1. 概要
ペア=マティアス・ヘグモは、選手としてミッドフィールダーとして活躍し、特にトロムソILでノルウェー・カップ優勝を経験しました。指導者としては、ノルウェー女子代表を率いて2000年シドニーオリンピックで金メダルを獲得するなど、大きな成功を収めました。その後、ノルウェーU-21代表、ノルウェー男子A代表の監督を歴任し、クラブチームではトロムソIL、ローゼンボリBK、ユールゴーデンIF、フレドリクスタFK、BKヘッケン、浦和レッズ、モルデFKなどで指揮を執りました。特にBKヘッケンではアルスヴェンスカンとスウェーデンカップの二冠を達成し、その指導手腕が高く評価されています。また、トロムソ大学でサッカーに関する博士号を取得するなど、学術的な活動にも従事しています。
2. 選手経歴
ヘグモの選手としてのキャリアは、故郷のクラブから始まり、ノルウェーとスウェーデンの主要クラブで活躍しました。また、国際舞台ではノルウェー代表とサーミ代表の両方でプレーしました。
2.1. ユースおよび初期経歴
ヘグモはトロムス県南部の小さな町グラタンゲンで育ち、地元のグラタンゲンILでミッドフィールダーとしてサッカー選手としてのキャリアをスタートさせました。1977年にグラタンゲンILでプレーした後、1978年には地元最大のクラブであるFKミェルナーに加入し、1983年まで6シーズンを過ごしました。
2.2. 主要クラブでの活動
FKミェルナーでの活動後、1984年にトロムソILに移籍し、1985年までプレーしました。その後、スウェーデンのIFKノルシェーピングで1985年から1986年にかけて短期間プレーしましたが、1986年には再びトロムソILに戻り、1989年まで所属しました。トロムソIL在籍中の1986年には、チームの一員としてノルウェー・カップ優勝に貢献しました。選手としてのキャリアの終盤には、1989年に選手兼監督としてグラタンゲンILに復帰しました。
2.3. 代表チーム経歴
ヘグモは、1986年11月8日に行われたスイス戦で、ヴェガール・スコグハイムに代わって途中出場し、ノルウェー代表として唯一のキャップを記録しました。また、1991年にはサーミ代表としても1試合に出場しています。
3. 指導者経歴
ヘグモは選手としてのキャリアを終えた後、サッカー指導者としての道を歩み始め、ノルウェー国内外の様々なクラブや代表チームで指揮を執り、多くの成功を収めました。
3.1. 初期指導者経歴
ヘグモは1989年にグラタンゲンILで選手兼監督として指導者のキャリアをスタートさせました。このシーズン限りで現役を引退した後、1990年から1991年までトロムスダーレンUILの監督を務めました。1992年にはトロムソILの監督に就任し、トップリーグでの指導経験を積みました。その後、1993年から1994年にかけてフォッスムIFの監督を務め、1995年から1996年にはモスFKを率い、1995年にはノルウェー・フォルシュテ・ディヴィションで優勝を果たしました。
3.2. ノルウェー女子代表監督
1997年、ヘグモはノルウェー女子代表の監督に就任しました。この期間にチームは目覚ましい成功を収め、1999 FIFA女子ワールドカップでは4位に入賞しました。さらに、2000年シドニーオリンピックでは、チームを金メダル獲得に導くという輝かしい成果を達成しました。
3.3. ノルウェー年代別代表監督および協会での役職
女子代表監督の成功後、ヘグモはノルウェーサッカー協会に雇われ、2000年から2003年までU-21ノルウェー代表の監督を務めました。また、これ以前にも、1993年にU-19ノルウェー代表、1994年にノルウェーU-15代表、1995年にノルウェーU-16代表、1996年にU-17ノルウェー代表の監督を務めるなど、ノルウェーの年代別代表チームの育成に深く関わりました。
さらに、2006年12月から2008年12月にかけては、ノルウェーサッカー協会のトップフットボールマネージャーを務めました。2020年には同協会のアカデミーマネージャーも務めています。
3.4. クラブ指導者経歴
ヘグモは、ノルウェー、スウェーデン、日本など様々な国のクラブで監督を務め、それぞれのチームで異なる経験を積みました。
3.4.1. トロムス・イル
ヘグモはトロムソILで3度にわたって監督を務めました。2004年には2度目の監督としてチームをリーグ4位に導き、ロイヤルリーグ出場権を獲得しました。2009年1月からは3度目の監督として復帰し、前年リーグ6位だったチームをリーグ3位に引き上げました。2009年はリーグ6位、2010年にはシーズン序盤に首位に立つなど好調を維持し、最終的にリーグ3位でシーズンを終えました。
3.4.2. ローゼンボリBK
2005年8月、ヘグモはローゼンボリBKの監督に就任しました。この時、チームはリーグ戦で低迷しており、残留争いに近い状況でした。ヘグモはチームを立て直し、最終的にリーグ7位でシーズンを終えました。しかし、翌シーズンはチームが不振に陥り、ヘグモ自身も燃え尽き症候群を患い病気休暇を取りました。その後、ヘグモは2006年10月31日に監督を辞任し、一時的に指導者業から離れることを表明しました。ローゼンボリBK監督就任前は、NRK(ノルウェー国営放送)でサッカー解説者を務めていましたが、監督就任に伴い退職しました。ヘグモの代役として指揮を執ったクヌート・テルムはチームを立て直し、最終的にクラブに20度目のタイトルをもたらしました。
3.4.3. ユールゴーデンIF
2013年、ヘグモはスウェーデンのユールゴーデンIFの監督に就任し、同年12月31日まで指揮を執りました。
3.4.4. フレッドリクスタFK
2017年から2018年にかけてフレドリクスタFKの監督を務めました。その後、2019年から2020年には同クラブのフットボールダイレクターとして、チームの運営に携わりました。
3.4.5. BKヘッケン
2021年6月12日、ヘグモはスウェーデンのBKヘッケンの監督に就任しました。彼はチームを率いて目覚ましい成功を収め、2022年にはクラブ史上初のアルスヴェンスカン優勝を達成しました。さらに、2022-2023シーズンにはスヴェンスカ・クッペンでも優勝し、国内二冠を達成しました。

3.4.6. 浦和レッズ
2023年12月8日、ヘグモはJリーグの浦和レッズの監督に就任しました。しかし、2024年8月27日、双方合意のもと契約が解除され、短期間での退任となりました。
3.4.7. モルデFK
浦和レッズ退任後、ヘグモは2025年シーズンより母国の強豪クラブであるモルデFKの監督に就任しました。
3.5. ノルウェーA代表監督
2013年9月27日、ヘグモはエギル・オルセンの後任としてノルウェー男子A代表の監督に就任しました。彼は約3年間チームを率いましたが、2016年11月16日に辞任しました。
3.6. 学術活動
ヘグモはサッカー指導者としての活動と並行して、学術的な研究にも取り組んでいます。トロムソILの監督を務めている間には、トロムソ大学でサッカーに関する博士号取得に取り組みました。2004年には『Mental training in football』(精神的なトレーニングとフットボール)という論文を執筆しています。
4. 通算成績および記録
以下は、ペア=マティアス・ヘグモの監督としての公式試合記録です。
チーム | 国 | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 % | ||||
トロムソIL | 2009年1月1日 | 2012年12月31日 | 120 | 53 | 33 | 34 | 44.17 | |
ユールゴーデンIF | 2013年5月15日 | 2013年12月31日 | 22 | 11 | 7 | 4 | 50.00 | |
ノルウェー | 2013年9月27日 | 2016年11月16日 | 35 | 10 | 7 | 18 | 28.57 | |
フレドリクスタFK | 2017年12月1日 | 2018年12月17日 | 26 | 15 | 7 | 4 | 57.69 | |
BKヘッケン | 2021年6月12日 | 2023年12月8日 | 109 | 60 | 22 | 27 | 55.05 | |
浦和レッズ | 2023年12月8日 | 2024年8月27日 | 28 | 10 | 8 | 10 | 35.71 | |
モルデFK | 2025年1月9日 | 現在 | 2 | 1 | 0 | 1 | 50.00 | |
合計 | 342 | 160 | 84 | 98 | 46.78 |
5. 主要な成果および受賞歴
ペア=マティアス・ヘグモは選手および指導者として以下の主要な成果を達成しています。
- 選手時代
- トロムソIL
- ノルウェー・カップ:1986年
- 指導者時代
- モスFK
- ノルウェー・フォルシュテ・ディヴィション:1995年
- ノルウェー女子代表
- シドニーオリンピック:金メダル(2000年)
- BKヘッケン
- アルスヴェンスカン:2022年
- スヴェンスカ・クッペン:2022-2023
- モスFK
- トロムソIL
6. 個人情報
ペア=マティアス・ヘグモは1959年12月1日にノルウェーのトロムス県グラタンゲンで生まれました。
