1. 概要
マフディ・アリ・ハサン・レダ(مهدي عليアラビア語、1965年4月20日生まれ)は、アラブ首長国連邦の元サッカー選手であり、現在はサッカー指導者として活躍しています。彼は、アラブ首長国連邦のサッカー界において、選手としてだけでなく、特に指導者として数々の歴史的功績を残し、同国のサッカーを国際舞台へと押し上げた重要人物として広く認識されています。
アリは、2010年から2012年にかけてアラブ首長国連邦オリンピック代表チームを率いて2012年ロンドンオリンピック出場に導き、同国史上初の快挙を達成しました。また、A代表チーム監督としては、2013年のアラビアン・ガルフカップで2度目の優勝をもたらし、2015 AFCアジアカップではチームを3位に導き、日本代表を破るなど、印象的な成績を収めました。彼は「黄金世代」と呼ばれる才能豊かな選手たちを育成し、アラブ首長国連邦サッカーの国際的な地位向上に大きく貢献しました。
2. 幼少期と個人生活
マフディ・アリ・ハサン・レダは1965年にドバイで生まれました。選手としてのキャリアを終えた後、彼は高等技術大学(HCT - ドバイ男子カレッジ)に入学し、電気工学の学位を取得しました。卒業後、彼はドバイメトロの設計に貢献しました。
ドバイ自治体での勤務中、彼は道路交通局(RTA)の設立を支援し、ドバイの駐車場プロジェクトやドバイメトロのチケットシステムを考案・指揮するなど、サッカー以外の分野でもその能力を発揮しました。これらの貢献は、彼の多才な側面と、単にスポーツ界に留まらない社会への広範な影響を示しています。
3. 選手キャリア
マフディ・アリは6歳でアル・アハリのユースチームに入団し、その育成システムを着実に経て成長しました。1983年、彼は16歳でトップチームにデビューしました。選手時代には、UAEプレジデントカップで2度(1988年と1996年)優勝を経験しました。特に1988年の決勝では、アル・シャバブ (ドバイ)との試合で決定的な役割を果たしました。彼は現役時代、ミッドフィールダーとして卓越した能力を発揮しました。
4. 指導者キャリア
マフディ・アリは、選手としてのキャリアを終えた後、再びサッカーの世界に戻り、アラブ首長国連邦の様々な年代別代表チームやトップレベルのクラブを指揮してきました。彼の指導者としての道のりは、ユースレベルでの成功から始まり、最終的にはA代表チームの監督として国際的な舞台で大きな成果を上げました。
4.1. 初期およびユースチーム指導
アリの指導者キャリアは、1998年にドバイのアル・アハリU10チームの監督に就任したことから始まりました。
2000年には家族と共にロンドンで1年間を過ごし、コーチング資格を取得しました。その後、アラブ首長国連邦サッカー協会(UAEFA)からドイツへ派遣され、Aレベルのコーチング資格を取得しました。2008年、ドバイでの公職から休暇中であったアリは、UAEFAからの要請を受け、U19代表チームの監督に就任しました。
彼は「黄金世代」と呼ばれるアラブ首長国連邦の選手たちを指導し、前例のない成功を収めました。これには、2008 AFC U-19選手権での優勝、2009 FIFA U-20ワールドカップでのベスト8進出、U23ガルフカップでの優勝、そして2010年アジア競技大会での銀メダル獲得が含まれます。
2011年4月7日、バニヤスSCは、当時の監督が退任したことを受けて、アリを暫定監督に任命しました。アリが就任した時点でバニヤスはリーグ2位でしたが、彼はその地位を維持し、アル・ジャジーラに次ぐ順位でシーズンを終えました。
4.2. アラブ首長国連邦代表監督
2012年8月15日、マフディ・アリはアラブ首長国連邦A代表チームの監督に就任しました。彼はアブドゥッラー・マスファルの後任として、同国代表チーム史上4人目の非外国人監督となりました。彼の指導の下、アラブ首長国連邦代表は目覚ましい進歩を遂げました。
彼は2015 AFCアジアカップ予選を首位で通過し、ブルーノ・メツ監督時代以来となる2013年のアラビアン・ガルフカップで2度目の優勝を果たしました。
2015 AFCアジアカップでは、グループステージでカタールとバーレーンに勝利し、イランには敗れましたが、準々決勝に進出しました。準々決勝では強豪日本と対戦し、PK戦の末に勝利を収め、準決勝進出という歴史的な快挙を達成しました。準決勝では開催国オーストラリアに敗れ決勝進出はなりませんでしたが、3位決定戦でイラクを3対2で破り、大会を3位で終えました。この大会において、彼はAFCアジアカップで指揮を執る初めてのアラブ首長国連邦人監督となりました。
2015年2月27日、彼はアラブ首長国連邦代表との契約を2018年まで延長しました。しかし、2018 FIFAワールドカップ・アジア予選において、2017年3月28日のオーストラリア戦に0対2で敗れた後、彼は監督を辞任しました。
4.3. クラブチーム監督
アリは、代表チームでの指導経験に加えて、特定のクラブチームでも監督として活躍しました。
4.3.1. シャバブ・アル・アハリ
アリはシャバブ・アル・アハリの初シーズンである2017-18シーズンに監督を務めました。チームは中位でシーズンを終え、彼は契約満了をもって退任し、この期間中に主要な国内タイトルを獲得することはありませんでした。
その後、2020-21シーズンに、チームがシーズン序盤に不調に陥り前任監督が解任されたことを受け、彼は再びシャバブ・アル・アハリの監督として復帰しました。復帰後、アリはチームを立て直し、数々のタイトルを獲得しました。2021年1月下旬には、シャールジャを1対0で破り、2020 UAEスーパーカップで優勝しました。この試合では、モハメド・マルズークがアディショナルタイムに決勝点を挙げました。続いて、彼はUAEリーグカップ決勝でアル・ナスルにPK戦の末5対4で勝利し、クラブでの2つ目のタイトルを獲得しました。さらに、UAEプレジデントカップ決勝でもアル・ナスルを2対1で破り、3つ目の国内タイトルを手に入れました。
5. 監督成績
チーム | 就任 | 退任 | 成績 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合数 | 勝利 | 引き分け | 敗北 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 勝率 | |||
アル・アハリ | 2009年11月2日 | 2010年2月4日 | 12 | 6 | 1 | 5 | 24 | 17 | +7 | 50.00% |
アラブ首長国連邦 U-23 | 2010年1月1日 | 2012年8月12日 | 27 | 17 | 6 | 4 | 53 | 19 | +34 | 62.96% |
アラブ首長国連邦 | 2012年8月12日 | 2017年3月28日 | 60 | 35 | 12 | 13 | 121 | 59 | +62 | 58.33% |
シャバブ・アル・アハリ | 2017年12月2日 | 2018年5月30日 | 19 | 8 | 5 | 6 | 23 | 21 | +2 | 42.11% |
2020年12月15日 | 2022年5月26日 | 69 | 37 | 20 | 12 | 114 | 70 | +44 | 53.62% | |
シャバブ・アル・アハリでの監督合計 | 88 | 45 | 25 | 18 | 137 | 91 | +46 | 51.14% | ||
総計 | 185 | 103 | 44 | 38 | 334 | 187 | +147 | 55.68% |
6. 栄誉と受賞歴
マフディ・アリは、選手および監督としてのキャリアを通じて、数々の栄誉とタイトルを獲得してきました。
6.1. 選手時代
- アル・アハリ
- UAEプレジデントカップ:1988年、1996年
6.2. 監督時代
- アラブ首長国連邦 U-19
- AFC U-19選手権:2008年
- アラブ首長国連邦 U-23
- アジア競技大会 銀メダル:2010年
- アラブ首長国連邦
- アラビアン・ガルフカップ:2013年、3位 2014年
- AFCアジアカップ 3位:2015年
- シャバブ・アル・アハリ
- UAEプレジデントカップ:2020-21シーズン
- UAEスーパーカップ:2020年
- UAEリーグカップ:2020-21シーズン
7. 遺産と影響
マフディ・アリ・ハサン・レダは、アラブ首長国連邦のサッカーに計り知れない影響を与えました。彼の最も顕著な功績の一つは、後に「黄金世代」と称される才能ある選手たちの育成です。彼はユースレベルからこれらの選手たちを指導し、彼らが国際的な舞台で活躍できる基盤を築きました。
彼の指導の下、アラブ首長国連邦代表チームは2012年ロンドンオリンピックに出場し、2015 AFCアジアカップでは3位という好成績を収めるなど、国際的な地位を大きく向上させました。これらの成功は、単にスポーツの成果に留まらず、国民に大きな誇りと希望をもたらし、アラブ首長国連邦のサッカーに対する関心を高めるきっかけとなりました。
アリの業績は、将来の世代の選手や指導者にとってのインスピレーションとなり、アラブ首長国連邦サッカーの発展において、彼の貢献は永く記憶されることでしょう。彼の築き上げた遺産は、同国のサッカーが持続的に成長し、国際舞台でさらに活躍するための重要な礎となっています。