1. 概要
ビタショーカ(वितशोकVitashokaサンスクリット)またはティッサ(तिस्साTissaサンスクリット)は、紀元前3世紀に生きたマウリヤ朝の王子であり、アショーカ大王の唯一の同母兄弟として知られています。彼はアショーカ大王によって命を奪われなかった唯一の兄弟でもあります。当初はジャイナ教やティールティカといった非仏教系の信仰を持っており、アショーカ大王の庇護を受けていた仏教僧侶たちの安楽な生活を批判していました。しかし、アショーカ大王による説得と、一時的な王権体験という特別な計らいを経て、仏教に改宗し、厳格な修行生活を送る僧侶となりました。ディヴィヤーヴァダーナに記述された、彼がジャイナ教徒と誤認された事件は、アショーカ大王がジャイナ教徒への迫害を停止するきっかけとなり、大王の宗教政策における転換点の一つとして歴史的に重要な意味を持っています。本稿では、ビタショーカの生涯、信仰の変遷、そして彼が当時の宗教的・政治的状況に与えた影響を、彼の精神的な成長とアショーカ大王の政策転換という視点から詳細に記述します。
2. 名称
ビタショーカは様々な文献や地域において異なる名称で言及されています。これらの名称は、彼の生涯や性格、そして彼に関する物語の発展を理解する上で重要な手がかりとなります。
2.1. 異称と文献上の言及
スリランカの文献では、ビタショーカは主にティッサ(またはティシャ)という名前で呼ばれています。しかし、『テーラガータ』の注釈書では、ティッサとビタショーカを別々の人物として扱っているという指摘もあります。
その他の史料では、彼をヴィガタショーカ(Vigatāshoka)、スダッタ(Sudatta)、またはスガトラ(Sugatra)と呼ぶものもあります。特に、『マハーヴァムサ』では後に彼をエカヴィハーリカ(Ekavihārika)と名付けています。これらの多様な名称は、ビタショーカに関する記述が様々な伝統や史料の中で伝承され、それぞれが異なる側面や解釈を加えてきたことを示しています。
3. 生涯初期と宗教的背景
ビタショーカは、マウリヤ帝国の王子として生まれ、幼少期から特権的な地位にありました。しかし、彼の初期の信仰は、当時の主流であった仏教とは異なるものでした。
3.1. 家系と王子の身分
ビタショーカは、マウリヤ帝国の皇帝アショーカ大王の唯一の同母兄弟でした。アショーカ大王は即位する過程で多くの兄弟を排除したとされていますが、ビタショーカはアショーカ大王によって命を奪われず、生き残った唯一の兄弟でした。この事実は、彼とアショーカ大王の間の特別な関係性を示唆しています。
3.2. 初期信仰と仏教批判
ビタショーカは初期にはジャイナ教やティールティカ(तीर्थकTīrthakaサンスクリット、異教徒の修行者を指す仏教用語)の信奉者であったとされています。彼は、兄であるアショーカ大王の庇護を受け、快適な生活を送っている仏教僧侶たちに対し、厳しい批判的な見方を持っていました。彼の批判は、仏教僧侶が俗世の安楽に浸り、真の修行を怠っているというものでした。この初期の信仰と思想は、彼が後に仏教に改宗する上での重要な背景となります。
4. 仏教への改宗
ビタショーカの仏教への改宗は、彼自身の思想の変化だけでなく、アショーカ大王との関係性の中で生まれた重要な出来事でした。
4.1. 改宗の経緯
ある時、宮廷の臣下たちがビタショーカを王位に就かせようと画策する事件が起こりました。アショーカ大王はこの企みを知ると、ビタショーカに直接的な罰を与えるのではなく、彼を仏教徒に説得する道を選びました。アショーカ大王は、ビタショーカを7日間王座に座らせ、皇帝としての生活を体験させるという巧妙な計略を用いました。この7日間、ビタショーカは最高の贅沢と快適さを享受しました。しかし、期限が迫ると、彼は処刑されるかもしれないという不安と、王の立場に伴う終わりのない責務や苦悩を感じるようになりました。この一時的な王権体験を通じて、彼は世俗の権力と快楽がもたらす束の間の喜びと、その背後にある深い苦悩を痛感し、心境に大きな変化が生じました。この経験が、彼が世俗の生活から離れて仏教に帰依する決定的なきっかけとなりました。
4.2. 出家後の生活
世俗の王子の身分を捨てたビタショーカは、仏教僧侶となることを決意しました。彼は出家後、非常に厳格な禁欲的な修行を実践し、世俗を離れた清貧な生活を送りました。タイの文献の中には、彼が修行の末に阿羅漢の境地に達したと記されているものもありますが、他の文献ではアショーカ大王が皇帝になった後の彼の運命については不明瞭であり、学者の間では彼がアショーカ大王の将軍または大臣になった可能性も推測されています。
5. ディヴィヤーヴァダーナの記述
『ディヴィヤーヴァダーナ』(दिव्यावदानDivyāvadānaサンスクリット)は、ビタショーカが関わる宗教的迫害の重要な事件について記録しています。この物語は、アショーカ大王の宗教政策に大きな影響を与えました。
5.1. 誤認事件の経緯
『ディヴィヤーヴァダーナ』によると、プンドラヴァルダナ(Pundravardhana)や後にパータリプトラ(Pataliputra)において、ある者がブッダがマハーヴィーラ(ジャイナ教の開祖)に頭を下げている絵を描いたという事件が発生しました。これに激怒したアショーカ大王は、ジャイナ教徒やアージーヴィカ教徒の僧侶を処刑するよう命じ、ジャイナ教徒を殺害した者には報酬を与えることを宣言しました。その頃、ビタショーカはジャイナ教徒と誤認され、捕らえられてアショーカ大王のもとに連行されました。
5.2. アショーカ王の政策への影響
アショーカ大王は、連行された人物が自身の同母兄弟であるビタショーカであることを確認すると、衝撃を受けました。この個人的な経験により、アショーカ大王はジャイナ教徒に対する処刑命令を直ちに停止し、彼らを殺害することに対する褒賞も撤回しました。この事件は、アショーカ大王の宗教的寛容性への転換点の一つとなり、特定の宗教に対する大規模な迫害を止めるきっかけとなったとされています。
6. その後の生涯と歴史的解釈
仏教に改宗した後のビタショーカの生涯については、歴史的な記録に不確かな点が多く残されています。様々な文献が異なる記述をしており、その運命についての解釈は学者によって多岐にわたります。
6.1. 改宗後の運命
ビタショーカが仏教僧侶となった後、彼の晩年に関する確実な記録は限られています。アショーカ大王が皇帝になった後の彼の潜在的な役割について、一部の学者は、彼がアショーカ大王の重要な将軍や大臣として、帝国の運営に貢献した可能性を推測しています。しかし、タイの文献には彼が修行の末に阿羅漢となったと記されているように、彼の運命については異なる見解が存在します。
6.2. 諸文献における相違点
ビタショーカに関する記述は、『テーラガータ』のような一部の文献では、ティッサとビタショーカを別々の個人として描いています。一方で、スリランカの文献ではティッサと同一視し、その他の史料ではヴィガタショーカ、スダッタ、スガトラ、エカヴィハーリカといった様々な名前で言及しています。これらの記述の不一致は、彼に関する情報が口頭伝承や異なる地域の仏教伝統の中で伝わる過程で、多様な解釈や物語が付加されたことを示しています。彼の改宗後の運命についても、修行の末に阿羅漢になったという見解と、政治的な役割を担ったという推測とが存在し、史料間の相違が見られます。
7. 大衆文化における描写
ビタショーカは、現代の大衆文化においても取り上げられることがあります。インドのテレビシリーズ「Bharat Ek Khoj」では、ビタショーカ(ティッサ)がラッキー・アリによって演じられました。このような描写は、彼が古代インド史における重要な人物として、現代にもその影響を伝えていることを示しています。