1. 生涯
レアンドロ・デサバトは、アルゼンチンで生まれ育ち、幼少期からサッカーに親しんだ。
1.1. 出生と幼少期
レアンドロ・デサバトは、1979年1月24日にアルゼンチンのサンタフェ州カッフェラータで生まれた。q=Cafferata, Santa Fe Province, Argentina|position=right身長は186 cmであった。彼の従兄弟には、同じくサッカー選手であるアンドレス・デサバトとレアンドロ・ルイス・デサバトがいる。
2. 選手経歴
レアンドロ・デサバトは、ディフェンダーとして長きにわたりプロのキャリアを歩み、複数のクラブで重要な役割を果たした。
2.1. クラブ経歴
デサバトは、アルゼンチンの主要クラブで選手として活動し、リーグやカップ戦で多大な貢献をした。
2.1.1. 初期キャリアと昇格
デサバトは1997年にエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタでプロとしてのキャリアを開始した。2001年にはクラブ・オリンポへ移籍し、1シーズンを過ごした後にキルメスACでプレーした。彼はオリンポとキルメスの両チームにおいて、プリメーラB・ナシオナル(アルゼンチン2部リーグ)からプリメーラ・ディビシオン(1部リーグ)への昇格を経験し、チームの成功に貢献した。
2.1.2. 2005年コパ・リベルタドーレスでの人種差別問題
2005年のコパ・リベルタドーレスの試合中、デサバトはサンパウロFCの選手グラフィッチに対して人種差別的な発言をしたとされ、試合後に警察に逮捕されるという事件が発生した。この逮捕後、彼は一晩を警察署で過ごした。元ブラジル代表選手でありコラムニストのトスタンは、この発言は人種差別的なものではなく、サッカー界に常に存在してきた挑発の一種であると擁護した。この事件は、アルゼンチン国内外で大きな注目を集め、人種差別問題に関する議論を巻き起こした。
2.1.3. エストゥディアンテス復帰と主要タイトル
2006年にキルメスを退団したデサバトは、AAアルヘンティノス・ジュニアーズで1シーズンを過ごし成功を収めた後、古巣のエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに復帰した。2008年後半からは、コパ・スダメリカーナにおいてレギュラー選手として活躍し、チームを決勝進出に導いた。
2009年のコパ・リベルタドーレスでは、エストゥディアンテスの優勝に貢献した重要な選手となった。彼は、センターバックのパートナーがアグスティン・アラジェス、クリスティアン・セジャイ、ロランド・スキアビと次々に変わる中で、トーナメントの全試合にフル出場した唯一のフィールドプレーヤーであり、守備陣の要として活躍した。この功績により、彼はウルグアイのジャーナリスト投票で選出される南米年間ベストイレブンに選出された。また、2010年のトルネオ・アペルトゥーラでは、チームのアルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン優勝にも貢献した。
2.2. アルゼンチン代表経歴
デサバトは、2011年にブラジル代表とのスーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカスの試合に向けて招集された。これは負傷したギジェルモ・ブルディッソの代替としての招集であった。同年11月15日の同試合でアルゼンチン代表としてデビューを果たした。代表では通算4試合に出場したが、得点は記録しなかった。
2.2.1. キャリア統計
| 期間 | クラブ | 出場 | 得点 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1997-2018 | エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ | 163 | 8 | |
| 2001-2002 | クラブ・オリンポ | 32 | 1 | レンタル移籍 |
| 2002-2006 | キルメスAC | 101 | 5 | レンタル移籍 |
| 2006-2007 | AAアルヘンティノス・ジュニアーズ | 34 | 4 | レンタル移籍 |
代表経歴
| 期間 | 代表チーム | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|
| 2011-2012 | アルゼンチン | 4 | 0 |
3. 監督経歴
選手引退後、レアンドロ・デサバトはサッカー監督としてのキャリアをスタートさせた。2020年には、かつて選手として長く在籍したエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタで暫定監督を務め、その後正式に監督に就任した。現在はアルマグロの監督を務めている。
4. 個人生活
レアンドロ・デサバトは、従兄弟にサッカー選手であるアンドレス・デサバトとレアンドロ・ルイス・デサバトを持つサッカー一家の出身である。公に知られている私生活の詳細は少ない。
5. 獲得タイトルと個人栄誉
レアンドロ・デサバトが選手キャリアにおいて獲得した主要なタイトルおよび個人栄誉は以下の通りである。
- オリンポ**
- プリメーラB・ナシオナル: 2001-02
- エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ**
- コパ・リベルタドーレス: 2009
- アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン: 2010 アペルトゥーラ
- 個人栄誉**
- 南米年間ベストイレブン: 2009年
6. 評価と論争
レアンドロ・デサバトのキャリアは、その技術的な能力とリーダーシップにより肯定的に評価される一方で、過去の人種差別発言を巡る論争が常に彼の評価に影を落としている。
6.1. ポジティブな評価
デサバトは、ディフェンダーとしての堅実なプレーと、チームを鼓舞するリーダーシップで知られていた。特に2009年のコパ・リベルタドーレス優勝時における彼の貢献は大きく、全試合フル出場を果たしたことからもその重要性がうかがえる。この功績により、南米のトップ選手として南米年間ベストイレブンに選出されるなど、その選手としての実力は高く評価されている。彼はピッチ上での闘志あふれる姿勢で、チームの勝利に不可欠な存在であった。
6.2. 批判と論争
デサバトに対する最も根強い批判は、2005年のコパ・リベルタドーレスにおいて、サンパウロFCの選手グラフィッチに対して行ったとされる人種差別発言に端を発するものである。この発言により、彼は試合後に逮捕されるという前例のない事態に陥った。事件後、トスタンのような一部の関係者は、この発言を単なる「挑発」であり、人種差別ではないと擁護したが、被害者であるグラフィッチが受けた精神的苦痛は大きく、この事件は人種差別問題の根深さを改めて浮き彫りにした。デサバト自身もこの件で謝罪はしたが、この出来事は彼のキャリアにおける大きな汚点として記録されており、社会的な文脈においては、単なる挑発ではなく、人権侵害につながる行為として再評価されるべきだという批判的な視点も存在する。