1. 個人史
ウラジメル・ヒンチェガシヴィリは、レスリング選手としての才能を開花させ、その後の政治家としてのキャリアの基盤を築いた。
1.1. 幼少期と家族
ウラジメル・ヒンチェガシヴィリは、1991年4月18日にジョージアのゴリで生まれた。彼の父であるギオルギ・ヒンチェガシヴィリもまたレスリング選手であり、ヨーロッパジュニア選手権の優勝経験を持つ。父ギオルギは1999年に他界したが、ウラジメルは父の影響を受け、レスリングの道に進むことを志した。
1.2. 教育と初期のレスリング活動
ウラジメルは、2000年にディナモ・ゴリのユースチームに入団し、レスリングを始めた。2001年からはヌグザル・シレリに師事し、彼の指導の下で本格的なトレーニングを積んだ。学業面ではゴリ州立大学で学んだ。ジョージアのユース代表、ジュニア代表を経て、2010年に初めてA代表に選出され、シニア国際大会の舞台に立つことになった。
2. レスリング経歴
ヒンチェガシヴィリは、ジュニア時代から頭角を現し、シニアに上がってからは国内外の主要大会で数々のメダルを獲得し、世界トップクラスの選手として名を馳せた。
2.1. ジュニア時代
2007年にはワルシャワで開催されたヨーロッパカデット選手権で50 kg級で銅メダルを獲得。翌2008年にはドーガフピルスで開催されたヨーロッパカデット選手権で54 kg級で金メダルを獲得し、同年イスタンブールで開催された世界ジュニア選手権でも55 kg級で銅メダルを獲得した。
2010年にはサモコフで開催されたヨーロッパジュニア選手権で、アゼルバイジャンのトグルール・アスガロフに敗れ、55 kg級で銀メダルを獲得した。しかし、同年7月にはブダペストで開催された世界ジュニア選手権の55 kg級決勝でアスガロフを破り、金メダルを獲得し、リベンジを果たした。2011年にはズレニャニンで開催されたヨーロッパジュニア選手権で55 kg級で金メダルを獲得し、同年のブカレストで開催された世界ジュニア選手権でも55 kg級で金メダルを獲得した。
2.2. シニア時代と主要大会
ヒンチェガシヴィリは2010年4月、アゼルバイジャンのバクーで開催されたヨーロッパ選手権でシニア国際大会デビューを果たした。1回戦でイギリスのクラシミール・クラスタノフに勝利したが、2回戦でロシアのビクトル・レベデフに敗れ、最終的に9位という結果だった。
2.2.1. オリンピックメダル

ヒンチェガシヴィリは、2012年8月にロンドンで開催された自身初の2012年ロンドンオリンピックに出場した。55 kg級でイブラヒム・ファラグ、ラドスラフ・ベリコフ、アミット・クマール・ダヒヤ、そして湯元進一を破り決勝に進出した。しかし、決勝ではロシアのジャマル・オタルスルタノフに敗れ、惜しくも銀メダルを獲得した。
続く2016年リオデジャネイロオリンピックでは、57 kg級に出場。1回戦は不戦勝で通過し、2回戦でヌリスラム・サナエフを破った。その後、ハジ・アリエフ、ウラジミール・デュボフを破り決勝に進出し、日本の樋口黎を破って金メダルを獲得した。
2.2.2. 世界選手権・大陸選手権
オリンピックでの活躍に加え、ヒンチェガシヴィリは世界選手権やヨーロッパ選手権でも数々のメダルを獲得している。
- 世界選手権**
- 2014年タシュケント大会(57 kg級)で銀メダルを獲得。
- 2015年ラスベガス大会(57 kg級)で金メダルを獲得。
- 2017年パリ大会(61 kg級)で銅メダルを獲得。
- ヨーロッパ選手権**
- 2011年ドルトムント大会(55 kg級)で銀メダルを獲得。
- 2013年トビリシ大会(60 kg級)で銅メダルを獲得。
- 2014年ヴァンター大会(57 kg級)で金メダルを獲得。
- 2016年リガ大会(61 kg級)で金メダルを獲得。
- 2017年ノヴィサド大会(61 kg級)で金メダルを獲得。
- 2018年カスピイスク大会(65 kg級)で銅メダルを獲得。
- その他の国際大会**
- 2016年ロサンゼルスで開催されたレスリングワールドカップで57 kg級で銅メダルを獲得。
- 2019年ミンスクで開催されたヨーロッパ競技大会で65 kg級で銀メダルを獲得。
2.2.3. その他の大会と引退
2015年のヨーロッパ競技大会では、ベラルーシのウラジスラフ・アンドレーエフとの準決勝で乱闘騒ぎとなり、両者ともに失格処分となった。
2021年2月には、自身のコーチであるシレリが設立したゴリレスリング学校の監督に就任した。しかし、同年3月にブダペストで開催された2020年東京オリンピック予選大会で、アルメニアのバズゲン・テバニャンとアゼルバイジャンのハジ・アリエフに次ぐ3位に終わり、現役を引退することを表明した。
3. 政治経歴
レスリング選手として一線を退いたヒンチェガシヴィリは、その後故郷ゴリ市の市長として新たなキャリアをスタートさせた。
3.1. ゴリ市長当選
レスリング選手を引退した後、ウラジメル・ヒンチェガシヴィリは政治の道へ進んだ。2021年7月30日、彼はジョージアの夢-民主ジョージア党の公認候補として、ゴリ市の市長選挙に立候補することを表明した。これに伴い、ゴリレスリング学校の監督職を辞任した。同年10月2日に行われた地方選挙では、ヒンチェガシヴィリは52.9%の得票率を獲得し、ゴリ市長に当選した。以後、彼はゴリ市の市長を務めている。
4. 評価と影響
ウラジメル・ヒンチェガシヴィリは、レスリング選手としてオリンピック金メダルをはじめとする数々の国際タイトルを獲得し、ジョージアのスポーツ界に多大な貢献をした。特に2016年リオデジャネイロオリンピックでの金メダル獲得は、彼のキャリアの頂点であり、国民的な英雄としての地位を確立した。その功績が認められ、2015年にはジョージアスポーツ青少年省により「ジョージア年間最優秀男性アスリート」に選出されている。
引退後は政治家へと転身し、故郷ゴリ市の市長に当選した。これは、スポーツ界での実績を社会貢献へと繋げる彼の意欲の表れであり、市民からの高い期待を背負っている。彼の政治家としての活動はまだ始まったばかりであるが、レスリングで培った精神力とリーダーシップが、市政運営においてどのように発揮されるか注目されている。