自転車選手カザフスタンアジア競技大会メダリストドーピング違反
ドミトリー・フォフォノフ
カザフスタン出身の元ロードレース選手ドミトリー・フォフォノフは、ツール・ド・フランス等で活躍したが、処方ミスによるドーピング陽性で短縮処分を受け、引退後はアスタナ・チームのスポーツディレクターとなった。
ドミトリー・フォフォノフは、1976年8月15日にカザフスタンのアルマトイで生まれた。国籍はカザフスタンである。
フォフォノフの自転車選手としてのキャリアは、アマチュア時代から始まり、プロ転向後には世界最高峰のレースで活躍した。
1998年、フォフォノフはカザフスタンのナショナルチームで活動し、1998年アジア競技大会の個人タイムトライアルで2位の成績を収めた。また、同年の国内選手権ではスプリント種目で優勝を果たした。
フォフォノフは1999年にプロ選手としてのキャリアをスタートさせ、2012年シーズン終了まで現役を続けた。
フォフォノフはプロ転向後、複数の主要なプロチームに所属した。
- 1999年 - 2000年: 所属チーム不明 (国内選手権での活躍が中心)
- 2001年 - 2005年: コフィディス
- 2006年 - 2008年: クレディ・アグリコル
- 2009年: カザフスタン・ナショナルチーム (ドーピング処分後の活動)
- 2010年 - 2012年: アスタナ・チーム
フォフォノフは、自転車競技界の主要なグランツールやワンデイレースに多数出場している。
- ブエルタ・ア・エスパーニャ:2001年に初出場し総合57位、2006年には総合32位。
- ツール・ド・フランス:2004年に初出場し総合87位、2008年には総合19位に入った。
- ジロ・デ・イタリア:2005年に初出場し総合89位。
その他、カタルーニャ一周、パリ~ニース、クリテリウム・デュ・ドーフィネ、チューリッヒ選手権などにも出場している。
フォフォノフの主な成績は以下の通りである。
| 年 | 成績 |
|---|
| 1998 | - アジア競技大会・個人タイムトライアル 2位
- 国内選手権・スプリント 優勝
- ツアー・オブ・チャイナ 総合優勝
- コモンウェルス銀行クラシック 第15ステージ優勝
>- | 2000 | - 国内選手権・個人タイムトライアル 優勝
- 国内選手権・スプリント 優勝
- ゼリック~ハルマールデン 優勝
>- | 2001 | ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合57位 |
| 2002 | - カタルーニャ一周 総合14位
- カタルーニャ一周 第7ステージ優勝
>- | 2004 | - チューリッヒ選手権 4位
- ツール・ド・フランス 総合87位
>- | 2005 | - 国内ロードレース選手権 4位
- ジロ・デ・イタリア 総合89位
>- | 2006 | - パリ~ニース 総合20位
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合32位
>- | 2007 | クリテリウム・デュ・ドーフィネ 総合16位 |
| 2008 | - クリテリウム・デュ・ドーフィネ 区間1勝
- ツール・ド・フランス 総合19位
>- | 2009 | - アジア自転車競技選手権大会・ロードレース 優勝
- 国内ロードレース選手権 優勝
- ツアー・オブ・ジャパン 総合3位
>} | フォフォノフのキャリアにおいて、2008年のドーピング事件は大きな転換点となった。
2008年のツール・ド・フランスにおいて、フォフォノフは総合19位という好成績を収めた。しかし、同レースの第18ステージ後に行われたドーピング検査で、禁止薬物であるヘプタミノールの陽性反応が検出された。
陽性反応が発覚したことを受け、フォフォノフは2008年7月27日付で所属チームのクレディ・アグリコルとの契約を打ち切られ、選手活動の停止を余儀なくされた。しかし、その後の調査で、この陽性反応はチームドクターによる処方ミスによって引き起こされたものであることが判明した。この状況が考慮され、フォフォノフに科された出場停止処分は3ヶ月間に短縮された。
選手生活を引退した後も、フォフォノフは自転車競技界に深く関わり続けている。
2012年シーズンをもって選手生活を引退したフォフォノフは、翌2013年から自身が最後に所属したアスタナ・チームのアシスタント・スポーツディレクターに就任した。その後、2016年には同チームのスポーツディレクターに昇進し、チームの運営や選手の指導に携わっている。