1. 生い立ちと相撲入門
アムガー・ウヌボルドは1988年8月18日にモンゴル国のボルガン県で生まれた。父親はブフ(モンゴル相撲)の元関脇で、横綱・朝青龍の父親とは友人であった。青狼自身は、中学生時代までモンゴル相撲を本格的に経験することはなく、ナーダムが近づいた際に稽古をする程度であった。彼が日本の大相撲中継を見始めた時期は、朝青龍が横綱へと駆け上がっていく頃であり、その相撲に深く魅了された。
14歳の時、約1000人が参加したという日本の相撲オーディションで優勝し、相撲留学のために来日する予定があった。しかし、その直前にバスケットボールのプレイ中に右足を亀裂骨折したため、留学の話は流れてしまった。それから2年後、朝青龍から直接電話がかかってきたことがきっかけで、日本への来日が決定した。
2005年4月、朝青龍宅に約10日間滞在し、高砂部屋の稽古に参加した。その後、5月場所前に錣山部屋への入門が決まり、師匠である元関脇・寺尾(錣山親方)と初めて対面した。彼の四股名である「青狼」は、朝青龍の「青」とモンゴルの象徴である「狼」に由来している。青狼は朝青龍に顔立ちがそっくりであり、「『弟です』と言うと、みんな信じる」と冗談交じりに語っていた。
2. プロ相撲経歴
青狼武士のプロ力士としての足跡は、軽量による苦労や度重なる怪我、そして番付の昇降を繰り返しながら、粘り強く相撲を取り続けた現役生活であった。
2.1. 下位番付時代
2005年7月場所で初土俵を踏んだ。序ノ口から幕下へ昇進する頃まで、体重が100 kgにも満たない軽量であった。当初は「日本に来た時は2年で関取に上がれると思っていた」と語るほどの自信を持っていたが、現実には序二段を通過するのに10場所もの期間を要した。本人は「死んだ父親そっくりで生前の頃の怖さを思い出す」という印象の師匠や、人格者として知られる兄弟子・豊真将に支えられ、長い現役生活を乗り切ることができたと語っている。
2005年9月場所では序ノ口で7番中5勝を挙げ、翌場所には序二段へ昇進した。その後10場所の間序二段で相撲を取り、6回の勝ち越しを記録した。2007年7月場所には三段目に昇進し、体重の増加と相まって5場所連続で勝ち越しを続けた。2008年3月場所で幕下昇進を果たすも、その後は7番中4敗と負け越し、再び三段目に陥落した。さらに網膜剥離の手術を受けるなど、怪我により一時番付を下げた時期もあった。しかし、2009年5月場所では三段目で7戦全勝を飾り、自身初の各段優勝を果たした。これにより、2度目の幕下昇進が確定した。
2010年に入ると、怪我の問題で再び一時的に三段目に降格したが、同年7月場所には幕下へ復帰し、以降は幕下に定着した。2012年11月場所では関取目前の幕下5枚目まで番付を上げた。この場所前には横綱・白鵬のいる宮城野部屋へ出稽古に行き、白鵬から熱心な指導を受けたものの、幕下上位の壁に跳ね返され負け越した。
2.2. 関取昇進と十両時代
2013年5月場所では東幕下筆頭の番付に位置し、豊真将に続く錣山部屋から2人目の関取誕生への期待が高まった。この場所では3番相撲で祥鳳の立合い変化に敗れるなど苦戦したが、6番相撲で勝ち越しを決め、翌7月場所での十両昇進、すなわち関取昇進が決定した。これにより、青狼はプロデビューから59場所目での新十両となった。
新十両として東十両9枚目で迎えた2013年7月場所では、13日目に勝ち越しを決め、9勝6敗の好成績を収めた。しかし、自己最高位を東十両7枚目に更新して臨んだ9月場所では4勝11敗、続く11月場所も東十両12枚目で6勝9敗に終わった。番付運に恵まれ幕下陥落は免れたものの、2014年1月場所は西十両14枚目と後がない地位に置かれた。この場所では初日に白星を挙げた後、2日目から6日目まで5連敗と序盤は不調であったが、一転して7日目から13日目まで7連勝し、8勝7敗で勝ち越しを決めた。翌3月場所は10日目まで6勝4敗と白星先行であったが、そこから千秋楽まで5連敗し、6勝9敗で場所を終えた。
2014年5月場所は絶好調で、14日目を終えて10勝4敗を記録。勝った方が優勝決定戦進出という千秋楽の取組を制し、4敗で並んだ4人による十両優勝決定トーナメントに進出したが、惜しくも1回戦で敗退した。それでも続く7月場所では自己最高位を東十両5枚目まで更新した。同年9月場所は西十両10枚目で9勝6敗と勝ち越し、翌11月場所では西十両3枚目まで自己最高位を更新した。2015年1月場所、元小結・豊真将の引退に伴い、錣山部屋唯一の関取となった。
2.3. 幕内昇進と晩年
2015年7月場所で自身初の幕内昇進を果たした。これは錣山部屋からは豊真将以来2人目の新入幕であった。新入幕会見では、初土俵から59場所目での入幕に「うれしいです。長かったですね。あと2、3年早く上がりたかった」と喜びを噛みしめた。また、彼はモンゴル出身力士として23人目(外国出身力士としては46人目)の幕内力士となった。角界入りの橋渡しをしてくれた朝青龍に顔立ちがそっくりなことについては、「あんまりうれしくない(笑)。自分は自分なので」と苦笑いしていた。5月場所前には朝青龍から「お前みたいな弱いオオカミはいないんだよ」と発破をかけられたという。青狼は「結びの一番で取ってみたい。10番、11番勝ったら三賞もあると思う」と2桁勝利を目標に掲げていた。
しかし、新入幕の7月場所は14日目から「給金相撲」を2番連続で落とし、7勝8敗と負け越し。翌9月場所も12日目から3連敗し負け越しを確定させ、千秋楽に勝ったものの7勝8敗に終わった。この2場所連続の負け越しにより、同年11月場所は十両に陥落した。
3場所の十両生活を経て、2016年5月場所で西前頭14枚目となり、自身最高位で再入幕を果たすも、幕内の壁に跳ね返され5勝10敗と大きく負け越した。これにより再び十両に陥落し、西十両11枚目まで番付を下げた同年11月場所では11勝4敗と自身2度目の2桁白星を挙げた。場所後の2016年度冬巡業は全休した。2017年9月場所は西十両12枚目と、またもや幕下陥落の危機を迎えたが、この場所は9勝6敗と勝ち越し、その危機を脱した。同年10月2日に行われた明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権大会の第76回大会十両の部では、同部屋の阿炎と対戦し、勝利して優勝を果たした。
2018年に入って以降も十両の中位から下位での土俵が続いた。同年9月場所では西十両9枚目で迎えた初日の志摩ノ海戦で左足を負傷。翌2日目も出場したものの力なく敗れ、結局場所3日目の9月11日から左足捻挫により休場した。その後、7日目の炎鵬戦より再出場したが、本調子には程遠く、12日目の天空海戦で不戦勝を得た以外に白星を挙げることはできなかった。この場所の成績は1勝11敗3休となり、32場所連続で在位した関取の座から陥落することになった。本人は休場時、「なるべく当たっていくようにしているんですけど。番付はどうでもいい。1場所で戻るから大丈夫です」と語っていた。
2019年3月場所前の記事では、師匠の錣山親方が「ダントツで稽古やってますから」と青狼の稽古熱心さを褒め称えていた。その言葉通り、同年3月場所では西幕下3枚目の地位で6勝1敗の好成績を挙げ、場所後に十両に復帰し、幕下生活から3場所で脱出した。しかし、5月場所では西十両14枚目の地位で7勝8敗と負け越し、再び幕下に陥落した。それでも、同年7月場所後に再度十両へ昇進を果たした。しかし、この十両復帰は短命に終わり、2019年9月場所は2勝のみで途中休場した。
3. 取り口
青狼武士の相撲の型は、基本的に右四つを得意としていたが、左前ミツを引いて攻める相撲も時折見せていた。一方で、立合いが甘い、左の廻しを取るのが遅いという弱点も存在しており、廻しが取れない場合に引いてしまう相撲も少なくなかった。
幕下で長く足踏みしていた頃は、立合いで頭から当たることを恐れていたが、この弱点を克服したことが十両昇進の大きな要因であったとされる。師匠の錣山親方も十両昇進に際して、「廻しを取るまでの技術を磨くこと。しっかり当たれば、引くこともない」と今後の課題を挙げていた。入門からしばらくは、型が定まらず小手先に頼った雑な相撲が多かったものの、幕下上位に番付が載る頃には、それまでの経験を活かす形で突き押しを副次的な手段として用いるようになった。彼が多用した決まり手は、全勝率の30%以上を占める寄り切りであり、その他にも上手投げや寄り倒しを頻繁に用いた。
4. 主な成績
- 最高位:西前頭14枚目(2016年5月場所)
- 通算成績:433勝424敗25休(89場所)
- 幕内成績:19勝26敗(3場所)
- 十両成績:213勝243敗9休(31場所)
4.1. 各段優勝
- 三段目優勝:1回(2009年5月場所)
4.2. 場所別成績
年 | 場所 | 番付 | 成績 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2005年 | 7月場所 | 前相撲 | - | 初土俵 |
9月場所 | 東序ノ口41 | 5勝2敗 | ||
11月場所 | 西序二段107 | 5勝2敗 | ||
2006年 | 1月場所 | 西序二段60 | 4勝3敗 | |
3月場所 | 西序二段35 | 3勝4敗 | ||
5月場所 | 西序二段57 | 5勝2敗 | ||
7月場所 | 東序二段15 | 3勝4敗 | ||
9月場所 | 西序二段37 | 3勝4敗 | ||
11月場所 | 西序二段57 | 4勝3敗 | ||
2007年 | 1月場所 | 東序二段33 | 4勝3敗 | |
3月場所 | 東序二段7 | 3勝4敗 | ||
5月場所 | 東序二段29 | 5勝2敗 | ||
7月場所 | 西三段目95 | 4勝3敗 | ||
9月場所 | 東三段目78 | 6勝1敗 | ||
11月場所 | 西三段目20 | 4勝3敗 | ||
2008年 | 1月場所 | 東三段目7 | 4勝3敗 | |
3月場所 | 西幕下57 | 3勝4敗 | ||
5月場所 | 西三段目6 | 3勝4敗 | ||
7月場所 | 東三段目19 | 3勝4敗 | ||
9月場所 | 西三段目31 | 4勝3敗 | ||
11月場所 | 西三段目16 | 3勝4敗 | ||
2009年 | 1月場所 | 西三段目34 | 0勝0敗7休 | 全休 |
3月場所 | 西三段目95 | 5勝2敗 | ||
5月場所 | 東三段目62 | 7勝0敗 | 優勝 | |
7月場所 | 東幕下37 | 3勝4敗 | ||
9月場所 | 東幕下45 | 3勝4敗 | ||
11月場所 | 東幕下53 | 4勝3敗 | ||
2010年 | 1月場所 | 西幕下46 | 4勝3敗 | |
3月場所 | 東幕下40 | 0勝5敗2休 | 休場 | |
5月場所 | 西三段目15 | 5勝2敗 | ||
7月場所 | 東幕下56 | 4勝3敗 | ||
9月場所 | 西幕下46 | 5勝2敗 | ||
11月場所 | 西幕下30 | 4勝3敗 | ||
2011年 | 1月場所 | 東幕下25 | 3勝4敗 | |
3月場所 | 中止 | - | 八百長問題により中止 | |
5月場所 | 西幕下33 | 2勝5敗 | ||
7月場所 | 西幕下37 | 5勝2敗 | ||
9月場所 | 東幕下22 | 3勝4敗 | ||
11月場所 | 西幕下28 | 3勝4敗 | ||
2012年 | 1月場所 | 東幕下36 | 5勝2敗 | |
3月場所 | 東幕下21 | 4勝3敗 | ||
5月場所 | 西幕下17 | 4勝3敗 | ||
7月場所 | 西幕下13 | 4勝3敗 | ||
9月場所 | 東幕下9 | 5勝2敗 | ||
11月場所 | 東幕下2 | 3勝5敗 | ||
2013年 | 1月場所 | 西幕下6 | 4勝3敗 | |
3月場所 | 西幕下3 | 4勝3敗 | ||
5月場所 | 東幕下1 | 5勝2敗 | ||
7月場所 | 東十両9 | 9勝6敗 | ||
9月場所 | 東十両7 | 4勝11敗 | ||
11月場所 | 東十両12 | 6勝9敗 | ||
2014年 | 1月場所 | 西十両14 | 8勝7敗 | |
3月場所 | 東十両10 | 6勝9敗 | ||
5月場所 | 西十両12 | 11勝4敗 | 優勝決定戦進出 | |
7月場所 | 東十両5 | 5勝10敗 | ||
9月場所 | 西十両10 | 9勝6敗 | ||
11月場所 | 西十両3 | 4勝11敗 | ||
2015年 | 1月場所 | 東十両9 | 9勝6敗 | |
3月場所 | 東十両4 | 8勝7敗 | ||
5月場所 | 西十両1 | 8勝7敗 | ||
7月場所 | 東前頭15 | 7勝8敗 | ||
9月場所 | 東前頭16 | 7勝8敗 | ||
11月場所 | 西十両2 | 8勝7敗 | ||
2016年 | 1月場所 | 東十両1 | 7勝8敗 | |
3月場所 | 西十両1 | 9勝6敗 | ||
5月場所 | 西前頭14 | 5勝10敗 | ||
7月場所 | 東十両3 | 8勝7敗 | ||
9月場所 | 東十両2 | 4勝11敗 | ||
11月場所 | 西十両11 | 11勝4敗 | ||
2017年 | 1月場所 | 東十両4 | 4勝11敗 | |
3月場所 | 西十両10 | 8勝7敗 | ||
5月場所 | 東十両8 | 8勝7敗 | ||
7月場所 | 西十両6 | 4勝11敗 | ||
9月場所 | 西十両12 | 9勝6敗 | ||
11月場所 | 東十両8 | 6勝9敗 | ||
2018年 | 1月場所 | 東十両10 | 8勝7敗 | |
3月場所 | 東十両9 | 8勝7敗 | ||
5月場所 | 東十両7 | 8勝7敗 | ||
7月場所 | 東十両6 | 6勝9敗 | ||
9月場所 | 西十両9 | 1勝11敗3休 | 左足捻挫のため3日目から休場、7日目より再出場 | |
11月場所 | 西幕下8 | 4勝3敗 | ||
2019年 | 1月場所 | 東幕下6 | 4勝3敗 | |
3月場所 | 西幕下3 | 6勝1敗 | ||
5月場所 | 西十両14 | 7勝8敗 | ||
7月場所 | 東幕下1 | 5勝2敗 | ||
9月場所 | 東十両12 | 2勝7敗6休 | 無菌性髄膜炎のため中日より休場、10日目から再出場の予定も当日朝めまいにより出場を取りやめて再休場 | |
11月場所 | 西幕下6 | 3勝4敗 | ||
2020年 | 1月場所 | 東幕下11 | 3勝4敗 | |
3月場所 | 西幕下16 | 全休 | 休場 | |
5月場所 | 中止 | - | 感染症拡大により中止 | |
7月場所 | 東幕下57 | - | 7月13日付で引退 |
4.3. 幕内対戦成績
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
朝赤龍 | 1 | 0 | 阿夢露 | 1 | 0 | 勢 | 0 | 1 | 遠藤 | 1 | 1 |
臥牙丸 | 2 | 0 | 鏡桜 | 0 | 1 | 北太樹 | 1 | 0 | 旭秀鵬 | 1 | 0 |
旭天鵬 | 1 | 0 | 琴勇輝 | 1 | 1 | 里山 | 1 | 0 | 松鳳山 | 0 | 1 |
蒼国来 | 2 | 0 | 大栄翔 | 0 | 2 | 大翔丸 | 1 | 0 | 貴ノ岩 | 1 | 0 |
豪風 | 0 | 1 | 千代鳳 | 0 | 2 | 千代大龍 | 0 | 2 | 時天空 | 0 | 1 |
德勝龍 | 0 | 1 | 豊ノ島 | 0 | 2 | 豊響 | 1 | 0 | 錦木 | 0 | 1 |
英乃海 | 2 | 1 | 誉富士 | 0 | 1 | 嘉風 | 0 | 1 |
5. 個人生活
2018年5月14日、青狼は2016年12月にモンゴル人女性と結婚していたことを公表した。婚姻届提出後、番付が下がったことを理由に延期していた結婚披露宴が、2018年6月10日に東京都内のホテルで開催された。披露宴には、師匠の錣山親方をはじめ、鶴竜、白鵬の両横綱など、約250人のゲストが出席した。青狼は謝辞の中で「どれくらいの人が来てくれるか分からなくて心配していたが、こんなにたくさんの方に来ていただき、心がいっぱい」と感謝の気持ちを述べた。白鵬は直立不動で静かに聞き入り、大きな拍手を送った。鶴竜は挨拶で「これを機に幕内に定着してほしい。2人で力を合わせて頑張ってください」と同郷の後輩にエールを送った。
6. 引退と引退後の活動
青狼武士は、2020年7月場所を東幕下57枚目で迎える予定であったが、同年7月13日付で現役引退を表明した。引退の理由として、無菌性髄膜炎を患い、2週間の入院で体重が20 kgも落ち、その後は力が出なくなってしまったことを挙げている。
彼の断髪式は、引退から約2年後の2022年8月20日に東京都内のホテルで行われ、師匠の錣山親方が止め鋏を入れた。
引退後はモンゴルに帰国し、実業家としての道を歩んでいる。引退直後は不動産関係の仕事に就くことを希望していたが、2021年6月からは石膏を扱う会社を経営している。