1. 概要
デヴィッド・ジェームス・ホジソン(David James Hodgsonデヴィッド・ジェームス・ホジソン英語)は、1960年8月6日にイングランドのゲイツヘッドで生まれた元サッカー選手であり、指導者です。選手としてはミドルズブラ、リヴァプール、ノリッジ・シティ、サンダーランド、スウォンジー・シティ、シェフィールド・ウェンズデイといったイングランドの主要クラブに加え、フランスのメス、日本のマツダ、スペインのヘレスでもプレーしました。特にリヴァプール在籍時には、ファーストディビジョンのリーグ優勝を2度経験するなど、成功を収めました。また、イングランドU-21代表の一員として、1982年のUEFA欧州U-21選手権で優勝しています。
監督としては、主にダーリントンで3期にわたり指揮を執り、合計400試合以上を監督しました。引退後はスポーツディレクターを務めたり、自身のサッカーキャリアとダーリントンへの情熱について本を執筆するなど、多岐にわたる活動を行っています。ホジソンは、北東イングランドの歴代監督トップ25に選出されるなど、その功績が認められています。
2. 幼少期と選手経歴
デヴィッド・ホジソンは、イングランドのゲイツヘッドで生まれ、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせました。
2.1. 幼少期
デヴィッド・ジェームス・ホジソンは1960年8月6日、イングランドのゲイツヘッドで誕生しました。
2.2. クラブ経歴
ホジソンは、選手として複数のクラブを渡り歩き、国内外で豊富な経験を積みました。
彼のキャリアはミドルズブラで始まり、1978年から1982年まで在籍し、125試合に出場して16得点を挙げました。その後、1982年から1984年にかけてリヴァプールに移籍し、在籍中の2年間でファーストディビジョンで2度の優勝に貢献しました。リヴァプールでは、リーグ戦で28試合に出場して4得点を記録し、1982年から1984年までの総出場数は49試合でした。
リヴァプール退団後、1984年から1986年までサンダーランドでプレーし、40試合に出場して5得点を挙げました。サンダーランド在籍中には、1984-85シーズンのフットボールリーグカップで準優勝を経験しました。
次に1986年から1987年にかけてノリッジ・シティに所属し、6試合出場で1得点を記録しました。この期間中、ミドルズブラへのレンタル移籍も経験し、2試合に出場しました。
その後、1987年から1988年までスペインのヘレスで14試合に出場しました。イングランドに戻り、1988年から1989年はシェフィールド・ウェンズデイに在籍し、11試合で1得点を挙げました。
1989年から1990年にかけては日本のマツダSC(現:サンフレッチェ広島)でプレーしました。日本では「デビッド」として登録され、JSL2部で13試合に出場し5得点を記録しました。
日本でのプレーの後、1990年から1992年までフランスのメスに所属し、38試合に出場しました。選手キャリアの最後期には、1992年にスウォンジー・シティで3試合に出場しました。
2.2.1. クラブ統計
デヴィッド・ホジソンがマツダSC(現:サンフレッチェ広島)に在籍した1989-90シーズンにおける、日本国内での個人成績は以下の通りです。
日本国内 | リーグ戦 | JSLカップ | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | 所属クラブ | カテゴリ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
1989-90 | マツダ | JSL2部 | 13 | 5 | 0 | 0 | (不明) | (不明) | 13 | 5 | |
総通算 | 13 | 5 | 0 | 0 | (不明) | (不明) | 13 | 5 |
- JSL(2部)初出場:1989年8月26日 対三菱戦(広島県営陸上競技場)
- JSL(2部)初得点:1989年10月28日 対帝人戦(東予運動公園球技場)
2.3. 代表経歴
ホジソンはイングランドU-21代表に選出され、1980年から1982年にかけて7試合に出場し3得点を挙げました。彼は1982年のUEFA欧州U-21選手権で優勝したイングランドU-21チームの一員でした。
3. 監督経歴
選手引退後、デヴィッド・ホジソンは監督として、主にダーリントンでキャリアを積みました。
3.1. ダーリントンFC
デヴィッド・ホジソンは、キャリアの大部分をダーリントンの監督として過ごしました。彼はダーリントンで合計3期にわたって指揮を執り、総計400試合以上の試合を監督しました。
彼のダーリントンでの最初の監督期間は1995年8月から12月まででした。
2期目は1996年8月から2000年8月までの約4年間。
そして3期目は2003年10月から2006年9月までで、この期間をもってダーリントンの監督を退任しました。
3.2. 監督成績
デヴィッド・ホジソンのダーリントンにおける監督成績は以下の通りです。
チーム | 就任 | 退任 | 成績 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試合数 | 勝利 | 敗戦 | 引き分け | 勝率 (%) | |||
ダーリントン | 1995年8月 | 1995年12月 | 21 | 7 | 5 | 9 | 33.3 |
ダーリントン | 1996年8月 | 2000年8月 | 215 | 76 | 81 | 58 | 35.3 |
ダーリントン | 2003年10月 | 2006年9月 | 144 | 51 | 51 | 42 | 35.4 |
4. 獲得タイトル
デヴィッド・ホジソンは選手および監督としてキャリアを通じていくつかのタイトルを獲得し、評価を受けています。
4.1. 選手として
- リヴァプール
- ファーストディビジョン: 1982-83シーズン、1983-84シーズン
- FAチャリティシールド: 1982年
- ヨーロピアンカップ: 1983-84シーズン
- サンダーランド
- フットボールリーグカップ準優勝: 1984-85シーズン
- イングランドU-21代表
- UEFA欧州U-21選手権: 1982年
4.2. 監督としての評価
デヴィッド・ホジソンは、その監督キャリアにおいて、イングランド北東部の歴代監督トップ25に選出されるという名誉ある評価を受けています。
5. その他の活動
選手および監督としての活動以外にも、デヴィッド・ホジソンは様々な専門的な役割に従事しています。
5.1. 引退後の活動
デヴィッド・ホジソンは、選手および主要な監督としての経歴を終えた後も、サッカー関連の活動を続けています。彼はBlackett Hart & Pratt LLPの一部門である「bhpsport」でスポーツディレクターを務めました。
また、2004年には自身のサッカーキャリアとダーリントンへの情熱について書いた本を執筆しました。この本は『Three Times A Quaker: My World of Football and Passion for Darlington F.C.英語』と題され、Speakeasy Publishingから出版されました。