1. 生涯
さいとう・たかをの生涯は、幼少期の複雑な家庭環境から、漫画家としての道を切り開き、独自の制作体制を築き上げた挑戦の連続であった。
1.1. 出生と少年時代
さいとうは1936年(昭和11年)11月3日、5人兄弟の末子として和歌山市に生まれた。しかし、生後まもなく転居し、その後大阪府堺市に移り住んだため、彼自身は43歳になるまで和歌山で生まれたことを知らなかった。
父親が幼い頃に家を出たため、母親が理髪店を営みながら女手一つで5人の子供を育てた。さいとうは幼い頃から図画工作(美術)の科目と喧嘩が得意な、いわゆる不良少年であり、将来の夢はボクサーか画家になることであった。中学時代には大阪府の絵画展で金賞を獲得するほどの芸術的才能を示していた。
1.2. 家族関係
さいとうの父親は、営んでいた理髪店を放り出し、写真家、画家、彫刻家などを目指したが挫折し、家を出ていった。このため、母親は芸術関係の仕事を人一倍嫌悪するようになり、さいとうの目の前で何の躊躇もなく父親の絵をかまどにくべて焼き、「男が芸術で食べていけるわけが無い」と吐き捨てたという。小学生時代のさいとうが地元の展覧会で金賞を取った絵も、即座にかまどに放り捨てられ燃やされた。
彼が漫画家となるために実家の理髪店を辞めた際には、母親は大激怒し、以来、漫画と漫画家を親の仇のように憎悪するようになった。さいとうが漫画家として大成した後も、送った『ゴルゴ13』の単行本を見もせずに即刻焼却し、死の床にあっても単行本に指一つ触れようとせず、視界から背けて和解を拒むなど、さいとうのことを最期まで認めず、許さなかった。このことはさいとう自身も気にしており、執筆室には仕事をしている彼に向かい合うように亡き母親の写真が飾られていた。
さいとうの兄である斉藤發司も同様で、彼がさいとう・プロダクションおよびリイド社の代表取締役社長になった後も、自分の子供に「漫画など読むな」と説教していたという。
元妻のセツコ・山田との間には2人の娘がおり、この姉妹は「じゃんぐる堂」という共同ペンネームで同人誌や商業誌(親族が経営するリイド社の『コミック乱』を含む)に漫画を執筆している。
1.3. 学業と初期の漫画への傾倒
1952年に堺市立福泉中学校を卒業した後、実家の理髪店で働き始めた。当時、さいとうは漫画に興味がなく、将来の夢は挿絵画家だった。しかし、挿絵業界が今後狭まっていく、あるいは自分の考えている方向とは違う方に行くだろうという漠然とした不安感から、当時熱中していた映画や、進駐軍が持ち込んだ「10セント・コミックス」に影響を受け、ストーリー漫画を志すようになった。
同時期に手塚治虫(誕生月日が同じである)の『新寶島』を見て衝撃を受け、「紙で映画が作れる!」と興奮したという。当時のさいとうは手塚の影響を受け、柔らかなタッチの絵を描いていた。
2. 漫画家としてのキャリア
さいとう・たかをは、貸本漫画の世界で「劇画」を確立し、その後一般誌へと進出して『ゴルゴ13』という不朽の名作を生み出した。
2.1. 貸本漫画と劇画
1953年には家業である理髪店を姉と継いだが、1955年に仕事の合間に2年近くかけて描いたストーリー漫画『空気男爵くうきだんしゃく日本語』を、大阪の貸本出版社日の丸文庫に持ち込んだ。等倍の紙に漫画を描いたため、社長の山田秀三にダメ出しされるが、一年かけて書き直し、1956年にデビューが決まった。それ以降、日の丸文庫の看板漫画家として単行本を次々と発表した。
同年には、辰巳ヨシヒロや松本正彦らと同じアパートで共同生活を送りながら漫画を描き始めた。当時、さいとうは高校生だった川崎のぼるをアシスタントとして働かせていたが、さいとうの人使いが荒かったことから、川崎は早々に逃げ出している。
1958年(昭和33年)、先輩漫画家の久呂田まさみに連れられて上京し、東京都国分寺市のアパートに居を構えた。1959年、国分寺に居住していた日の丸文庫系劇画家のさいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ、石川フミヤス、K・元美津、桜井昌一、山森ススム、佐藤まさあき、松本正彦ら8人で劇画制作集団「劇画工房げきがこうぼう日本語」が結成された。人気劇画家の制作集団とあって貸本出版社からの執筆依頼が殺到し、多数の貸本劇画短編集を出版したが、組織論や仕事配分、ギャラの分配などで揉め、翌1960年春に劇画工房は短期で分裂した。
2.2. さいとう・プロダクション設立と分業制
「劇画工房」の分裂後、佐藤まさあきや川崎のぼる、南波健二、ありかわ栄一らと新・劇画工房の設立を計画するが、頓挫。その計画を元に1960年(昭和35年)4月、東京都国分寺市に自らの漫画制作会社「さいとう・プロダクション」を設立した。さいとうの組織論に共鳴していた石川フミヤスらがスタッフに加わり、さいとうの兄である斉藤發司がマネージャーを務めることになった。以後、多数の貸本劇画を出版し、中でも『台風五郎たいふうごろう日本語』はシリーズ化され人気を博した。
1962年(昭和37年)には、貸本劇画家有志と「劇画集団」を設立した。メンバーはさいとう・たかを、横山まさみち、永島慎二、南波健二、石川フミヤス、ありかわ栄一、旭丘光志、都島京弥、いばら美喜、山田節子、武本サブロー、影丸譲也など。この団体は漫画制作を目的とした新・旧劇画工房とは異なり、劇画家の親睦のための団体であり、一般読者会員にも会報などを発行していた。

2.3. メジャーデビューと『ゴルゴ13』
貸本業界が傾き始めた1963年、小学館の『ボーイズライフボーイズライフ日本語』に連載された『007』のコミカライズを機に、一般漫画誌に本格的に進出した。1967年には時代劇アクション劇画『無用ノ介むようのすけ日本語』(『週刊少年マガジン』)を連載し、劇画路線の『マガジン』を代表するヒット作となった。
その後、1968年(昭和43年)10月より連載を開始した『ゴルゴ13ゴルゴサーティーン日本語』(『ビッグコミック』)は、さいとうにとっての代表作であり、日本の「劇画」の代名詞となる。この作品は現在も連載が続く長寿漫画であり、1976年(昭和51年)1月には1975年度小学館漫画賞の青年一般部門を、2005年(平成17年)1月には2004年度小学館漫画賞の審査委員特別賞を受賞した。
2021年7月には、単行本第201巻の刊行をもって「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された。さいとうは2013年に、「漫画はこれほど長く続いたので、もはや作者のものではなく、読者のものだ」と述べている。『ゴルゴ13』は、2本の実写映画、1本のアニメ映画、1本のOVA、テレビアニメシリーズ、そして複数のコンピュータゲームにメディアミックスされている。また、さいとうは1971年から漫画の描き方に関する講座も開いていた。
21世紀に入ると、『ゴルゴ13』、『鬼平犯科帳おにへいはんかちょう日本語』、『仕掛人・藤枝梅安しかけにん ふじえだばいあん日本語』の3作の長期連載を軸に活動し、大ベテランとなっても月産150ページ以上の旺盛な執筆活動を展開した。しかし、2008年に武本サブロー、2014年に石川フミヤスと、長年にわたって仕事を支えてきたチーフアシスタントが相次いで死去したこともあり、さいとうの作業量が増加した。そのため2015年2月、体力的な負担を理由に『仕掛人・藤枝梅安』の休載を決定した。残り2作品の連載執筆に専念しつつ(これらもページ数を減らしている)、『梅安』の再開も模索したが、結局体力の限界を理由に2016年3月、『梅安』の連載終了を告知した。
そうした状況であったが、最晩年の2021年7月からは『ビッグコミック増刊号ビッグコミックぞうかんごう日本語』(元は『ビッグコミック』本誌と並行して『ゴルゴ13』を連載していたが、上述の事情で新作を休止していた)にて、『ゴルゴ13』のスピンオフ作品である『銃器職人・デイブじゅうきしょくにんデイブ日本語』の連載を開始している。
3. 創作活動と哲学
さいとう・たかをの創作活動は、「劇画」という独自のアイデンティティと、映画制作に範をとった革新的な分業制に支えられていた。
3.1. 劇画作家としてのアイデンティティ
さいとうは自身を「漫画家」ではなく「劇画作家」と位置づけていた。これは、彼の作品が単なる娯楽漫画に留まらず、より深いリアリティとドラマ性を追求したものであるという芸術的信念を反映している。貸本漫画時代にSF志向もあったが、若い労働者が主体だった貸本漫画の客層がそれを受け入れなかったため、アクション漫画がメインになっていった。
3.2. 作画技法と制作プロセス
さいとうの作画技法は独特であり、デビュー当初はGペンを使用していたが、後に太さの違うサインペンでペン入れを行うようになった。また、ネーム後には基本的に下書きをせず、いきなりペン入れから始めるという手法をとっていた。キャラクターを描く際には、眉毛やモミアゲといった特徴的な部分から描き始めるのが彼の流儀であった。作品中の台詞の数字は、固有名詞を除いて全て漢数字で表記される。
さいとう・プロダクションには総勢10名の作画スタッフがおり、徹底した分業制が敷かれていた。例えば、『鬼平犯科帳』の制作工程は以下の通りである。
下書きはひきの真二が担当し、脚本を読んで鉛筆で下書きを描く。それを作画チーフの藤原芳秀と、双子の兄である藤原輝美がチェックし、構図を「鬼平流」にアレンジする。構図が決まると、「背景」担当の白川修司、「主要キャラ」担当の木村周司、「脇役キャラ」担当の宇良尚子に原稿が渡され、それぞれ別のスタッフに作画が割り振られる。キャラクターが描かれ、背景がすべて入ったら、最後は仕上げとなり、スタッフ全員でトーン貼り、ベタ塗り、修正を施していく。この下書きから原稿完成まで、およそ7日ほどかかるという。
余談だが、「さいとうたかをは主人公の目しか描かない」と称されることがあるが、これは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で登場する漫画家と作者である秋本治がさいとうの熱心なファンであることから結びついた都市伝説の類である。
4. 受賞歴と栄誉
さいとう・たかをは、その長きにわたる画業と漫画界への貢献に対し、数々の賞と公的な栄誉を受けている。
4.1. 主要な受賞歴
- 1976年1月 - 第21回小学館漫画賞青年一般部門(『ゴルゴ13』)
- 2002年 - 日本漫画家協会賞大賞(『ゴルゴ13』)
- 2005年1月 - 第50回小学館漫画賞審査委員特別賞(『ゴルゴ13』)
- 2017年11月 - 第2回まんが郷いわて特別賞
- 2018年1月 - 和歌山県文化表彰文化賞
- 2019年 - 手塚治虫文化賞特別賞
4.2. 政府からの叙勲・褒章
- 2003年11月 - 紫綬褒章
- 2010年4月 - 旭日小綬章(旭日小綬章)
- 2019年9月 - 名誉都民(東京都功労者として)
- 2021年10月6日 - 正六位(没後追贈)
4.3. さいとう・たかを賞
さいとう・たかを劇画文化財団は、さいとうが漫画制作に採用した脚本と作画を分離する分業制を用いた「優れた作品」を表彰するため、2017年に「さいとう・たかを賞さいとう たかをしょう日本語」を設立した。2018年1月に第1回が授与され、受賞した漫画の脚本家、作画担当者、編集者または編集部に贈られる。賞品は「ゴルゴ13トロフィー」と呼ばれ、脚本家と作画担当者の受賞者にはそれぞれ50.00 万 JPYが贈られる。
プロの漫画編集者のみが推薦を提出でき、ノミネートされる漫画は成人読者を対象とし、翻案ではない完全にオリジナルの作品でなければならない。選考委員は、さいとう・たかを(死去まで)、池上遼一、山崎十三、佐藤優が務めてきた。長崎尚志(ペンネーム:リチャード・ウー)は、第1回受賞後に各選考委員会に参加している。新型コロナウイルス感染症の流行のため、第4回さいとう・たかを賞では武論尊に48年間の漫画界への貢献に対し特別賞が贈られ、その年にノミネートされた作品は翌年のノミネート作品として扱われることになった。
年 | タイトル | 脚本 | 作画 | 編集者 |
---|---|---|---|---|
2018 | 『アブラカダブラ ~猟奇犯罪特捜室~アブラカダブラ りょうきはんざいとくそうしつ日本語』 | リチャード・ウー | 吉崎せいむ | 中山、平井(『ビッグコミックオリジナル』) |
2019 | 『イサックイサック日本語』 | 真刈信二 | ダブルS | 新井均 |
2020 | 『レイリレイリ日本語』 | 岩明均 | 室井大介 | 澤貴文 |
2021 | 新型コロナウイルス感染症のため授与されず。武論尊に「特別賞」が贈られた。 | |||
2022 | 『Shrink~精神科医ヨワイ~シュリンク せいしんかいヨワイ日本語』 | 七海仁 | 月子 | 山里直広 |
2023 | 『ケーキの切れない非行少年たちケーキのきれないひこうしょうねんたち日本語』 | 宮口幸治 | 鈴木マサカズ | 岩坂友昭 |
2024 | 『ABURAあぶら日本語』 | ナンバーエイト | 迫力バク | 小林翔、和田真平 |
2025 | 『平和の国の島崎へへいわのくにのしまざきへ日本語』 | 濱田轟天 | 瀬下たかし | 田渕浩司、原雄司 |
5. 私生活
さいとう・たかをの私生活は、多岐にわたる趣味や、彼の人柄を示す数々の逸話に彩られていた。
5.1. 趣味と嗜好
さいとうの趣味はテレビや映画鑑賞であり、若い頃からの大相撲ファンでもあった。元大相撲力士の三濱洋俊明は母方の親戚にあたる。1980年代にはゴルフに熱中しており、山梨の富士野屋別館には、交流の深い漫画家仲間である石ノ森章太郎、北見けんいち、ちばてつや、つのだじろう、藤子不二雄A、古谷三敏らと書いた寄せ書きが額縁入りで飾られている(松本零士も来る予定だったが、原稿が間に合わず参加できなかったという)。
彼は小学4年生から喫煙を始めたという愛煙家であり、「煙草と名のつく物は何でも吸ってきた」と話し、過去には葉巻(細巻きのメキシコ産の銘柄を愛煙していた)やパイプも喫煙したことがあると語っている。執筆も喫煙しながら行っていた。現在は紙巻きたばこを愛煙しており、これまで嗜好していた銘柄は、プレミア・ワンやメビウス・ディースペックなどとのこと。元々は、吸い終えた煙草の火で次の煙草に着火するという、チェーンスモーカーであったらしく、一日の喫煙量は相当なものになっていたようであるが、現在は1日40本ほどになったと話している。
5.2. 人物像と逸話
さいとうは28歳で網膜剥離を患い、48歳で糖尿病と診断された。彼は漫画家の石ノ森章太郎と親友であった。
中学生のころ、さいとうは「こんなものはただのクイズだ、試験でもなんでもない。個人の能力がわかるはずがない」と考え、一度もまともに試験を受けなかった。しかし、ある教師が担当になったとき、いつものように答案用紙を白紙で返すと、その教師はさいとうの答案用紙を持って来て机の上に置き、「これを白紙で出すのは君の意思だから構わない、しかしこの答案用紙を提出するのは君の義務なんだから、自分の責任の証明として名前だけは書け」と諭されて感銘を受け、それを期に人間の約束と責任について深く考えるようになったという。この教師の姓が「東郷」であり、『ゴルゴ13』が名乗る名(デューク東郷)の一部となった。
さいとうの少年時代のやんちゃぶりは自伝的漫画『いてまえ武尊』に詳しい。さいとう曰く「飼い猫を焼いて食ったこと以外はほぼ実話」としている。彼は『漫画少年』ファンの友達に勧められ、一度だけ『漫画少年』に投稿した経験があり、それが審査員の手塚治虫に悪い見本として取り上げられ酷評されたという(しかし実際には投稿欄の手塚によると思われていた文章は編集者が書いたものであり、手塚は忙しくて名前だけ貸していた状態であったことが後に判明する)。
漫画家になってからも、友人の永島慎二を殴ろうとしたヤクザをメンチを切って追い払う、泥酔して絡んできた久呂田まさみを投げ飛ばす、などの数々の武勇伝がある。
さいとう・プロダクションのある東京都中野区に在住していたが、妻の出身である岩手県にも居を構えていた。なお、『ゴルゴ13』で岩手県出身の商社マン(後に商社を辞めて帰郷)をたびたび登場させたり、東條英機が戦犯として逮捕された自分の奪還を企てた者に達観の心境を示す場面があったりするなど、漫画の中に岩手県への思いが示されている。
彼は能見正比古の提唱した血液型性格診断の熱烈な信奉者であり、血液型の著書を複数出している。2014年9月26日には大阪府堺市の名誉大使として委嘱を受けた。
『ゴルゴ13』は理髪店などに置かれることが多いが、これは一話完結で待ち時間でも読みやすいからであると同時に、作者が理髪店出身という経緯から親しみをこめているという店も存在する。
6. さいとう・プロダクションと出版事業
さいとう・たかをは、自身の漫画制作プロダクションを設立し、独自の分業制を確立することで、漫画制作のあり方に大きな影響を与えた。
6.1. さいとう・プロダクション
株式会社さいとう・プロダクションは、初めて漫画制作に分業体制や脚本部門を置いた漫画制作プロダクションである。一般的な漫画アシスタントが低賃金長時間労働であるのに対し、さいとう・プロダクションは雇用条件に気を配っており、スタッフの待遇の良さには定評がある。これは、分業で漫画制作を行うことによって、無理なく長期連載を請け負うことが可能であるという、独自のビジネスモデルによって実現されている。
株式会社さいとう・プロダクションは、1960年4月に創業し、1964年9月に法人化された。本社は東京都中野区中野1丁目55番3号に位置し、劇画の創作および商標権の取得・利用を事業内容としている。嘱託を含め16名の従業員を擁する(2021年時点)。
例えば、手塚治虫が手塚プロダクションで漫画作品を描いた場合には、手塚治虫個人の名前だけが作家名として表記されるのが常であったが、さいとう・プロダクションの作品の場合は、最後のページでスタッフ一覧のクレジットタイトルが映画作品と同様に示されている。ただし、単行本ではこれらのクレジットは削除されており、単なる余白となっている。
さいとうが亡くなった現状では、作画スタッフがキャラクターの顔を似せて描こうとすると1時間近くかかるため、大量にストックされている顔をトレースして描いているという。
6.1.1. 組織体制とスタッフ
さいとう・プロダクションには総勢10名の作画スタッフがおり、徹底した分業制が敷かれている。
6.2. リイド社との関係
リイド社は、さいとう・プロダクションの出版部門が分社化されたものであり、さいとうの兄である斉藤發司がリイド社およびさいとう・プロダクションの代表取締役社長を務めてきた。2016年に發司が死去したことを受け、發司の長男で専務取締役(当時)だった斉藤哲人が社長を引き継いでいる。
設立当時、大手出版社では漫画雑誌の出版がメインで、単行本を出版するということをあまりしていなかったため、その当時からの慣例で、さいとうの漫画は他社の雑誌に連載されている作品であっても単行本はリイド社から出版されている(『ゴルゴ13』は、小学館『ビッグコミック』連載で、単行本はリイド社、小学館でも一部再刊されている)。
7. 死去と作品の継承
さいとう・たかをは膵臓がんにより死去したが、彼の遺志により、代表作である『ゴルゴ13』をはじめとする作品群は、その制作体制によって継続されることとなった。
7.1. 死去
2021年9月24日、膵臓がんのため84歳で死去した。彼の死去は5日後に小学館から発表された。
7.2. 作品の継続
連載中の『ゴルゴ13』については、「自分抜きでも続いていってほしい」とのさいとうの遺志に沿い、さいとう・プロダクションと脚本スタッフ、連載元の『ビッグコミック』編集部の協力体制で連載を継続させていくことが発表された。
もう一つの連載作品である『鬼平犯科帳』も、同年9月30日に連載の継続がリイド社公式サイトで発表された。さいとうが確立した漫画制作の分業制は、彼の死をもって究極の形となったと言える。
8. 著作・関連活動
さいとう・たかをの著作は多岐にわたり、漫画作品以外にも活字作品やメディア出演を通じてその活動は広範囲に及んだ。
8.1. 漫画作品リスト
さいとうは『ゴルゴ13』以外にも多岐にわたるジャンルの作品を手がけている。
- 『怪盗シュガーかいとうシュガー日本語』(1972年) - 未発売のNESビデオゲーム『Secret Ties』に翻案された。
- 『影狩りかげがり日本語』(1969年)
- 『空気男爵くうきだんしゃく日本語』(1955年)
- 『雲盗り暫平くもとりざんぺい日本語』シリーズ(1983年 - 1988年)
- 『ゴルゴ13』シリーズ(1968年 - 連載中)
- 銃器職人・デイブ - 『ゴルゴ13』のスピンオフ作品。
- 『採掘師(プロスペクター)M一族』もしくは『SECRET M一族』
- 『仕掛人・藤枝梅安しかけにん ふじえだばいあん日本語』シリーズ(2002年 - 2016年)
- 『ホーキングホーキング日本語』(1974年)
- 『THE シャドウマン』
- 『サイレント・ワールド』
- 『ベリー・ファーザー』
- 『サバイバルサバイバル日本語』シリーズ(1976年 - 1980年)
- 『七人の侍』
- 『007』シリーズ(1964年 - 1967年) - イアン・フレミング原作『死ぬのは奴らだ』『サンダーボール作戦』『女王陛下の007』『黄金の銃を持つ男』の劇画化。全4冊。
- 『台風五郎たいふうごろう日本語』シリーズ(1958年)
- 『歴史劇画 大宰相』 - 戸川猪佐武の『小説吉田学校』を漫画化。
- 『デビルキング』シリーズ(1964年)
- 『バロム・1バロムワン日本語』シリーズ(1970年)
- 『ブレイクダウンブレイクダウン日本語』(1995年)
- 『漂流』
- 『いてまえ武尊』
- 『東京捜査戦線 いぬ棒』シリーズ
- 『無用ノ介むようのすけ日本語』シリーズ(1967年)
- 『OPERATIONG.G.』
- 『鬼平犯科帳おにへいはんかちょう日本語』シリーズ(1993年 - 連載中、漫画化) - 池波正太郎の小説シリーズを漫画化したもので、2019年9月号では編集部のミスにより25年ぶりに掲載されない号となった。当初は久保田千太郎(1巻から40巻)の脚本に基づき、その後は大原久澄が40巻から53巻まで脚本を担当し、その後は森山かおりが加わった。
- 『太平記』(マンガ日本の古典)
- 『水滸伝』
- 『血闘!新選組』
- 『毒ダネ特派員カスガ』(『KASUGA』シリーズ)
- 『キティ・ホーカー』シリーズ
- 『マッド★メガ』シリーズ
- 『挑戦野郎』シリーズ
- 『海上特殊救難隊-板垣豪-』シリーズ
- 『捜し屋禿鷹登場!!』シリーズ
- 『織田信長』
- 『武田信玄』
- 『北条時宗』
- 『ホテル探偵DOLLホテルたんていドール日本語』(1980年)
- 『武芸紀行』
- 『刺客 怨み葵』シリーズ(脚本:工藤かずや)
- 『過去からの声』(原案:手塚治虫)
- 『鯨神』(原作:宇能鴻一郎)
- 『日本沈没』(1970年、漫画:さいとうプロ、原作:小松左京)
- 『買厄人 九頭竜』(石ノ森章太郎『買厄懸場帖 九頭竜』をリメイク)
- 『Mr. BIRD』シリーズ
- 『うどん団兵衛』(2014年2月28日、リイド社)
- 『ウルトラマン危機一発!』(朝日ソノラマ)
- 『大黒屋光太夫 江戸の世にロシアを見た男』(1992年 徳間書店)
- 『剣客商売けんかくしょうばい日本語』(1998年 - 1999年、漫画化)
8.2. 活字作品・関連書籍
- 『劇画家生活30周年記念 さいとう・たかを 劇画の世界』(1986年12月15日、リイド社)
- 『さいとう・たかをのコーヒーブレイク 俺の秘密ファイル』(1992年11月20日、フローラル出版)
- 『さいとう・たかをの【ゴルゴ流】血液型人物観察術』(2002年4月19日、PHP研究所)
- 『さいとう・たかを 劇・男』(著者:さいとう・たかを 劇・男制作委員会)(2003年11月19日、リイド社)
- 『俺の後ろに立つな さいとう・たかを劇画一代』(2010年6月25日、新潮社)
- 『画業60周年記念出版 さいとう・たかをゴリラコレクション 劇画1964』(2015年11月13日、リイド社)
- 『さいとう・たかを本 漫画家本vol.7』(2018年9月12日、小学館)
- 『劇画の神様 さいとう・たかをと小池一夫の時代』(著者:伊賀和洋)(2024年4月30日、彩図社)※ さいとうたかおと小池一夫の元アシスタントが体験を描いた漫画。
8.3. メディア出演
- 情熱大陸(MBSテレビ、2006年2月5日)
- 日経スペシャル カンブリア宮殿 「漫画をビジネスに変えた男!」(2007年2月26日、テレビ東京)
- 探検バクモン「ゴルゴ13の秘密基地に潜入せよ!」(NHK総合、2013年1月16日・23日)
- 浦沢直樹の漫勉(NHK Eテレ、2015年9月25日)
- 漫道コバヤシ #22「画業60周年記念!ゴルゴ13シリーズ さいとう・たかをSP」(フジテレビONE、2015年12月14日)
- ゴロウ・デラックス(TBSテレビ、2016年7月22日(21日深夜))
- SWITCHインタビュー 達人達「さいとう・たかを×山中俊治」(NHK Eテレ、2019年12月21日)
- ごごナマ(NHK総合、2020年1月9日)
- アナザーストーリーズ 運命の分岐点「"用件を聞こうか"~ゴルゴ13 最大の危機~」(NHK-BSP、2020年10月6日)
- 週刊文春 2016年6月2日号 頁64-67に、樋口武男の「複眼対談」第68回で、対談記事「さいとう・たかを 劇画家」が掲載。
9. 影響と遺産
さいとう・たかをは、日本の漫画界に多大な影響を与え、その功績は後世に大きな遺産として残されている。
9.1. 漫画界への貢献
さいとうは、貸本漫画の時代に「劇画」というジャンルを確立した人物の一人である。また、自身の漫画制作会社「さいとう・プロダクション」を設立し、映画制作になぞらえた各スタッフの分業体制による作品制作方式を確立したことは、漫画制作手法における画期的な革新であった。このシステムは、長期連載を可能にし、漫画家個人の負担を軽減しながらも、質の高い作品を安定して供給するビジネスモデルを提示した。
9.2. 文化的な功績
さいとうの代表作である『ゴルゴ13』は、1968年の連載開始以来、日本の漫画史上最も長く連載されている作品の一つであり、2021年7月には「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された。この作品は、そのリアリティと社会情勢を反映した内容で、日本の漫画文化、ひいては社会全体に大きな影響を与えた。彼の作品は、漫画が単なる子供向けの娯楽ではなく、大人も楽しめる深遠な物語を表現できる媒体であることを示し、その地位向上に貢献した。