあった剣闘士養成所から、トラキア人のスパルタクスを含む約70人の奴隷が脱走し、近傍のヴェスヴィオ山に立て籠もった。これが第三次奴隷戦争(通称「スパルタクスの乱」)の緒戦となる。ローマ元老院は当初、この反乱を単なる山賊による襲撃と見なし、大規模な正規軍を派遣するほどの脅威とは考えていなかった。
グラベルは法務官として、この反乱を鎮圧するために派遣された。彼は正規軍ではなく、急遽かき集められた約3,000人の民兵部隊を率いていた。これは、ローマがこの蜂起を本格的な戦争として認識していなかったことを示している。グラベルの部隊はヴェスヴィオ山に至る唯一の道を閉鎖し、山に立て籠もる奴隷たちを包囲した。グラベルは奴隷たちを山中に封じ込めることに成功したと考え、彼らが飢餓に苦しめられ、やがて降伏するのを待つ戦術を採用した。
2.3. ヴェスヴィオ山での敗北
スパルタクス率いる奴隷軍は軍事訓練をほとんど受けていなかったにもかかわらず、その後の戦いでは驚くべき創意工夫と奇策を発揮した。グラベル軍による包囲に対し、スパルタクス軍はヴェスヴィオ山の斜面に生育するツタや木々を巧みに利用し、それらをロープや梯子に加工した。彼らはこれらの自作の道具を用いて、グラベル軍が想定していなかった山の反対側の崖を懸垂下降し、山を下りた。
奴隷軍はその後、ヴェスヴィオ山のふもとを大きく迂回し、グラベル軍の側背を突く形で奇襲攻撃を仕掛けた。この奇襲により、グラベルの民兵部隊は混乱に陥り、壊滅的な敗北を喫した。グラベルはスパルタクスの非正統的な戦術に適応できず、その部隊は全滅した。古代の史料には、この戦いの指揮官の呼称について若干の異同が見られる。プルタルコスとフロンティヌスは「クラウディウス法務官」や「プブリウス・ヴァリヌス」に言及している一方で、アッピアノスは「ヴァリニウス・グラベル」や「プブリウス・ヴァレリウス」と記している。
2.4. その後の記録と歴史的評価
ヴェスヴィオ山での壊滅的な敗北以降、ガイウス・クラウディウス・グラベルに関するローマの記録は途絶えている。彼がこの戦いで戦死したのか、それとも単にその後の歴史家にとって言及する価値のないほど取るに足らない存在と見なされたのかは不明である。
歴史学者バリー・S・シュトラウスは、グラベルのその後の無名さが、紀元前73年当時のローマ元老院がスパルタクスの反乱をいかに軽視していたかのもう一つの証拠であると述べている。この敗北は、ローマ当局が奴隷反乱を軽んじ、適切な軍事力と戦略をもって対応しなかったという初期の判断ミスを浮き彫りにした。グラベルの失敗は、スパルタクス軍がその後の勢力を拡大し、ローマにとってより深刻な脅威となる転機となった。
3. 大衆文化における描写
スパルタクスの生涯を題材とした様々な映画やテレビシリーズにおいて、ガイウス・クラウディウス・グラベル、または彼に大きく着想を得た人物が描かれている。これらの描写は、史実とは異なる脚色が加えられている場合がある。
- スタンリー・キューブリック監督の1960年の映画『スパルタカス』では、「グラブラス」という史実のグラベルを大まかに基にしたキャラクターとして登場し、ジョン・ドールが演じた。
- 2004年のテレビミニシリーズ『スパルタカス』では、「タイタス・グラブラス」という役名で登場し、ベン・クロスが演じている。
- 2010年のテレビシリーズ『スパルタカス』(原題: Spartacus: Blood and Sand)およびその2012年の続編『スパルタカスII』(原題: Spartacus: Vengeance)では、史実通りの「ガイウス・クラウディウス・グラベル」の名で登場する。このシリーズではクレイグ・パーカーが演じており、グラベルはスパルタクスを奴隷とした個人的な敵として描かれ、スパルタクスとの一騎打ちの末に殺されるなど、他の作品と比較して史実とは大きく異なる役割と運命が与えられている。
4. 歴史的史料
ガイウス・クラウディウス・グラベルに言及または分析している古代ローマの文献および現代の学術研究は以下の通りである。
- サッルスティウス:『歴史』 3.90-93 Maurenbrecher
- リウィウス:『ローマ建国史』梗概(Periochae) 95
- プルタルコス:『対比列伝』「クラッスス伝」 8-9
- フロンティヌス:『ストラテゲマタ』(Stratagems) 1.5.21
- アッピアノス:『ローマ史』「内乱記」 1.116
- フロルス:『ローマ史概説』(Epitome) 2.8.4
- ブライトン, T. ロバート S.:『ローマの政務官、第2巻』(Magistrates of the Roman Republic, vol. 2) 1968年
- ブラッドリー, キース:『ローマ世界の奴隷制と反乱』(Slavery and Rebellion in the Roman World) 1989年
- シュトラウス, バリー S.:『スパルタクス戦争』(The Spartacus War) 2009年