1. 幼少期とユース時代
ポール・マクステイのサッカー選手としての基礎は、幼少期からユース時代にかけて培われた。彼はサッカーを愛する家庭に生まれ、早くからその才能を開花させた。
1.1. 出生と家族背景
ポール・マクステイは1964年10月22日、スコットランドのハミルトンで生まれた。彼の家系はサッカーと深い繋がりがあり、多くのプロサッカー選手を輩出している。大叔父のジミー・マクステイとウィリー・マクステイは共にセルティックの元キャプテンを務めた。彼の兄弟であるウィリーとレイ・マクステイもセルティックでプレーしている。また、父親のジョンはセルティックのスカウトとしてクラブに貢献した。
1.2. ユースサッカーでの発展
マクステイはセルティック・ボーイズ・クラブでキャリアをスタートさせ、その才能はすぐに注目を集めた。1980年6月には、ウェンブリー・スタジアムで行われたスコットランドとイングランドの学童代表国際試合で、15歳にしてスコットランドチームのキャプテンを務めた。この試合で彼は2ゴールを挙げ、スコットランドが5-4で勝利した後、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。彼は16歳でセルティックと契約し、各年代のスコットランド代表(U-16、U-18、U-20、U-21)でもキャプテンを務めるなど、ユースレベルで卓越したリーダーシップと技術を示した。
2. クラブキャリア(セルティック)
ポール・マクステイのプロキャリアは、全てセルティック一筋で過ごされた。彼は1982年にトップチームデビューを果たし、1997年に引退するまで、クラブの象徴としてその地位を確立した。
2.1. 初期とブレイクスルー
1982年1月23日、マクステイはスコティッシュカップのクイーン・オブ・ザ・サウス戦で4-0と勝利し、トップチームデビューを飾った。その1週間後の1月30日には、アバディーンとのリーグ戦で初のリーグ戦出場を果たし、ジョージ・マクラスキーからのパスを受けてアバディーン守備陣を突破し、ジム・レイトンが守るゴールに左足シュートを突き刺して3点目を挙げた。1982-83シーズンには、彼は早くもトップチームのレギュラーとしての地位を確立した。1982年11月4日に行われたスコティッシュリーグカップ決勝では、レンジャーズに2-1で勝利し、自身初の優勝メダルを獲得した。彼の活躍はメディアの注目を集め、1984年1月にはインテル・ミラノが彼を獲得するために200.00 万 GBPの入札を検討しているという報道も出たが、セルティックのデズモンド・ホワイト会長はこの噂を断固として否定した。1984年のスコティッシュカップ決勝ではアバディーンを相手にセルティックの同点ゴールを決めたが、試合の大半を10人で戦い、延長戦で2-1と敗れた。
2.2. キャプテンシーと最高のパフォーマンス
セルティックでのマクステイの成長は続き、彼はクラブの重要な選手となった。1987年12月、セルティックの創立100周年シーズン中に、マクステイはクラブと5年契約を結んだ。この1987-88シーズンは彼にとって最高のシーズンとなり、クラブがリーグとカップのダブルを達成しただけでなく、自身もスコットランドPFA年間最優秀選手賞とスコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞の二つの個人タイトルを獲得した。1990年にロイ・エイトケンがセルティック・パークを去ると、マクステイはクラブのキャプテンに任命され、1996-97シーズンに引退するまでその座を守り続けた。彼はセルティックでリーグタイトルを3回、スコティッシュカップを4回、リーグカップを1回獲得した。
2.3. 後半のキャリアとクラブの課題
マクステイのキャリア後半は、セルティックが財政的な困難と成績不振に苦しんだ時期と重なった。この困難な時期においても、彼はキャプテンとしてチームを支え続けた。1996-97シーズンをもって現役を引退した。クラブの低迷期を経験しながらも、2002年にはセルティックのファンによってクラブの「史上最高のチーム」の一員に選出されるなど、その功績と忠誠心は高く評価されている。
3. 代表キャリア
ポール・マクステイは、ユースレベルからA代表まで、スコットランド代表として幅広い国際キャリアを築いた。
3.1. ユース代表での功績
1982年、マクステイはUEFA U-18欧州選手権でスコットランドU-19代表チームのキャプテンを務め、チームを優勝に導いた。これは、スコットランドのナショナルチームが獲得した唯一の主要なトロフィーである。彼はU-16、U-18、U-20、U-21、そしてA代表と、全ての年代のスコットランド代表チームでキャプテンを務めた経歴を持つ。U-16代表としては、1980年にVictory ShieldとDentyne Trophyを獲得している。
3.2. A代表での出場記録
1983年にスコットランドA代表デビューを果たした。その後14年間の国際キャリアを通じて、彼はスコットランド代表として76試合に出場し、9得点を記録した。2度のワールドカップ(1986年、1990年)に出場し、2度の欧州選手権(1992年、1996年)の代表メンバーにも選出された。しかし、1996年の大会には足首の負傷のため出場を辞退している。
4. 獲得タイトルと個人表彰
ポール・マクステイは、セルティックとスコットランド代表で数々のタイトルを獲得し、個人としても高い評価を受けた。
- セルティック
- スコティッシュリーグ:1981-82、1985-86、1987-88
- スコティッシュカップ:1984-85、1987-88、1988-89、1994-95
- スコティッシュリーグカップ:1982-83
- グラスゴーカップ:1981-82
- 準優勝:スコティッシュリーグ(1982-83、1983-84、1984-85、1986-87、1995-96、1996-97)、スコティッシュカップ(1983-84、1989-90)、スコティッシュリーグカップ(1983-84、1986-87、1990-91、1994-95)
- スコットランド代表
- ラウズカップ:1985
- 準優勝:ラウズカップ(1986、1989)
- スコットランド U-18
- UEFAユース選手権:1982
- スコットランド U-16
- Victory Shield:1980
- Dentyne Trophy:1980
- 個人表彰
- スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞:1987-88
- スコットランドPFA年間最優秀選手賞:1987-88
- スコットランドPFA年間最優秀若手選手賞:1982-83
- スコットランドA代表殿堂入り:1990
- スコットランドサッカー殿堂:2010
- バロンドール:1984年(18位)
5. 遺産と評価
ポール・マクステイは、その忠誠心、リーダーシップ、そして卓越した技術により、スコットランドサッカー界において不朽の遺産を残している。
5.1. 栄誉と認知
2002年には、セルティックのファンによって「史上最高のチーム」の一員に選出され、クラブにおける彼の重要性が再確認された。2010年には、スコットランドでプレーした最高の選手を称えるスコットランドサッカー殿堂に殿堂入りを果たした。殿堂はスコットランドサッカー博物館内にあり、彼の功績が永く称えられている。
6. 私生活と引退後の活動
ポール・マクステイは引退後もサッカーとの繋がりを保ちながら、新たなキャリアを築いている。
6.1. 家族と繋がり
マクステイは妻のアン・マリーとの間に6人の子供がいる。息子のクリスはオーストラリアのサザーランド・シャークスFCやロックデール・イリンデンFC、スコットランドのクライドFCでサッカー選手としてプレーした。甥のジョン(彼の兄弟ウィリーの息子)は、セルティック・ボーイズ・クラブでプレーした後、マザーウェルFCのU-19チームに移籍し、後にディフェンダーとしてエア・ユナイテッドFCでプレーした。ジョンはその後、セルティックのアカデミーコーチを務めている。従兄弟のジョック・マクステイは1990年代にレイス・ローヴァーズFCでプレーし、その息子ジョニーは2010年代にジュニアレベルでプレーした。
6.2. オーストラリアでの生活と事業活動
2010年、マクステイは妻と6人の子供たちと共にオーストラリアのシドニーへ移住した。現在は、スポーツのコーチングとマネジメントを専門とするスタートアップのソフトウェア会社「Maestro Sports」を経営している。また、クラウドファンディングプラットフォームキックスターターを通じて自身の自伝「The Maestro」を出版するための資金として、10.00 万 AUDの調達を試みた。
7. キャリア統計
7.1. クラブ統計
クラブ | シーズン | リーグ | スコティッシュカップ | スコティッシュリーグカップ | 欧州カップ戦 | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
セルティックFC | 1981-82 | スコティッシュ プレミアディビジョン | 10 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 1 |
1982-83 | 36 | 6 | 4 | 0 | 9 | 1 | 4 (欧州チャンピオンズカップ) | 0 | 53 | 7 | ||
1983-84 | 34 | 3 | 5 | 2 | 8 | 2 | 6 (UEFAカップ) | 0 | 53 | 7 | ||
1984-85 | 32 | 4 | 7 | 3 | 2 | 0 | 5 (欧州カップウィナーズカップ) | 1 | 46 | 8 | ||
1985-86 | 34 | 8 | 2 | 0 | 2 | 1 | 2 (欧州カップウィナーズカップ) | 0 | 40 | 9 | ||
1986-87 | 43 | 3 | 4 | 0 | 5 | 1 | 4 (欧州チャンピオンズカップ) | 0 | 56 | 4 | ||
1987-88 | 44 | 5 | 6 | 0 | 2 | 0 | 2 (UEFAカップ) | 0 | 54 | 5 | ||
1988-89 | 33 | 5 | 5 | 0 | 3 | 0 | 4 (欧州チャンピオンズカップ) | 0 | 45 | 5 | ||
1989-90 | 35 | 3 | 6 | 1 | 4 | 1 | 2 (欧州カップウィナーズカップ) | 0 | 47 | 5 | ||
1990-91 | 30 | 2 | 5 | 0 | 5 | 1 | - | 40 | 3 | |||
1991-92 | 32 | 7 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 (UEFAカップ) | 0 | 38 | 7 | ||
1992-93 | 43 | 4 | 3 | 0 | 3 | 0 | 4 (UEFAカップ) | 1 | 53 | 5 | ||
1993-94 | 35 | 2 | 1 | 0 | 4 | 0 | 4 (UEFAカップ) | 0 | 44 | 2 | ||
1994-95 | 29 | 1 | 4 | 0 | 5 | 0 | - | 38 | 1 | |||
1995-96 | 30 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 3 (欧州カップウィナーズカップ) | 0 | 38 | 2 | ||
1996-97 | 15 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 1 (UEFAチャンピオンズリーグ) | 0 | 21 | 1 | ||
キャリア合計 | 515 | 57 | 66 | 6 | 54 | 7 | 43 | 2 | 678 | 72 |
7.2. 代表統計
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
サッカースコットランド代表 | 1983 | 4 | 0 |
1984 | 5 | 2 | |
1985 | 4 | 0 | |
1986 | 5 | 1 | |
1987 | 8 | 2 | |
1988 | 7 | 1 | |
1989 | 8 | 0 | |
1990 | 9 | 0 | |
1991 | 3 | 1 | |
1992 | 10 | 2 | |
1993 | 5 | 0 | |
1994 | 3 | 0 | |
1995 | 1 | 0 | |
1996 | 1 | 0 | |
1997 | 3 | 0 | |
合計 | 76 | 9 |
7.3. 代表ゴール
スコアと結果はスコットランドの得点を先に示す。スコア欄はマクステイの各ゴール後のスコアを示す。
No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1984年10月17日 | ハムデン・パーク、グラスゴー | アイスランド | 1-0 | 3-0 | 1986 ワールドカップ予選 |
2 | 2-0 | |||||
3 | 1986年1月28日 | ラマト・ガン・スタジアム、ラマト・ガン | イスラエル | 1-0 | 1-0 | 親善試合 |
4 | 1987年4月1日 | コンスタント・ヴァンデン・ストック・スタジアム、ブリュッセル | ベルギー | 1-1 | 1-4 | UEFA欧州選手権1988予選 |
5 | 1987年10月14日 | ハムデン・パーク、グラスゴー | ベルギー | 2-0 | 2-0 | UEFA欧州選手権1988予選 |
6 | 1988年9月14日 | ウレヴォール・スタディオン、オスロ | ノルウェー | 1-0 | 2-1 | 1990 FIFAワールドカップ予選 |
7 | 1991年11月13日 | ハムデン・パーク、グラスゴー | サンマリノ | 1-0 | 4-0 | UEFA欧州選手権1992予選 |
8 | 1992年3月25日 | ハムデン・パーク、グラスゴー | フィンランド | 1-0 | 1-1 | 親善試合 |
9 | 1992年6月18日 | イドロッツパルケン、ノールショーピング | CIS | 1-0 | 3-0 | UEFA欧州選手権1992 |