1. 概要

ロバート・アボット・ハッドフィールド卿(Sir Robert Abbott Hadfield, 1st Baronetロバート・アボット・ハッドフィールド卿、初代準男爵英語、1858年11月28日 - 1940年9月30日)は、イギリスの著名な冶金学者であり、特に1882年に発見したマンガン鋼と、その後の1886年に発明したケイ素鋼で知られている。マンガン鋼は最初の合金鋼の一つであり、非磁性で高い硬度と靭性を持つ特性から、兵器産業やヘルメットなどに広く応用された。ケイ素鋼は当初、ばねや精密な刃物などの機械的特性のために開発されたが、その磁気的挙動により電気分野で重要な役割を果たすようになった。
ハッドフィールド卿は、科学的発見だけでなく、労働者の福祉向上にも深く貢献した人物である。彼は1891年に自身の会社で8時間労働制を導入するなど、当時の産業界において先進的な労働政策を積極的に推進し、社会に大きな影響を与えた。彼の研究は、材料科学の発展に不可欠な基礎を築き、現代の産業技術の進歩に多大な遺産を残した。
2. 生涯
ロバート・アボット・ハッドフィールド卿の生涯は、鉄鋼業の革新と労働環境の改善に捧げられた。彼は父の事業を継承し、それを世界有数の企業へと発展させるとともに、科学的研究においても多大な業績を残した。
2.1. 幼少期と教育
ハッドフィールドは1858年11月28日、当時まだシェフィールド近郊の村であったアタークリフで生まれた。彼の父もロバート・ハッドフィールドという名前で、シェフィールドにハッドフィールド製鋼所を所有していた。父の製鋼所は1872年にイギリスで初めて鋳鋼を製造した企業であり、フランスからの特許技術に頼らず、独自の技術を開発することで、後にイギリスを代表する兵器製造会社の一つとなる基礎を築いた。
若きロバートはオックスフォード大学やケンブリッジ大学への進学を選ばず、1875年に見習いとして父の事業に入った。彼はそこで才能を発揮し、24歳になる頃には父の病気のため会社の経営を引き継いだ。
2.2. 事業とキャリア
1888年に父が死去すると、若きハッドフィールドは事業を継承し、会社を有限会社に改組して会長兼常務取締役に就任した。当時、彼は30歳であった。
彼は経営者として、革新的な労働政策を導入したことでも知られている。特に1891年には、フランスのアンリ・ルイ・ル・シャトリエが開発した熱電高温計を導入するとともに、自身の会社で8時間労働制を採用した。これは、当時の労働環境を考慮すると非常に先進的な取り組みであり、労働者の福祉向上に対する彼の強い姿勢を示している。
1898年から1939年まで、彼はシェフィールドのホワローにあるパークヘッド・ホールに居住した。1930年代には、記録破りのオートバイレーサーであるフローレンス・ブレンキロンを秘書兼オフィス管理者として雇用していた。
3. 主要な科学的発見と研究
ハッドフィールド卿は、冶金学の分野において数多くの画期的な発見と体系的な研究を行い、材料科学の発展に多大な貢献をした。
3.1. マンガン鋼の発見
ハッドフィールド卿は1882年にマンガン鋼を発見し、これは最初の合金鋼の一つとして知られている。彼は1883年にマンガン鋼に関する2つの英国特許(米国特許第303150号および第303151号の前身)を取得し、翌1884年には機械工学協会でこの材料を発表した。
1888年2月には土木学会で、鋼中のマンガンに関するさらなる研究成果を発表した。この研究では、マンガンを12~14パーセント含む合金が特異な有用性を持つことを発見した。その特性には、ほとんどの金属で局所的な伸びや「ネッキング」が発生するのに対し、引張試験において均一に伸びる点や、磁性を持たない点が挙げられる。また、フロリス・オスモンドの測定によれば、変形時の表面硬度はブリネル硬さで200から550または580に増加し、ガラスを傷つけるほどの硬さに達した。この硬度と非磁性という特性は、特に兵器産業において有利に働き、イギリス軍のヘルメットなどに利用された。

3.2. ケイ素鋼の発明
ハッドフィールド卿は、マンガン鋼の発見に続き、ケイ素鋼も発明した。彼は1886年にその機械的特性に関する特許を取得した。この合金は当初、ばねや一部の精密な刃物などの機械的用途に適した材料として選択された。しかし、その後、その特異な磁気的挙動が注目され、電気分野における応用、特に変圧器の鉄心材料として非常に重要な役割を果たすようになった。
3.3. 合金研究
ハッドフィールド卿は、マンガンやケイ素だけでなく、他の様々な元素との鉄合金についても体系的な研究を行った。彼は1889年にケイ素と合金化した鉄の調査結果を鉄鋼協会で発表した。その後、1890年にはアルミニウム、1892年にはクロム、1899年にはニッケル、そして1903年にはタングステンと合金化した鉄に関する研究結果を相次いで発表した。
1899年には、バレットとブラウン、そしてハッドフィールドの共著で、100種類の鉄合金の磁性に関する極めて重要な論文が王立ダブリン協会で発表された。これらの研究は、材料科学における合金設計の基礎を築く上で不可欠な貢献となった。
3.4. 極低温研究と協力
ハッドフィールド卿は、ジェームズ・デュワーと協力して、極低温下での金属の特性に関する研究を行った。また、1905年にライデン大学の低温研究所に任命されたハイケ・カメリング・オンネスとも共同研究を進めた。彼らの研究により、面心立方格子構造を持つ金属は極低温下で実際にはより延性が増すのに対し、体心立方格子構造を持つ金属は脆くなるという特性を発見した。この発見は、極低温環境下での材料の挙動理解に大きく貢献した。
3.5. 学術活動と出版物
ハッドフィールド卿は、1913年から1920年までファラデー協会の会長を務め、その退任記念として顕微鏡学と写真顕微鏡に関するセミナーを企画した。
彼の名前で出版された主要な書籍には、1925年の『Metallurgy and its Influence on Modern Progress』(冶金学と現代の進歩への影響)、1931年の『Faraday and his metallurgical researches』(ファラデーと彼の冶金研究)、そして1935年の『Empire development and proposals for the establishment of an Empire Development Board』(帝国開発と帝国開発委員会の設立提案)がある。
1936年には、土木学会で980種類の金属に対する海水の腐食効果を詳細に記した論文を発表した。
4. 受賞歴と栄誉
ロバート・アボット・ハッドフィールド卿は、その卓越した冶金学への貢献と学術的業績に対し、数多くの栄誉と賞を授与された。

4.1. 爵位と会員資格
ハッドフィールドは1899年にマスター・カトラーに任命された。1908年7月21日にはナイト・バチェラーに叙され、1917年6月26日にはヨークシャー州ウェストライディングのシェフィールドにおける準男爵に叙任された。同年、彼はシティ・オブ・ロンドンの名誉市民となった。
彼は1909年に王立協会フェローに選出され、1912年にはスウェーデン王立科学アカデミーの会員、1933年にはソ連科学アカデミーの名誉会員となった。また、アカデミー・フランセーズの通信会員でもあった。1939年にはシェフィールド市から名誉市民の称号を授与された。彼は熱心なフリーメイソンであり、シェフィールドのタプトン・ホールで会合を開くイヴァンホー・ロッジのメンバーであった。
4.2. 主要なメダルと賞
ハッドフィールド卿は、冶金学および工学分野への貢献に対して、以下の著名なメダルや賞を受賞した。
- 1888年:土木学会よりテルフォード・メダル
- 1891年:フランクリン協会よりジョン・スコット・メダル
- 1904年:ベッセマー金メダル
- 1921年:ジョン・フリッツ・メダル
- 1935年:アルバート・メダル
これらの賞は、彼の冶金学における革新的な研究と、産業への実用的な貢献が国際的に高く評価されたことを示している。
4.3. その他の栄誉
ハッドフィールド卿は、オックスフォード大学、シェフィールド大学、リーズ大学から名誉学位を授与された。また、1912年にはノーベル物理学賞の候補にノミネートされたこともある。
5. 私生活
ハッドフィールド卿は1894年にフィラデルフィア出身のフランセス・ベルト・ウィッカーシャムと結婚した。彼女は第一次世界大戦中、ウィムルーに病院を設立した功績により、1918年に大英帝国勲章(CBE)を授与された。第二次世界大戦の初期には、再びフランスでハッドフィールド=スピアーズ救急隊を設立した。
6. 死去
ロバート・アボット・ハッドフィールド卿は、1940年9月30日にサリーで死去した。彼は生涯で200以上の冶金研究に関する論文を残した。
7. 遺産と記念
ロバート・アボット・ハッドフィールド卿の革新は、現代の産業発展と材料科学に計り知れない影響を与えた。彼が発見したマンガン鋼やケイ素鋼は、兵器、鉄道、電気機器など多岐にわたる分野で利用され、その後の技術革新の基礎となった。特に、マンガン鋼の非磁性かつ高硬度という特性は、装甲材料や耐摩耗性部品の開発に不可欠なものとなった。
また、彼の先進的な労働政策、特に1891年の8時間労働制の導入は、労働者の福祉向上と労働条件の改善に対する彼の深い配慮を示しており、社会的な模範となった。これは、単なる科学者としての業績に留まらず、企業の社会的責任を果たす先駆者としての彼の側面を浮き彫りにしている。
ハッドフィールド卿の功績を記念して、シェフィールド大学には彼の名を冠した「サー・ロバート・ハッドフィールド・ビルディング」があり、材料科学・工学および化学・生物工学の各学科が入居している。また、シェフィールドのノーザン・ジェネラル・ホスピタルには、彼にちなんで名付けられた病棟がある。これらの記念物は、彼の科学的・社会的な遺産が永く記憶されることを示している。