1. 概要
フェルディナント・プフォール(Ferdinand Pfohlフェルディナント・プフォールドイツ語、1862年10月12日 - 1949年12月16日)は、オーストリア=ハンガリー二重帝国出身のドイツの音楽評論家、音楽ジャーナリスト、作曲家、音楽学者である。彼はドイツ国内で最も高く評価された音楽評論家の一人として知られ、その評論は音楽界に大きな影響力を持った。また、リートやピアノ曲、管弦楽曲など多岐にわたるジャンルの作品を手がけた作曲家としても活動し、著名な音楽家の伝記や音楽理論に関する著作も多数発表した。プフォールの多岐にわたる文化への貢献は、彼の死後も高く評価され、その音楽作品や著作物を保存・普及させる目的でプフォール=ヴォイルシュ協会が設立され、その遺産は後世に受け継がれている。
2. 生涯
フェルディナント・プフォールの生涯は、ボヘミアでの出生から始まり、プラハとライプツィヒでの学業を経て、ハンブルクで音楽評論家、教育者としてそのキャリアを確立した。
2.1. 出生と幼少期
フェルディナント・プフォールは、1862年10月12日にオーストリア=ハンガリー二重帝国のボヘミア地方、エルボーゲン(現チェコ共和国のロケト)で生まれた。
2.2. 教育
プフォールはまずプラハで法学を修めた。その後、ライプツィヒに移り、オスカー・パウルの個人指導のもとで音楽を学びつつ、ライプツィヒ大学で哲学の課程を履修し、学術的な基盤を築いた。
2.3. 経歴
ライプツィヒでの学業を終えた後、プフォールは音楽評論家としてのキャリアをスタートさせた。1892年10月まで『ライプツィヒ王国時報(Königlich-Leipziger Zeitung)』紙や『ライプツィヒ日報(Leipziger Tageblatt)』紙に音楽評論を寄稿した。
1892年11月からはハンブルクへ拠点を移し、1931年12月まで『ハンブルク報知(Hamburger Nachrichten)』紙の音楽編集者を長年務めた。この間、彼のリヒャルト・ワーグナーやアルトゥール・ニキシュに関する記事は、音楽評論の模範的な著作として高く評価された。
さらに、1913年から1934年までハンブルク・フォークト音楽院で教鞭を執り、副院長も兼任した。彼は名誉教授(Prof. h.c.)および名誉哲学博士(Dr. phil. h.c.)の称号も持っていた。
3. 音楽活動と業績
プフォールは音楽評論家としてドイツ国内で大きな影響力を持っただけでなく、多岐にわたるジャンルの作曲活動を行い、また著名な音楽家に関する伝記や音楽理論の著作も残した。
3.1. 音楽評論
フェルディナント・プフォールは、ドイツ人では最も尊敬された音楽評論家の一人として知られ、その意見は音楽界で非常に重要視された。彼は音楽ジャーナリスト、音楽評論家としてドイツにおける幅広い層の音楽愛好家に広く知られていた。特にリヒャルト・ワーグナーやアルトゥール・ニキシュに関する彼の記事は、音楽評論の多くの模範的著作とされている。
3.2. 作曲
プフォールが作曲した作品は、生前は盛んに上演され、おおむね肯定的に評価された。作曲家としては、後期ロマン主義の音楽様式に従っており、とりわけワーグナーらの新ドイツ楽派に影響されている。彼は多くのリートやいくつかのピアノ曲、そして管弦楽曲を手がけた。
3.2.1. 管弦楽曲
- 『アプサラ(Die Apsarase)』
- 大オーケストラのための交響的幻想曲『海(Das Meer, Symphonische Phantasie)』 作品8
- 大オーケストラのための『バレエの情景(Eine Ballettszene)』 作品12
3.2.2. ピアノ曲
- 12の初期のピアノ曲(Zwölf frühe Stücke für Klavier (frühe Klavierkompositionen))(作曲年代不詳)
- 『鬼ごっこ(Nachlaufen)』
- 『罰金遊び(Pfänderspiel)』
- 『ワルツ(Walzer)』
- 『警句(Epigramm)』
- 『ワルツ(Walzer)』
- 『スケルツォ(Scherzo)』
- 『ソネット(Sonett)』
- 『セレナーデ(Serenade)』
- 『夜想曲(Notturno)』
- 『バグパイプ(Der Dudelsack)』
- 『掟(Die Pandekten)』
- 『ロマンス(Romanze)』
- 初期のピアノ曲(Frühe Klavierkompositionen)(作曲年代不詳)
- 『綺想曲(Capriccio)』
- 『舞曲(Tanz)』
- エドヴァルド・グリーグの主題によるピアノのための北欧風狂詩曲『ハグバルト(Hagbart, Nordische Rhapsodie (Klavier), nach einem Thema von Edvard Grieg)』 (1882年)
- 『渚の風景(Strandbilder)』 作品8
- 悲歌組曲(Suite Élégiaque) 作品11 (1894年)
3.2.3. 合唱曲・重唱曲
- 大オーケストラと男声合唱、メゾソプラノ独唱(または女声合唱)のための狂詩曲『トヴァルドフスキー(Twardowsky)』 作品10(1894年、原詩:オットー・カイザー)
3.2.4. 独唱曲
- 4つのリート(Vier Lieder)
- 中声とピアノのための2つの歌(Zwei Gesänge)
- 歌手(テノール)とピアノのための『月のロンデル(Mondrondels)』 作品4 (アルベール・ジロー作、オットー・エーリヒ・ハルトレーベン独訳の『ピエロ・リュネール』からの幻想的な情景)
- 高声とピアノのための3つのリート(Drei Lieder) 作品5 (独語詩、英語詩、仏語詩による)
- 声楽とピアノのための4つのリート(Vier Lieder) 作品6
- 『帰還(Rückkehr)』 作品7-1 (1892年、自作詩による)
- メゾソプラノ(もしくはアルト)とピアノのための『セイレーンの歌(Sirenenlieder)』 作品9 (マックス・ハウスホーファー作『流人』からの詩)
- 高声とピアノのための『櫓のバラード(Turmballaden)』 作品14(1901年)(マックス・ハウスホーファー作『流人』からの5つの詩)
- 『酔いどれの歌(Das trunkene Lied)』 (1915年、原詩:フリードリヒ・ニーチェ)
- 中声のためのリート『夜更け(Mitternacht)』 (原詩:ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』、手稿譜)
- 低声のためのリート『愛の聖杯(Der Kelch der Liebe)』 (原詩:ゲオルク・ヤコビ)
- 中声のためのリート『森の暗がりの中で(Im Waldesschatten)』 (原詩:アイヒェンドルフ、1942年)
- 低声のためのリート『森の湖畔にて(Am Waldsee)』 (原詩:アルフレート・ロート、1942年、手稿譜)
- ピアノ伴奏付き歌曲『愛のあいさつ(Grüße der Liebe)』 (原詩:ヴィルヘルム・ラーベ、1944年、手稿譜)
- 低声のためのリート『甘い歓び(Süßer Friede)』 (原詩:ゲーテ、手稿譜)
- 中声(もしくは高声)のためのリート『諸行無常(Alles Vergängliche ist nur ein Gleichnis)』 (原詩:ゲーテ、1944年12月14日、手稿譜)
- ピアノ伴奏付き歌曲『すべての頂には憩いがある(Über allen Gipfeln ist Ruh)』 (原詩:ゲーテ、手稿譜)
- 中声と交響的ピアノ伴奏のための『葦の歌(Schilflieder)』 (原詩:ニコラウス・レーナウ、1947年8月21日から、手稿譜)
- 中声(もしくは高声)のためのリート『シラカンバの伝説(Birkenlegendchen)』 (原詩:Börries v. Münchhausen、1949年7月28日作曲の絶筆、手稿譜)
3.3. 著作
プフォールは音楽に関する多くの書籍を執筆した。彼の主な著作には以下のものがある。
- 『Arthur Nikisch』 (ハインリヒ・シュヴァレー著『Arthur Nikisch, Leben und Wirken』中のS. 1-126、1922年)
- 『Arthur Nikisch. Sein Leben, seine Kunst, sein Wirken.』 (1925年、アルスター社、ハンブルク)
- 『Friedrich Chrysander』 (1926年、ベルゲドルフ、ケーシュター&ヴォッベ)
- 『Richard Wagner - Sein Leben und Schaffen.』 (1911年、ウルシュタイン社、ベルリン=ウィーン)
- 『Busoni - persoenliche Erinnerungen an den Menschen, den Kuenstler und Freund』 (『Die Musikwelt』1925年、S. 156 f.)
- 『Gustav Mahler, Eindrücke und Erinnerungen aus den Hamburger Jahren』 (1973年、クヌート・マルトナー編、ワーグナー社、ハンブルク)
4. 死
フェルディナント・プフォールは、1949年12月16日にドイツのハンブルク=ベルゲドルフで87歳で亡くなった。
5. 評価と遺産
プフォールは生前、ドイツで最も尊敬される音楽評論家の一人として、また作曲家としてもその作品が盛んに上演され、肯定的に評価された。彼の音楽様式は後期ロマン主義に属し、特にリヒャルト・ワーグナーらの新ドイツ楽派の影響を受けている。
フェルディナント・プフォールとフェリックス・ヴォイルシュの遺産である音楽作品や著作物を保存し、可能な限り身近なものにすることを目標として、1993年に社団法人ハンブルク・プフォール=ヴォイルシュ協会(Die Pfohl-Woyrsch-Gesellschaft e.V. Hamburgプフォール=ヴォイルシュ協会ドイツ語)が設立された。この協会は、彼の音楽を再興し、その音楽的および文学的業績について情報を提供することを目指している。