1. 選手経歴
クリスティアン・バセーダスは、キャリアの大部分をアルゼンチンのベレス・サルスフィエルドで過ごし、国内外で数々のタイトルを獲得した。また、アルゼンチン代表としても活躍し、国際大会でメダルを獲得している。
1.1. ユース時代と初期の経歴
バセーダスは、ベレス・サルスフィエルドのユース部門で育成され、1991年3月3日に同クラブでプロデビューを果たした。彼は、クラブが最も成功を収めた1990年代において、重要な選手の一員としてその名を馳せた。
1.2. クラブ経歴
バセーダスは、1990年から2000年までベレス・サルスフィエルドに所属し、公式戦267試合に出場して21得点を記録した。この期間に、彼は4度の国内リーグ優勝に加え、1994年のコパ・リベルタドーレス、1994年のインターコンチネンタルカップ(ACミランに2-0で勝利)、1994年のコパ・インテルアメリカーナ、1996年のスーペルコパ・スダメリカーナ、1997年のレコパ・スダメリカーナを含む5つの国際タイトルを獲得した。
2000年には、イングランドのプレミアリーグに所属するニューカッスル・ユナイテッドに350.00 万 GBPで移籍した。彼は2000年から2003年までの期間ニューカッスルでプレーし、24試合に出場して1得点を挙げた。唯一の得点は2001年1月のチェルシー戦で記録されたが、試合は1-3で敗れた。この期間中、2001-02シーズンにはテネリフェへ短期間レンタル移籍し、14試合に出場した。
2003年、アルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイズに移籍したが、プレシーズンのトレーニング中にサッカーへの情熱を失ったと感じ、30歳で現役引退を決意した。
1.3. 代表経歴
バセーダスは1994年から1999年にかけてアルゼンチン代表として22試合に出場した。1994年11月16日には、ダニエル・パサレラ監督のもと、チリ代表との試合で代表デビューを果たした。彼は1998 FIFAワールドカップ予選に出場したが、本大会のメンバーには選出されなかった。
国際大会では、1995年パンアメリカン競技大会(マル・デル・プラタ開催)で主将を務め、金メダルを獲得。また、1996年アトランタオリンピックでは銀メダルを獲得した。
2. 引退後の経歴
選手引退後、クリスティアン・バセーダスはサッカー解説者としてメディアで活動した後、指導者として複数のクラブで重要な役割を担った。
2.1. サッカー解説者としての活動
現役引退後、バセーダスはフォックス・スポーツ ラテンアメリカでプレミアリーグのサッカー解説者として活動した。
2.2. 指導者・技術顧問としての経歴
2008年末、バセーダスはプリメーラ・ディビシオンのベレス・サルスフィエルドのスポーツコンサルタントに就任した。彼の最初の仕事は、リカルド・ガレカを監督に推薦することだった。彼はまた、マキシミリアーノ・モラレス、セバスティアン・ドミンゲス、ホアキン・ラリベイらの選手獲得交渉においても重要な役割を果たし、ベレスは彼が就任した最初のシーズンである2009年のクラウスーラで優勝を飾った。
2015年11月には、ベレス・サルスフィエルドの監督に就任した。しかし、2016年9月にラシン・クラブに0-3で敗れた後、サポーターからの過激な反応を理由に辞任した。
2017年にはボカ・ウニドスの監督を務め、同年12月20日にはオリンポの監督に就任した。その後、2018年10月6日からはUAIウルキーサの監督を務めている。
3. タイトル・栄誉
クリスティアン・バセーダスは、選手としてだけでなく、ゼネラルマネージャーとしても数々のタイトルを獲得している。
3.1. 選手としてのタイトル・栄誉
3.1.1. クラブでのタイトル
ベレス・サルスフィエルド
- プリメーラ・ディビシオン (4)
- 1993後期リーグ
- 1995前期リーグ
- 1996後期リーグ
- 1998後期リーグ
- コパ・リベルタドーレス (1)
- 1994
- インターコンチネンタルカップ (1)
- 1994
- コパ・インテルアメリカーナ (1)
- 1994
- スーペルコパ・スダメリカーナ (1)
- 1996
- レコパ・スダメリカーナ (1)
- 1997
3.1.2. 代表でのタイトル
- パンアメリカン競技大会 金メダル (1)
- 1995年マル・デル・プラタ
- オリンピック 銀メダル (1)
- 1996年アトランタ
3.2. ゼネラルマネージャーとしてのタイトル・栄誉
ベレス・サルスフィエルド
- プリメーラ・ディビシオン (1)
- 2009クラウスーラ
4. 評価と批判
クリスティアン・バセーダスは、選手時代にはベレス・サルスフィエルドの黄金期を支え、数々のタイトル獲得に貢献した中心選手として高く評価されている。アルゼンチン代表としてもオリンピックでメダルを獲得するなど、その実力は広く認められていた。
引退後、指導者として古巣であるベレス・サルスフィエルドの監督に就任した際には、クラブのレジェンドとしての期待が集まった。しかし、2016年9月にラシン・クラブに敗れた後の出来事は、彼の指導者キャリアにおいて、そしてアルゼンチンサッカー界全体における重要な議論を呼んだ。バセーダスは、敗戦後にサポーターによる暴力的な反応があったことを理由に監督を辞任した。この辞任は、サッカーにおけるフーリガン問題や、サポーターの過激な行動がチーム運営や個人のキャリアに与える負の影響を浮き彫りにするものであった。彼のこの決断は、単なる監督交代にとどまらず、スポーツにおける暴力と人権、社会公平性といった側面を考慮した議論のきっかけを提供した。この一件は、彼の選手としての功績とは異なる、社会的な影響力を示す事例として言及されることがある。