1. 概要
ドミトリ・オフチャロフは、ドイツを代表する卓球選手であり、そのキャリアを通じて数々の国際的な偉業を成し遂げてきた。1988年にウクライナ・ソビエト社会主義共和国のキーウで生まれ、父親がソビエト連邦の卓球チャンピオンであった影響を受け、幼少期に卓球を始めた。彼の家族はドミトリの誕生後まもなくドイツへ移住した。
彼は2008年の北京オリンピックで初の銀メダルを獲得して以来、2012年のロンドンオリンピック、2016年のリオデジャネイロオリンピック、そして2020年の東京オリンピックを通じて、個人および団体で合計6個のオリンピックメダルを獲得しており、これは男子卓球選手としてはオリンピック史上2番目に多い獲得数である。
2017年にはワールドカップ男子シングルスで優勝し、2018年1月には世界ランキングで自身初の1位に輝いた。彼のプレースタイルは、独特なサーブ技術と力強い両ハンドドライブを特徴とし、卓球の戦術に新たな可能性をもたらしたとして評価されている。卓球界における彼の存在は、特に中国選手が支配的な中で、ヨーロッパ勢のトップランナーとして長年にわたり貢献している点で重要である。
2. 生い立ちと背景
ドミトリ・オフチャロフは1988年9月2日、当時のソビエト連邦、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のキーウで生まれた。彼の父親であるミハイル(またはミハイロ)・オフチャロフは、1982年にソビエト連邦の卓球チャンピオンに輝いた実績を持つ著名な選手であり、ドミトリが生まれた直後に家族と共にドイツへ移住した。
オフチャロフ家はドイツのデュッセルドルフやハーメルンに居住し、ドミトリはドイツで育った。彼の身体的特徴としては、身長が186 cm、体重が78 kgである。
2.1. 幼少期と形成期
卓球選手であった父親の影響を受け、ドミトリは幼い頃から卓球に親しんだ。卓球を始めた具体的なきっかけや初期のトレーニング環境に関する詳細な記述は少ないものの、2002年にはジュニアの国際大会で頭角を現しており、父親の指導のもとで卓球選手としての基礎が築かれたと考えられる。この時期の経験が、後の彼のユニークなプレースタイルや精神的な強さに繋がった。
3. 選手キャリア
ドミトリ・オフチャロフの卓球選手としてのキャリアは、ジュニア時代からシニアの国際舞台に至るまで、数多くの成功と挑戦に満ちている。
3.1. ジュニア時代
オフチャロフは、ジュニア時代からその才能を発揮し、国際舞台で目覚ましい成績を収めた。
- 2002年:モスクワで開催されたヨーロッパ卓球ユース選手権のカデット部門男子シングルスで準優勝を果たした。
- 2003年:ノヴィ・サドで開催されたヨーロッパユース選手権のカデット部門男子ダブルスで準優勝した。
- 2004年:ブダペストで開催されたヨーロッパユース選手権のジュニア部門男子団体で優勝メンバーとなった。
- 2005年:オストラヴァで開催されたヨーロッパユース選手権のジュニア部門男子シングルスで優勝した。
- 2006年:エジプトのカイロで開催された世界ジュニア卓球選手権では、男子シングルスでベスト4に進出し、銅メダルを獲得。さらに、混合ダブルスと男子団体でも銅メダルを獲得した。同年、サラエヴォで開催されたヨーロッパユース選手権の男子団体でも優勝を果たした。
3.2. シニアキャリア初期とオリンピックデビュー
2007年、オフチャロフはシニア選手として世界卓球選手権に初出場。同年、ベオグラードで開催されたヨーロッパ卓球選手権では男子シングルスでベスト4、男子団体で優勝を飾った。また、ITTFプロツアーチャイニーズタイペイオープンでは男子ダブルスで優勝した。
2008年の広州で開催された第49回世界選手権では、ドイツ代表メンバーとして男子団体で7位となった。同年、ヨーロッパトップ12にも出場し、5位という成績を収めた。
そして、2008年北京オリンピックでオフチャロフはオリンピックデビューを果たし、ティモ・ボル、クリスティアン・ズースと共にドイツ男子チームの一員として銀メダルを獲得した。この大会で彼が披露した独特なサーブ技術は、後に『タイム』誌によって「2008年のトップ50の革新」の一つとして選ばれるほど注目された。同年、サンクトペテルブルクで開催されたヨーロッパ選手権でも男子団体で優勝した。
2009年には世界選手権男子ダブルスでラウンド16に進出。リンツで開催されたワールドカップ男子団体で銅メダルを獲得し、シュトゥットガルトで開催されたヨーロッパ選手権男子団体でも金メダルを獲得した。ITTFワールドツアーデンマークオープンでは準優勝を飾った。
2010年にはモスクワで開催された第50回世界選手権男子団体で銀メダルを獲得し、オストラヴァで開催されたヨーロッパ選手権男子団体でも金メダルを獲得した。ITTFワールドツアーインドオープンで優勝、ポーランドオープンで準優勝した。
3.3. ドーピング疑惑と潔白の証明
2010年9月22日、オフチャロフはITTFプロツアー中国オープンにおけるドーピング検査で、禁止薬物のクレンブテロール(気管支拡張剤および興奮剤として使用される物質)の陽性反応が出たため、ドイツ卓球協会(DTTB)から出場停止処分を受けた。この事態に対し、オフチャロフはドーピングの意図的な摂取を否定し、中国滞在中に食べた肉に禁止薬物が含まれていた可能性を主張した。
彼はBサンプルの分析を要求したが、これも陽性反応を示した。しかし、その後の聴聞会と詳細な調査において、オフチャロフが任意で提出した毛髪サンプルからはクレンブテロールとその乱用の証拠が検出されなかった。これにより、2010年10月15日、DTTBは満場一致で彼への出場停止処分を撤回することを決定した。この決定はITTFによっても承認され、オフチャロフは潔白が証明された。
3.4. 台頭とオリンピックでの成功 (2012年-2016年)
2011年には、ITTFワールドツアーブラジルオープンとコリアオープンで優勝を果たした。マクデブルクで開催されたワールドカップ男子団体で銅メダルを獲得し、ソポトで開催されたヨーロッパ選手権男子団体でも金メダルを獲得した。
2012年にはITTFワールドツアードイツオープンで優勝。ドルトムントで開催された第51回世界選手権男子団体で銀メダルを獲得した。リヨンで開催されたヨーロッパトップ12では男子シングルスで金メダルを獲得し、ヘアニングで開催されたヨーロッパ選手権男子ダブルスで銅メダルを獲得した。同年、ロンドンオリンピックに出場し、男子シングルスと男子団体でそれぞれ銅メダルを獲得した。
2013年にはヴェルヴィエで開催されたワールドカップ男子シングルスで銅メダルを獲得。シェヴェヒャートで開催されたヨーロッパ選手権では男子シングルスで初優勝を果たし、男子団体でも優勝に貢献し、チームの6連覇を達成した。
2014年には東京で開催された第52回世界選手権男子団体で銀メダルを獲得。リスボンで開催されたヨーロッパ選手権男子団体で銀メダルを獲得。ローザンヌで開催されたヨーロッパトップ16男子シングルスで銅メダルを獲得。ITTFワールドツアードイツオープンで優勝。ITTFワールドツアーグランドファイナル男子シングルスでは準優勝となった。
2015年には第1回ヨーロッパ競技大会のバクー大会男子シングルスで金メダルを獲得。ハルムスタッドで開催されたワールドカップ男子シングルスで銅メダルを獲得。エカテリンブルクで開催されたヨーロッパ選手権では男子シングルスで金メダルを獲得し、男子団体で銀メダルを獲得した。バクーで開催されたヨーロッパトップ16男子シングルスでも金メダルを獲得した。
2016年リオデジャネイロオリンピックでは、男子シングルスでブラディミル・サムソノフに準々決勝で敗退したが、男子団体では準決勝で日本に敗れた後、3位決定戦で韓国に勝利し、2大会連続となる銅メダルを獲得した。同年、ゴンドマールで開催されたヨーロッパトップ16男子シングルスでも金メダルを獲得した。
3.5. 世界ランキング1位と後期キャリア (2017年-2020年)
2017年はオフチャロフにとってキャリアの頂点とも言える年となった。リエージュで開催されたワールドカップ男子シングルスで優勝し、自身初のワールドカップタイトルを獲得した。この大会では、林高遠を破り、さらに当時世界ランキング1位の馬龍を破って決勝に進出したティモ・ボルを破っての優勝であった。また、ITTFワールドツアーのインドオープン、チャイナオープン、ブルガリアオープン、ドイツオープンで優勝を飾った。11月の世界ランキングで自身最高の3位に浮上した。
そして、2018年1月には、約3年近く世界ランキング1位を維持していた馬龍を抜き去り、自身初の世界ランキング1位を達成した。同年、ハルムスタッドで開催された第54回世界選手権男子団体で銀メダルを獲得。モントルーで開催されたヨーロッパトップ16男子シングルスで準優勝した。
2019年にはミンスクで開催されたヨーロッパ競技大会男子団体で金メダルを獲得し、ナントで開催されたヨーロッパ選手権男子団体でも金メダルを獲得した。モントルーで開催されたヨーロッパトップ16男子シングルスでも金メダルを獲得した。
2020年1月、日本の卓球用品メーカーであるバタフライと契約を結んだ。同年、ワルシャワで開催されたヨーロッパ選手権男子シングルスで準優勝した。
3.6. 近年の活動 (2021年-現在)
2021年3月、WTTドーハ大会に出場し、WTTコンテンダーイベントで優勝、WTTスターコンテンダーイベントでは準決勝に進出した。特に、WTTコンテンダーイベントの決勝では、それまでの4回の対戦で敗れていた林昀儒に対して、戦術的な調整を加え勝利を収めたことが注目された。このドーハでの活躍により、オフチャロフは世界ランキングのトップ10に返り咲いた。
同年6月、ヨーロッパ卓球選手権に出場したが、決勝でドイツのチームメイトであるティモ・ボルに敗れた。7月には東京オリンピックを2週間後に控える中、脚の怪我のためドイツ国内のオリンピック強化試合を辞退した。
2021年7月に開催された2020年東京オリンピックでは、男子シングルスで銅メダルを獲得し、さらに男子団体では銀メダルを獲得した。これにより、彼はオリンピックで通算6個目のメダルを獲得し、自身のオリンピックメダル獲得記録を更新した。
2022年には、ロシアのウクライナ侵攻の影響により、彼が所属していたロシアのクラブ「ガスプロム・ファケル・オレンブルク」が2021-22シーズンのヨーロッパチャンピオンズリーグから除外されることとなった。同年4月12日、オフチャロフは自身のSNSでオレンブルクとの来シーズンの契約を結ばず、クラブを移籍する意向を発表した。
2023年には、ダーバンで開催された第57回世界卓球選手権個人戦男子ダブルスで銅メダルを獲得。クラクフ・マウォポルスカで開催されたヨーロッパ競技大会男子団体で金メダルを獲得した。同年、モントルーで開催されたヨーロッパトップ16男子シングルスで銅メダルを獲得した。
2024年現在、TTCローンシュプルデル・フルダ=マベルツェルに所属している。同年、リンツで開催されたヨーロッパ卓球選手権男子シングルスで銅メダルを獲得。2024年のパリオリンピックでは男子シングルスでラウンド16に進出した。
4. プレースタイル
ドミトリ・オフチャロフは右利きのシェークハンド選手であり、そのプレースタイルは力強い両ハンドドライブと、独特なモーションから繰り出される多彩なサーブが特徴である。
彼のサーブは特に強力で、その複雑さと多様性から、世界のトップクラスの選手でさえ正確にレシーブすることが容易ではないとされている。特にバックハンドサーブとしゃがみ込みサーブは彼の得意とする技術であり、これらを駆使して相手を崩す。
レシーブ時には、非常に切れ味鋭いバックツッツキを多用し、そこからラリー戦を展開することが多い。かつてはレシーブ、特にフォア側の甘さが指摘されることもあったが、台上でのバックドライブやチキータを強化し多用するようになってからは、その成績が飛躍的に向上した。
また、中陣から後陣にかけて粘り強くプレーし、そこからの強力な反撃も彼の得意な戦術の一つである。このような攻守のバランスと、独特の技術を組み合わせたスタイルが、彼を世界のトップ選手の一角に押し上げている。
5. 使用用具
ドミトリ・オフチャロフはバタフライと契約している選手であり、同社の用具を使用している。
- ラケット: バタフライ「オフチャロフ インナーフォースALC」
- フォアハンドラバー: バタフライ「ディグニクス09C」
- バックハンドラバー: バタフライ「ディグニクス05」
これらの用具は、彼の力強い両ハンドドライブと独特なサーブを生かすために選ばれており、高い反発力と安定性を提供している。
6. 所属クラブキャリア
ドミトリ・オフチャロフは、そのキャリアを通じて国内外の数多くの卓球クラブに所属し、それぞれのチームで重要な役割を果たしてきた。
- 2007年以前: TSV Schwalbe TündernTSV シュヴァルベ・テュンダーンドイツ語
- 2007年 - 2009年: ボルシア・デュッセルドルフ(ドイツ)
- 2009年 - 2010年: Royal Villette Charleroiロイヤル・ヴィレット・シャルルロワフランス語(ベルギー)
- 2010年 - 2022年: ガスプロム・ファケル・オレンブルク(ロシア)
- 2022年 - 2024年: TTC Neu-UlmTTC ノイウルムドイツ語(ドイツ)
- 2023年 - 2024年: オリンピアコス・ピレウス(ギリシャ)
- 2024年 - 現在: TTCローンシュプルデル・フルダ=マベルツェル(ドイツ)
7. 私生活
ドミトリ・オフチャロフは2013年にスウェーデンの卓球選手であるイェニー・メッルストレーム(現在はイェニー・オフチャロフ)と結婚した。彼らの娘であるエマは2016年に誕生している。
8. 主要戦績と記録
ドミトリ・オフチャロフの主要な国際大会での戦績と記録は以下の通りである。
- オリンピック
- 2008年 北京オリンピック: 男子団体 銀メダル
- 2012年 ロンドンオリンピック: 男子シングルス 銅メダル、男子団体 銅メダル
- 2016年 リオデジャネイロオリンピック: 男子団体 銅メダル
- 2020年 東京オリンピック: 男子シングルス 銅メダル、男子団体 銀メダル
- 世界卓球選手権
- 2010年 モスクワ: 男子団体 銀メダル
- 2012年 ドルトムント: 男子団体 銀メダル
- 2014年 東京: 男子団体 銀メダル
- 2018年 ハルムスタッド: 男子団体 銀メダル
- 2023年 ダーバン: 男子ダブルス 銅メダル
- ワールドカップ
- 2009年 リンツ: 男子団体 銅メダル
- 2011年 マクデブルク: 男子団体 銅メダル
- 2013年 ヴェルヴィエ: 男子シングルス 銅メダル
- 2015年 ハルムスタッド: 男子シングルス 銅メダル
- 2017年 リエージュ: 男子シングルス 金メダル
- ヨーロッパ競技大会
- 2015年 バクー: 男子シングルス 金メダル
- 2019年 ミンスク: 男子団体 金メダル
- 2023年 クラクフ-マウォポルスカ: 男子団体 金メダル
- ヨーロッパ卓球選手権
- 男子団体: 金メダル (2007年 ベオグラード、2008年 サンクトペテルブルク、2009年 シュトゥットガルト、2010年 オストラヴァ、2011年 ソポト、2013年 シェヴェヒャート、2017年 ルクセンブルク、2019年 ナント) / 銀メダル (2014年 リスボン、2015年 エカテリンブルク)
- 男子シングルス: 金メダル (2013年 シェヴェヒャート、2015年 エカテリンブルク) / 銀メダル (2020年 ワルシャワ) / 銅メダル (2007年 ベオグラード、2024年 リンツ)
- 男子ダブルス: 銅メダル (2012年 ヘアニング)
- ヨーロッパトップ12/トップ16
- 男子シングルス: 金メダル (2012年 リヨン、2015年 バクー、2016年 ゴンドマール、2017年 アンティーブ、2019年 モントルー) / 銀メダル (2018年 モントルー) / 銅メダル (2014年 ローザンヌ、2023年 モントルー)
- ITTFワールドツアー
- シングルス優勝: 2010年 インドオープン、2011年 ブラジルオープン、2011年 コリアオープン、2012年 ドイツオープン、2014年 ドイツオープン、2017年 インドオープン、2017年 チャイナオープン、2017年 ブルガリアオープン、2017年 ドイツオープン (計9回)
- シングルス準優勝: 2009年 デンマークオープン、2010年 ポーランドオープン (計2回)
- ダブルス優勝: 2007年 チャイニーズタイペイオープン (計1回)
- ITTFワールドツアーグランドファイナル
- シングルス準優勝: 2014年、2017年 (計2回)
- 世界ジュニア卓球選手権
- 2006年 カイロ: 男子シングルス 銅メダル、混合ダブルス 銅メダル、男子団体 銅メダル
- 最高世界ランキング: 1位 (2018年1月)
9. 卓球界への影響と評価
ドミトリ・オフチャロフは、長年にわたり卓球界のトッププレイヤーの一人として活躍し、特に中国勢が支配的な男子卓球において、ヨーロッパ勢のトップランカーとして存在感を示し続けている。オリンピックで獲得した6個のメダルは、男子卓球選手としては歴代2位の記録であり、そのキャリアの長さと安定したパフォーマンスは特筆に値する。
彼のプレースタイルは、独自に進化させたサーブ技術や力強い両ハンドドライブ、そして中・後陣からの粘り強い反撃を特徴とし、多くの選手に影響を与えてきた。特に、複雑で多彩なバックハンドサーブは、トップ選手でさえレシーブに苦労するほどのインパクトを与え、卓球の戦術的な幅を広げた。また、弱点とされていたレシーブ、特にフォア側の技術を向上させるために、台上バックドライブやチキータを積極的に取り入れたことも、彼の適応能力と進化する姿勢を示している。
オフチャロフは、日本のトップ選手である水谷隼と、ロシアリーグや卓球ブンデスリーガでチームメイトであった経験があり、プライベートでも友人である。水谷がロシアリーグのUMMCからオレンブルクに移籍した際、オフチャロフは「友人であり、古くからのライバルでもあるジュン・ミズタニがともにオレンブルクのために戦ってくれることになった。クラブと来季の契約を結んだんだ。彼と同じクラブでプレーできて、とてもうれしいよ。Welcome,Jun!」とコメントを発表しており、卓球界における彼の仲間との良好な関係性を示している。
卓球界におけるオフチャロフの評価は、単なるメダルコレクターに留まらない。彼は中国選手に一矢報いる存在として、また若い世代の選手たちにとっての手本として、卓球の国際的な普及と発展に貢献し続けている。
