1. 選手経歴
ゲタルスは1930年代にダリング・ブリュッセルのゴールキーパーとしてキャリアをスタートさせ、同クラブのユースチームを経てトップチームへ昇格した。その後、ラシン・クラブ・ブリュッセルに1947年に加入し、1948年まで在籍した。選手としては大成せず、現役引退後は指導者の道に進んだ。
2. 指導者経歴
レーモン・ゲタルスの指導者としてのキャリアは、ベルギー国内の小規模クラブから始まり、最終的にはヨーロッパの頂点に立つまでに至った。その道のりには、ベルギー代表監督としての成功、国内外の強豪クラブでの数々のタイトル獲得、そしてキャリアを揺るがす論争も含まれていた。
2.1. 初期指導者経歴
選手としてのキャリアを終えた後、ゲタルスはRenaisiènneでプレーした期間を経て、ハヌトワとワレムで指導者としての道を歩み始めた。1959年にシント=トロイデンVVの監督に就任すると、1965-66シーズンのベルギー1部リーグでチームを2位へと導き、その手腕が注目された。1966年からはベルギー代表のコーチを務めた。
2.2. ベルギー代表監督
1968年にベルギー代表監督に就任したゲタルスは、チームを1970年FIFAワールドカップ・メキシコ大会出場に導いたが、大会ではグループリーグで敗退した。しかし、1972年UEFA欧州選手権1972では、予選で前回優勝国のイタリアを破り、開催国として出場。準決勝で優勝国となる西ドイツに敗れたものの、3位決定戦でハンガリーを破り3位入賞を果たした。これは彼にとって代表監督としての最大の成功となった。
また、1974年FIFAワールドカップ・西ドイツ大会予選では、当時台頭していたオランダとの2度の対戦で無失点に抑えるなど、堅守を誇った。ベルギーは予選を無失点で終えたものの、オランダに得失点差で及ばず、本大会出場を逃した。1976年に代表監督を退任した。
2.3. クラブ指導者経歴
ベルギー代表監督を退任した後、ゲタルスは国内外の様々なクラブで指揮を執り、その指導者としての手腕を遺憾なく発揮した。特に晩年のオリンピック・マルセイユでの成功は、彼のキャリアの頂点となった。
2.3.1. ベルギーのクラブ
1976年、ゲタルスはRSCアンデルレヒトの監督に就任した。就任初年度の1976-77シーズンにはUEFAカップウィナーズカップ決勝に進出したが、ドイツのハンブルガーSVに1-2で敗れ準優勝に終わった。しかし、翌1977-78シーズンも再び決勝に進出し、オーストリアのFKアウストリア・ウィーンを4-0で破り、タイトルを獲得した。
その後、フランスとブラジルでの指導を経て、1981年にスタンダール・リエージュの監督に就任。リエージュでは1981-82シーズンと1982-83シーズンにリーグ2連覇を達成し、1982年UEFAカップウィナーズカップでは決勝に進出したが、本拠地カンプ・ノウで試合を行ったFCバルセロナに敗れ準優勝となった。
リエージュでの任期後、ヴィトーリア・ギマランイス(ポルトガル)を経て、ラシン・ジェット・ブリュッセルの監督を務めた。その後、1987年から1989年までアンデルレヒトに復帰し、1989年にはベルギーカップのタイトルを獲得した。
2.3.2. 海外のクラブ
1979年から1980年にかけてフランスのFCジロンダン・ボルドー、1980年から1981年にかけてブラジルのサンパウロFCを率いた。
1989年には再びボルドーの監督を務め、1989-90シーズンのフランスリーグでオリンピック・マルセイユに次ぐ準優勝に導いた。
そして、ゲタルスが70歳に近づいていた1990年、彼はオリンピック・マルセイユの監督に就任し、クラブをヨーロピアンカップ優勝に導くという大役を任された。就任初年度の1990-91シーズンには、ヨーロピアンカップ決勝に進出したが、レッドスター・ベオグラードにPK戦の末に惜敗し、タイトルを逃した。しかし、その手腕は高く評価され、1991年には欧州年間最優秀監督賞を受賞した。
そして1993年、マルセイユは再びヨーロピアンカップの決勝に進出。決勝では、優勝候補と目されていたACミランをバジール・ボリのヘディングゴールで破り、悲願のタイトルを獲得した。ゲタルスはマルセイユでの主要な目的を達成し、クラブを去った。
2.4. 主要な論争
ゲタルスの指導者キャリアには、その成功の影でいくつかの論争が付きまとった。
1982年のスタンダール・リエージュのリーグ優勝は、1984年に大きな論争の対象となった。ゲタルスは、自身初のベルギーリーグタイトル獲得に執着するあまり、UEFAカップウィナーズカップ決勝のFCバルセロナ戦を控えたシーズン最終戦で、ワテルシェイの選手たちに八百長を持ちかけ、リエージュの優勝を確実なものとし、さらに選手の負傷を防ごうとしたとされる。この八百長スキャンダルが発覚したことで、ゲタルスは監督を辞任せざるを得なくなった。
また、ゲタルスが指揮を執ったオリンピック・マルセイユは、1993年のフランスリーグ優勝タイトルを後に剥奪された。これは、ヴァランシエンヌの3選手がマルセイユとの重要な試合で意図的にパフォーマンスを落とすよう金銭を提示されていたことが明らかになったためである。この事件の結果、マルセイユはヨーロッパのタイトル防衛を許されず、フランスの2部リーグへの降格処分を受けた。
3. 人物像と特徴
レーモン・ゲタルスは、その独特な個性と振る舞いで知られていた。「Raymond-la-scienceレーモン=ラ=シヤンスフランス語」(科学者)、「le sorcier魔術師フランス語」、「le magicien魔術師フランス語」といった異名で呼ばれたが、これは彼の戦術的洞察力や、時に奇抜とも言える采配を表現していた。
彼はゆっくりとした話し方と、特徴的なブリュッセル訛りで知られていた。また、選手の名の発音をしばしば間違える癖も有名だった。チェーンスモーカーであり、その姿はテレビドラマの刑事刑事コロンボに例えられることが多かった。
彼の息子であるガイ・ゲタルスは、サッカー審判員として活躍し、UEFA欧州選手権1992とUEFA欧州選手権1996で笛を吹いた。ゲタルスはUEFAチャンピオンズリーグを優勝した監督の中で、最も高齢での優勝記録を保持している。また、同大会で優勝経験のある監督の中では、唯一の故人である。
彼の死後、2005年にはフランドル地方のテレビ番組「デ・フルートステ・ベルフ」(最も偉大なベルギー人)で38位に選出された。また、FCブリュッセルの本拠地であるエドモン・マフテンス・スタジアムのスタンドの一つが、2005年後半にゲタルスの栄誉を称えて改名された。
4. 引退後の活動と晩年
ゲタルスの監督としてのキャリアは、1995-96シーズンにRSCアンデルレヒトで終了した。しかし、その後も彼はサッカー界との関わりを保ち、テレビのサッカー解説者として人気を博した。監督時代と変わらない鋭い洞察力と率直な物言いは、多くの視聴者から支持された。
5. 死
レーモン・ゲタルスは2004年12月6日に大腸癌のため、83歳で死去した。
6. 統計
レーモン・ゲタルスの各チームにおける監督としての記録は以下の通りである。
チーム | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試合数 | 勝利 | 引き分け | 敗北 | 勝率 (%) | |||
シント=トロイデンVV | 1959年6月9日 | 1966年5月28日 | 82|59|78|37.4 | ||||
ベルギー | 1968年6月8日 | 1976年4月25日 | 25|8|11|56.8 | ||||
RSCアンデルレヒト | 1976年7月19日 | 1979年7月12日 | 93|18|32|65.0 | ||||
FCジロンダン・ボルドー | 1979年10月22日 | 1980年6月15日 | 13|4|8|52.0 | ||||
サンパウロFC | 1980年7月29日 | 1981年7月20日 | 31|12|9|59.6 | ||||
スタンダール・リエージュ | 1981年7月1日 | 1984年6月11日 | 89|25|28|62.7 | ||||
ヴィトーリア・ギマランイス | 1984年8月4日 | 1985年6月8日 | 10|7|15|31.3 | ||||
ラシン・ジェット・ブリュッセル | 1985年6月8日 | 1987年6月5日 | 24|21|22|35.8 | ||||
アンデルレヒト | 1987年7月23日 | 1989年6月12日 | 60|21|16|61.9 | ||||
ボルドー | 1989年7月4日 | 1990年8月11日 | 25|10|11|54.3 | ||||
オリンピック・マルセイユ | 1991年1月3日, 1991年10月23日 | 1991年6月7日, 1993年5月29日 | 65|34|13|58.0 | ||||
合計 | 517|219|243|52.8 |
7. 受賞歴と功績
レーモン・ゲタルスは、その指導者キャリアを通じて数々の栄誉と功績を収めた。
- RSCアンデルレヒト
- UEFAカップウィナーズカップ: 1977-78優勝、1976-77準優勝
- UEFAスーパーカップ: 1976、1978
- ベルギーカップ: 1987-88、1988-89優勝、1976-77準優勝
- アムステルダム・トーナメント: 1976
- トゥルノワ・ド・パリ: 1977
- ジュール・パッパート・カップ: 1977
- ベルギー・スポーツ功労賞: 1978
- ブルッヘ・マッテン: 1988
- サンパウロFC
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA準優勝: 1981
- スタンダール・リエージュ
- ベルギー1部リーグ: 1981-82、1982-83
- ベルギー・スーパーカップ: 1981、1983
- UEFAカップウィナーズカップ準優勝: 1981-82
- UEFAインタートトカップグループ優勝: 1982、1984
- FCジロンダン・ボルドー
- フランス1部リーグ準優勝: 1989-90
- オリンピック・マルセイユ
- フランス1部リーグ: 1990-91、1991-92
- UEFAチャンピオンズリーグ: 1992-93優勝、1990-91準優勝
- クープ・ドゥ・フランス準優勝: 1990-91
- サッカーベルギー代表
- UEFA欧州選手権3位: 1972
- 個人受賞
- パンキーナ・ドーロ: 1990-91
- パンキーナ・ダルジェント: 1991-92
- オンズ・ドール年間最優秀監督賞: 1991、1993
- トロフィー・レーモン・ゲタルス: 2011年より(彼にちなんで創設された賞)
- ゴールデンシュー生涯功労賞: 2014
- フランス・フットボール誌選定 歴代偉大な監督47位: 2019
8. 評価と影響力
レーモン・ゲタルスは、その独特な個性と戦術眼でサッカー界に大きな足跡を残した。特にUEFAチャンピオンズリーグをフランスのクラブとして初めて、そして唯一制覇した監督としての功績は計り知れない。彼の指導方法は、時に奇抜と評されながらも、選手の能力を最大限に引き出し、チームを勝利に導く確かな手腕があった。
彼の死後もその功績は高く評価され、2005年にはフランドル地方のテレビ番組で「デ・フルートステ・ベルフ」(最も偉大なベルギー人)の38位に選出された。また、FCブリュッセルのホームスタジアムのスタンドが彼の名誉を称えて改名されるなど、故郷ベルギーでの敬意は厚い。
ゲタルスは、UEFAチャンピオンズリーグを優勝した監督の中で史上最年長記録を保持しており、また同大会で優勝経験のある監督の中で唯一の故人である。これは、彼のキャリアが長く、そして晩年に至るまでトップレベルで活躍し続けたことの証である。彼の率直な性格と独特な言葉遣いは、多くの人々に記憶され、サッカー解説者としても人気を博したことは、彼の人間的な魅力がサッカー界内外に与えた影響の大きさを物語っている。