1. 概要
ダグマール・ハーゼ(Dagmar Haseダグマール・ハーゼドイツ語、1969年12月22日生まれ)は、旧東ドイツのケトリンブルク出身の元競泳選手です。彼女は自由形と背泳を専門とし、その多才な能力で知られています。オリンピックでは金メダル1個を含む7個のメダルを獲得し、世界選手権やヨーロッパ選手権でも多数のメダルを手に入れました。特に、1992年のバルセロナオリンピック400メートル自由形での金メダル獲得は、アメリカのジャネット・エバンスの連勝を阻む印象的な勝利でした。また、1994年の世界選手権では、若手選手に自身の出場権を譲るというスポーツマンシップを見せ、その行動は高く評価されています。
2. 生い立ちと背景
ダグマール・ハーゼは1969年12月22日、旧東ドイツのザクセン=アンハルト州ケトリンブルクで生まれました。彼女はドイツ国籍を有し、スポーツクラブ・マクデブルクに所属していました。身長は1.83 m、体重は62 kgで、競泳選手として恵まれた体格を持っていました。幼い頃から水泳に親しみ、その才能を開花させていきました。
3. 競泳キャリア
ダグマール・ハーゼの競泳キャリアは、その卓越した能力と多才性によって特徴づけられます。彼女は主に自由形と背泳の選手として国際舞台で活躍しましたが、これらの種目だけでなく、多様な距離で優れた成績を収めました。彼女のキャリアは1980年代後半から1990年代にかけて絶頂期を迎え、数々の国際大会でドイツ代表としてメダルを獲得しました。
3.1. 国際大会と主な成果
ダグマール・ハーゼは、オリンピック、世界選手権、ヨーロッパ選手権といった主要な国際大会で目覚ましい成果を残しました。彼女は、これらの大会を通じて数多くのメダルを獲得し、そのキャリアを通じて一貫して高いレベルのパフォーマンスを維持しました。
3.1.1. オリンピック
ダグマール・ハーゼは、1992年バルセロナオリンピックと1996年アトランタオリンピックの2大会に出場し、合計7個のメダルを獲得しました。
1992年のバルセロナオリンピックでは、女子400メートル自由形で金メダルを獲得しました。これは、アメリカの競泳界のスター選手であったジャネット・エバンスを破っての勝利であり、エバンスが1986年から1994年の間に400メートルまたは800メートル自由形で喫した唯一の敗北として特筆されます。また、同大会では女子200メートル背泳ぎと女子4×100メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得し、3個のメダルを手に入れました。
1996年のアトランタオリンピックでは、女子400メートル自由形と女子800メートル自由形でそれぞれ銀メダルを獲得しました。さらに、女子4×200メートル自由形リレーでも銀メダル、女子200メートル自由形では銅メダルを獲得し、この大会でも4個のメダルを獲得し、その実力を再び示しました。
3.1.2. 世界選手権およびヨーロッパ選手権
ダグマール・ハーゼは、オリンピック以外にも世界選手権とヨーロッパ選手権で数多くのメダルを獲得しました。以下にその主な成果をまとめます。
大会 | 種目 | メダル |
---|---|---|
1989年 ヨーロッパ水泳選手権(ボン) | 女子200メートル背泳ぎ | 金メダル |
1991年 世界水泳選手権(パース) | 女子4×200メートル自由形リレー | 金メダル |
1991年 世界水泳選手権(パース) | 女子200メートル背泳ぎ | 銀メダル |
1991年 ヨーロッパ水泳選手権(アテネ) | 女子4×100メートル自由形リレー | 銀メダル |
1991年 ヨーロッパ水泳選手権(アテネ) | 女子4×200メートル自由形リレー | 銀メダル |
1991年 ヨーロッパ水泳選手権(アテネ) | 女子4×100メートルメドレーリレー | 銀メダル |
1991年 ヨーロッパ水泳選手権(アテネ) | 女子100メートル背泳ぎ | 銅メダル |
1991年 ヨーロッパ水泳選手権(アテネ) | 女子200メートル背泳ぎ | 銅メダル |
1993年 ヨーロッパ水泳選手権(シェフィールド) | 女子400メートル自由形 | 金メダル |
1993年 ヨーロッパ水泳選手権(シェフィールド) | 女子4×200メートル自由形リレー | 金メダル |
1994年 世界水泳選手権(ローマ) | 女子4×200メートル自由形リレー | 銀メダル |
1995年 FINA世界水泳選手権(25m)(リオデジャネイロ) | 女子200メートル背泳ぎ | 銀メダル |
1995年 FINA世界水泳選手権(25m)(リオデジャネイロ) | 女子4×200メートル自由形リレー | 銀メダル |
1995年 ヨーロッパ水泳選手権(ウィーン) | 女子4×200メートル自由形リレー | 金メダル |
1995年 ヨーロッパ水泳選手権(ウィーン) | 女子200メートル背泳ぎ | 銀メダル |
1997年 ヨーロッパ水泳選手権(セビリア) | 女子400メートル自由形 | 金メダル |
1997年 ヨーロッパ水泳選手権(セビリア) | 女子4×200メートル自由形リレー | 金メダル |
1998年 世界水泳選手権(パース) | 女子4×200メートル自由形リレー | 金メダル |
1998年 世界水泳選手権(パース) | 女子200メートル背泳ぎ | 銀メダル |
1998年 世界水泳選手権(パース) | 女子400メートル自由形 | 銅メダル |
3.2. 特筆すべき試合と多才性
ダグマール・ハーゼのキャリアには、彼女の優れた能力とスポーツマンシップを示すいくつかの特筆すべき瞬間があります。
1992年のバルセロナオリンピックの女子400メートル自由形では、当時この距離で圧倒的な強さを誇っていたアメリカのジャネット・エバンスを破り、金メダルを獲得しました。これは、エバンスが1986年から1994年の間に400メートルまたは800メートル自由形で唯一喫した敗北であり、ハーゼの勝利がいかに印象的であったかを示しています。
また、1989年のヨーロッパ水泳選手権200メートル背泳ぎでは、ハンガリーのクリスティナ・エゲルゼギに勝利しました。エゲルゼギは史上最高の背泳ぎ選手と称されており、この敗北は彼女にとって1987年から引退する1996年までの200メートル背泳ぎで唯一のものであり、1989年から1994年までの全ての背泳ぎ種目においても唯一の敗北でした。これらの勝利は、ハーゼが当時の世界トップクラスの選手たちと互角以上に渡り合える実力を持っていたことを証明しています。
ハーゼは200メートル自由形、400メートル自由形、800メートル自由形、そして200メートル背泳ぎという幅広い種目でオリンピックメダルやその他の主要大会でのメダルを獲得しており、その多才性も高く評価されています。

特に印象的なエピソードとして、1994年の世界水泳選手権での行動が挙げられます。当時、ハーゼは女子200メートル自由形で8番目の記録で予選を通過しましたが、同じドイツ代表のフランツィスカ・ファン・アルムジックは9番目の記録でした。ハーゼは自身の出場権を放棄し、ファン・アルムジックに譲るという決断を下しました。その結果、ファン・アルムジックは決勝で金メダルを獲得し、世界記録を更新しました。このハーゼの行動は、単なる勝利以上のスポーツマンシップを示すものとして、広く賞賛されました。
4. レガシー
ダグマール・ハーゼは、その輝かしい競泳キャリアを通じて、ドイツ競泳界そして国際競泳界に大きな影響を残しました。彼女はオリンピックの金メダルを含む合計7個のオリンピックメダル、そして世界選手権やヨーロッパ選手権での数々のメダル獲得により、ドイツ史上最も成功した競泳選手の一人としてその名を刻んでいます。
彼女の特筆すべきは、自由形と背泳の両方で世界トップレベルの成績を収めたその多才性です。200メートル、400メートル、800メートルの自由形、そして200メートル背泳ぎといった多様な種目でメダルを獲得したことは、彼女の技術と持久力の高さを物語っています。また、ジャネット・エバンスやクリスティナ・エゲルゼギといった同時代を代表する競泳界のレジェンド選手に勝利したことは、彼女の競争心の強さと勝負強さの証でもあります。
さらに、1994年世界選手権でチームメイトに自身の出場権を譲ったエピソードは、彼女が単なるトップアスリートに留まらず、真のスポーツマンシップの持ち主であったことを示しています。この行動は、競技成績以上に彼女の人格を際立たせるものであり、後進の選手たちにとっても模範となるでしょう。
ダグマール・ハーゼは、多才で成功した競泳選手であると同時に、優れたスポーツマンシップを発揮した人物として、競泳の歴史に記憶されています。彼女の功績は、ドイツ競泳の黄金時代の一部を形成し、今もなお多くの人々にインスピレーションを与え続けています。