1. 生涯と背景
ピオトル・シビエルチェフスキは、ポーランドで生まれ育ち、後にフランス国籍も取得した。彼のキャリアは家族の影響や国際的な経験によって形成された。
1.1. 出生と幼少期
ピオトル・ヤロスワフ・シビエルチェフスキは、1972年4月8日にポーランドのマウォポルスカ県ノヴィ・ソンチで生まれた。彼のフルネームはPiotr Jarosław Świerczewskiポーランド語である。
1.2. 家族関係とフランスへの帰化
彼には兄のマレク・シビエルチェフスキがおり、彼もまた元サッカー選手でポーランド代表経験者である。ピオトルはリディアと結婚している。
1993年には、自身が表紙を飾った最初のサッカーゲームシリーズ「FIFA International Soccer」にデイヴィッド・プラットと共に登場している。
彼は1998年11月3日にフランス国籍を取得し、フランスに帰化した。引退後は、ポーランドのバス会社Stalkoで働いている。
2. 選手経歴
シビエルチェフスキの選手経歴は、ポーランド国内だけでなくフランスや日本、イングランドのクラブを渡り歩いた約20年間のクラブキャリアと、ポーランド代表としての国際的な活躍によって特徴づけられる。
2.1. クラブ経歴
シビエルチェフスキのプロサッカー選手としてのキャリアは、1988年にGKSカトヴィツェで始まった。彼は1993年まで同クラブでプレーし、その間にドイツの1.FCニュルンベルクでのトライアルも経験している。
1993年、彼はフランスの強豪クラブであるASサンテティエンヌへ移籍し、1995年まで所属した。その後、SCバスティアに移籍し、1995年から1999年までプレーした。1999年には日本のJリーグに属するガンバ大阪へ期限付き移籍し、この期間は「ピオトル」の登録名でプレーした。ガンバ大阪でのプレー後、再びSCバスティアに戻り、2001年まで所属した。
2001年にはオリンピック・マルセイユへ移籍し、2002年までプレー。その後、イングランドのバーミンガム・シティFCへレンタル移籍し、2003年に短期間ながらプレミアリーグでプレーした。
2003年からは母国ポーランドに戻り、レフ・ポズナンに2006年まで在籍。その後もポーランド国内のクラブを転々とし、ディスコボリア・グロヂスク・ヴィエルコポルスキ、コロナ・キェルツェ、ポロニア・ワルシャワ、ŁKSウッチ、ザグウェンビェ・ルビン、ŁKSウッチ(二度目)、そしてアマチュアクラブのタルノヴィア・タルノヴォ・ポドゴルネで2014-15シーズンに短期間プレーするなど、息の長いキャリアを築いた。
2.1.1. クラブ別成績
ピオトル・シビエルチェフスキのクラブ別出場記録と得点は以下の通りである。
シーズン | クラブ | リーグ | ||
---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | ||
GKSカトヴィツェ | 1988-89 | エクストラクラサ | 1 | 0 |
1989-90 | エクストラクラサ | 15 | 1 | |
1990-91 | エクストラクラサ | 28 | 0 | |
1991-92 | エクストラクラサ | 30 | 2 | |
1992-93 | エクストラクラサ | 27 | 1 | |
合計 | 101 | 4 | ||
サンテティエンヌ | 1993-94 | ディヴィジオン・アン | 31 | 1 |
1994-95 | ディヴィジオン・アン | 30 | 1 | |
合計 | 61 | 2 | ||
バスティア | 1995-96 | ディヴィジオン・アン | 35 | 1 |
1996-97 | ディヴィジオン・アン | 33 | 4 | |
1997-98 | ディヴィジオン・アン | 31 | 2 | |
1998-99 | ディヴィジオン・アン | 20 | 1 | |
合計 | 119 | 8 | ||
ガンバ大阪 | 1999 | J1リーグ | 12 | 2 |
バスティア | 1999-2000 | ディヴィジオン・アン | 30 | 1 |
2000-01 | ディヴィジオン・アン | 32 | 3 | |
合計 | 62 | 4 | ||
マルセイユ | 2001-02 | ディヴィジオン・アン | 25 | 1 |
2002-03 | リーグ・アン | 11 | 0 | |
合計 | 36 | 1 | ||
バーミンガム・シティ | 2002-03 | プレミアリーグ | 1 | 0 |
レフ・ポズナン | 2003-04 | エクストラクラサ | 19 | 0 |
2004-05 | エクストラクラサ | 12 | 1 | |
2005-06 | エクストラクラサ | 27 | 3 | |
合計 | 58 | 4 | ||
ディスコボリア・グロヂスク・ヴィエルコポルスキ | 2006-07 | エクストラクラサ | 26 | 1 |
コロナ・キェルツェ | 2007-08 | エクストラクラサ | 9 | 0 |
ディスコボリア・グロヂスク・ヴィエルコポルスキ | 2007-08 | エクストラクラサ | 11 | 1 |
ポロニア・ワルシャワ | 2008-09 | エクストラクラサ | 3 | 0 |
ŁKSウッチ | 2008-09 | エクストラクラサ | 8 | 2 |
ザグウェンビェ・ルビン | 2009-10 | エクストラクラサ | 13 | 0 |
ŁKSウッチ | 2009-10 | I liga | 14 | 0 |
タルノヴィア・タルノヴォ・ポドゴルネ | 2014-15 | III liga | 4 | 0 |
キャリア合計 | 538 | 29 |
2.2. 代表経歴
ピオトル・シビエルチェフスキは、ポーランド代表として国際舞台で活躍した。
彼はポーランド代表として70試合に出場し、1得点を記録している。主要な国際大会では、1992年バルセロナオリンピックに出場し、ポーランド代表は銀メダルを獲得する快挙を達成した。また、2002 FIFAワールドカップにも出場し、チームの中盤を支えた。
2.2.1. 代表出場記録
ポーランド代表チームにおけるピオトル・シビエルチェフスキの出場記録と得点は以下の通りである。
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
ポーランド | 1992 | 2 | 0 |
1993 | 10 | 1 | |
1994 | 3 | 0 | |
1995 | 8 | 0 | |
1996 | 0 | 0 | |
1997 | 7 | 0 | |
1998 | 8 | 0 | |
1999 | 6 | 0 | |
2000 | 9 | 0 | |
2001 | 9 | 0 | |
2002 | 6 | 0 | |
2003 | 2 | 0 | |
合計 | 70 | 1 |
:得点と結果の欄では、ポーランドの得点が先に示され、シビエルチェフスキの得点後のスコアを示す。
No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1993年3月31日 | グルニク・ザブジェ・スタジアム、ザブジェ、ポーランド | リトアニア | 1-0 | 1-1 | 親善試合 |
3. 指導者経歴
選手引退後、ピオトル・シビエルチェフスキは複数のポーランド国内クラブで監督を務め、指導者としての道を歩んでいる。
3.1. 監督成績
ピオトル・シビエルチェフスキの監督としての成績は以下の通りである。
チーム | 開始日 | 終了日 | 記録 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合数 | 勝利 | 引き分け | 敗戦 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 勝率 | |||
ズニチュ・プルシュクフ | 2011年4月12日 | 2011年6月20日 | 4|6|1|16|9|+7|36.36% | |||||||
ŁKSウッチ | 2012年2月7日 | 2012年5月31日 | 1|6|6|11|19|-8|7.69% | |||||||
モトール・ルブリン | 2012年9月12日 | 2013年4月19日 | 4|5|5|21|23|-2|28.57% | |||||||
Weszłoワルシャワ | 2020年1月20日 | 2020年6月30日 | 0|0|0|0|0|0|0.00% | |||||||
サンデツヤ・ノヴィ・ソンチ (暫定) | 2020年7月6日 | 2020年7月31日 | 2|1|1|3|2|+1|50.00% | |||||||
ズニチュ・プルシュクフ | 2021年5月21日 | 2021年6月30日 | 1|2|2|1|3|-2|20.00% | |||||||
キャリア合計 | 12|20|15|52|56|-4|25.53% |
4. 獲得タイトル
ピオトル・シビエルチェフスキが選手として、そして監督として獲得した主なタイトルは以下の通りである。
GKSカトヴィツェ
- ポーランド・カップ: 1990-91, 1992-93
- ポーランド・スーパーカップ: 1991
SCバスティア
- UEFAインタートトカップ: 1997
レフ・ポズナン
- ポーランド・カップ: 2003-04
- ポーランド・スーパーカップ: 2004
ディスコボリア・グロヂスク・ヴィエルコポルスキ
- ポーランド・カップ: 2006-07
- エクストラクラサ・カップ: 2006-07, 2007-08
ポーランドオリンピック代表
- オリンピック銀メダル: 1992
5. 評価と影響
ピオトル・シビエルチェフスキは、その長いキャリアと献身的なプレースタイルで、ポーランドサッカー界に大きな足跡を残した選手である。彼が20年にもわたり国内外のトップリーグでプレーし続けたことは、その類稀なプロフェッショナリズムと身体能力の証である。中盤の要として、地味ながらもチームの勝利に貢献する彼のプレースタイルは、勤勉さを重んじるポーランドの国民性に合致し、多くのファンから支持された。
特に、1992年バルセロナオリンピックでの銀メダル獲得は、ポーランドサッカー史における重要な功績の一つであり、その中心選手であったシビエルチェフスキの貢献は高く評価されている。また、彼がフランス国籍を取得し、国際的な経験を積んだことは、ポーランドの選手が海外リーグで成功するためのパイオニアとしての役割も果たしたと言える。
引退後にバス会社で働くという選択は、プロスポーツ選手としてのキャリアの華やかさとは対照的であるが、地に足のついた生活を送る彼の人間性を表しており、その堅実な生き方は、多くの人々に共感を呼ぶものであった。彼は単なるサッカー選手に留まらず、その誠実な姿勢と労働倫理で、後進の選手たちにも影響を与え続けている。
6. 関連項目
- Jリーグの外国籍選手一覧
- ガンバ大阪の選手一覧
- サッカーポーランド代表
- ミッドフィールダー