1. 生い立ちと背景
アニヤ・パーションは1981年4月25日にスウェーデンのヴェステルボッテン県ウメオで生まれた。彼女はサーミ人のルーツを持つ。スキーとの出会いは、彼女の姉フリーダによってもたらされた。幼少期からスキーに親しみ、後に彼女のコーチとなる父アンデシュから専門的な指導を受けた。彼女はタールナIKフィエルヴィンデンというクラブに所属していたが、このクラブはスキー界の伝説的な選手であるインゲマール・ステンマルクやスティグ・ストランドも所属していたことで知られる。身長は1.7 m、体重は75kgである。
2. アルペンスキー選手としての経歴
アニヤ・パーションは、アルペンスキー選手としてその名を世界に轟かせ、数々の歴史的功績を残した。
2.1. ジュニア時代とワールドカップデビュー
パーションはジュニア時代からその才能を発揮した。1998年のアルペンスキージュニア世界選手権では、回転で銅メダル、大回転で金メダルを獲得する活躍を見せた。このジュニア世界選手権での優勝により、彼女は1998年3月15日にスイスのクランス・モンタナで行われた1998年アルペンスキー・ワールドカップファイナルの大回転で、16歳にしてワールドカップデビューを果たした。しかし、この初戦では25位と最下位に終わった。
その後、彼女は1998年12月、17歳の時にアメリカ合衆国のマンモス・マウンテン・スキー・エリアで行われた回転のレースでワールドカップ初勝利を挙げた。さらに、2001年アルペンスキー世界選手権で最初の金メダルを獲得し、トップ選手としてのキャリアを本格的にスタートさせた。
2.2. ワールドカップでの功績
パーションはワールドカップにおいて、2004年と2005年の2シーズンで総合優勝を果たした。特に2005年の総合優勝は、ライバルであるヤニツァ・コステリッチにわずか3ポイント差という史上最小の差で勝利するという激戦であった。
彼女は当初、回転と大回転のスペシャリストとして知られていたが、2005年3月にイタリアのサン・シカリオで行われたプレオリンピック大会で初めてスーパー大回転と滑降のレースで勝利を収め、その適応力とオールラウンドな才能を示した。
ワールドカップ通算では42勝を挙げ、これはすべての5種目(滑降、スーパー大回転、大回転、回転、複合)での勝利を含む。表彰台に立った回数は合計95回に上る。また、種目別優勝は合計5回で、大回転で3回(2003年、2004年、2006年)、回転で1回(2004年)、複合で1回(2009年)のタイトルを獲得している。
2011年3月の滑降での勝利により、彼女は10シーズン連続でワールドカップでの優勝を達成した。これは、アルベルト・トンバとブレーニ・シュナイダーの11シーズン連続優勝に次ぐ記録であり、レナーテ・ゲッチュル、インゲマール・ステンマルク、ミカエラ・シフリンと並ぶ偉業である。
2.3. オリンピック競技大会
パーションは3度のオリンピックに出場し、合計6個のメダルを獲得した。
- 2002年ソルトレークシティオリンピック**
- 大回転で銀メダルを獲得。
- 回転で銅メダルを獲得。
- 2006年トリノオリンピック**
- 回転で金メダルを獲得し、初のオリンピックチャンピオンとなった。
- 滑降と複合でそれぞれ銅メダルを獲得。この大会でスウェーデン選手団の旗手も務めた。
- 2010年バンクーバーオリンピック**
- 滑降では、最終ジャンプでバランスを崩し、60 mもの距離を飛んで転倒したが、幸いにも大きな怪我はなかった。
- 転倒の翌日には複合で銅メダルを獲得し、その精神的な強さを示した。
- 大回転で22位、スーパー大回転で11位。回転ではDNF2(2回目途中棄権)に終わった。
2.4. 世界選手権
パーションは世界アルペンスキー選手権大会に7回出場し、合計13個のメダル(金7、銀2、銅4)を獲得した。
- 2001年アルペンスキー世界選手権 (ザンクト・アントン)**
- 回転で金メダルを獲得。
- 大回転で銅メダルを獲得。
- 2003年アルペンスキー世界選手権 (サン・モリッツ)**
- 大回転で金メダルを獲得。
- 2005年アルペンスキー世界選手権 (ボルミオ)**
- スーパー大回転と大回転で金メダルを獲得。
- 複合で銀メダルを獲得。
- 滑降で7位。
- 2007年アルペンスキー世界選手権 (オーレ)**
- 地元スウェーデンで開催されたこの大会で、パーションはスーパー大回転、複合、滑降の3種目で金メダルを獲得し、アルペンスキー史上初となる全5種目(滑降、スーパー大回転、大回転、回転、複合)での世界選手権金メダル獲得という偉業を達成した。
- 回転で銅メダルを獲得。
- チームイベントで銀メダルを獲得。
- 2009年アルペンスキー世界選手権**
- 回転9位、大回転15位、滑降12位、スーパー大回転DNF、複合DNF1。
- 2011年アルペンスキー世界選手権 (ガルミッシュ=パルテンキルヒェン)**
- 複合で銅メダルを獲得。
- チームイベントで銅メダルを獲得。
- 大回転9位、スーパー大回転10位、滑降11位。
2.5. 選手としてのハイライトと記録
パーションの選手生活は、数々の印象的なレースと記録に彩られている。ワールドカップとオリンピックで獲得した個人メダルの総数は17個に上り、これは女子アルペンスキーにおいてクリストゥル・クランツの記録を更新するものである。男子アルペンスキーではシェティル・アンドレ・オーモットの20個に次ぐ記録である。
2006/07シーズンと2007/08シーズンの2シーズンは、総合カップで5位と6位に終わり、期待を裏切る結果となったが、2008/09シーズンには総合3位に返り咲き、再びその強さを見せつけた。
現役期間中には、モナコに数年間居住していた。
3. 現役引退
アニヤ・パーションは、2012年3月12日に公式に現役引退を発表した。彼女の現役最後の競技は、同週末にシュラートミンクで開催されるワールドカップファイナルとなった。引退の背景には、長年の激しい競技生活による身体への負担や、新たな人生のステージへの移行があったと考えられている。
4. 引退後の活動
現役引退後も、アニヤ・パーションは様々な分野で活躍を続けている。
2014年の2014年ソチオリンピックでは、Viasatのスキー解説者として登場した。2015年からは、スウェーデン・テレビのスポーツ専門家としても活動している。
また、彼女は妻と共に会社を経営しており、事業家としての側面も持っている。2017年には、スウェーデンのテレビ局TV4で放送された有名人ダンス番組『Let's Dance 2017』に出演し、新たな一面を見せた。
5. 私生活
アニヤ・パーションは、公私にわたる開かれた姿勢でも知られている。2012年6月、彼女はスウェーデンのラジオ番組『ソマル』に出演し、過去5年間、フィリッパ・ローディンという女性と交際していたことを公表し、二人の間に子供が誕生する予定であることを明かした。この発表は、多くの人々にとって勇気と希望を与えるものであった。
2012年7月4日、二人の間には息子のエルヴィスが誕生した。そして2014年8月2日、アニヤ・パーションとフィリッパ・ローディンはウメオで結婚式を挙げた。この結婚式では、元スウェーデン社会民主労働党党首であるモナ・サーリンが司式を務めた。
2015年1月には、パーションが二人目の子供を妊娠していることが発表され、同年5月には次男のマクシミリアンが誕生した。家族と共に、彼女は2012年から故郷のウメオで生活している。

6. 栄誉と評価
アニヤ・パーションは、その輝かしい功績に対し、国内外から高い評価を受けている。彼女はスウェーデンの日刊紙『スヴェンスカ・ダーグブラーデト』が選出するスヴェンスカ・ダーグブラーデト金メダルを2006年と2007年の2年連続で受賞した。この賞は、スウェーデンでその年に最も優れたスポーツ選手に贈られる栄誉ある賞であり、パーションの競技への貢献と影響力の大きさを物語っている。



7. 競技記録
7.1. ワールドカップシーズン成績
シーズン | 年齢 | 総合 | 回転 | 大回転 | スーパーG | 滑降 | 複合 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | 17 | 12 | 3 | 12 | - | - | - |
2000 | 18 | 8 | 3 | 15 | 39 | - | - |
2001 | 19 | 11 | 10 | 2 | - | - | - |
2002 | 20 | 5 | 3 | 3 | - | - | - |
2003 | 21 | 3 | 2 | 1 | 34 | - | - |
2004 | 22 | 1 | 1 | 1 | 15 | 42 | - |
2005 | 23 | 1 | 6 | 2 | 4 | 8 | 2 |
2006 | 24 | 2 | 3 | 1 | 9 | 7 | 2 |
2007 | 25 | 5 | 12 | 13 | 6 | 4 | 14 |
2008 | 26 | 6 | 15 | 15 | 7 | 4 | 3 |
2009 | 27 | 3 | 10 | 16 | 4 | 7 | 1 |
2010 | 28 | 3 | 16 | 10 | 7 | 3 | 2 |
2011 | 29 | 8 | 37 | 25 | 5 | 5 | 6 |
2012 | 30 | 32 | - | 39 | 21 | 28 | 9 |
7.2. ワールドカップ個人種目優勝記録
ワールドカップ個人種目優勝記録は以下の通りである。
シーズン | 日付 | 開催地 | 種目 |
---|---|---|---|
1999 | 1998年12月3日 | アメリカ合衆国マンモス・マウンテン | 回転 |
2002 | 2001年12月9日 | イタリアセストリエーレ | 回転 |
2001年12月29日 | オーストリアリエンツ | 回転 | |
2002年1月5日 | スロベニアマリボル | 回転 | |
2002年1月6日 | 回転 | ||
2003 | 2002年11月30日 | アメリカ合衆国アスペン | 回転 |
2002年12月15日 | イタリアセストリエーレ | KO-回転 | |
2003年1月19日 | イタリアコルティーナ・ダンペッツォ | 大回転 | |
2003年1月25日 | スロベニアマリボル | 大回転 | |
2003年1月26日 | 回転 | ||
2003年3月6日 | スウェーデンオーレ | 大回転 | |
2004 | 2003年11月28日 | アメリカ合衆国パークシティ | 大回転 |
2003年11月29日 | 回転 | ||
2003年12月16日 | イタリアマドンナ・ディ・カンピーリオ | 回転 | |
2003年12月28日 | オーストリアリエンツ | 回転 | |
2004年1月5日 | フランスメジェーヴ | 回転 | |
2004年1月24日 | スロベニアマリボル | 大回転 | |
2004年1月25日 | 回転 | ||
2004年2月7日 | ドイツツヴィーゼル | 大回転 | |
2004年2月8日 | 回転 | ||
2004年2月21日 | スウェーデンオーレ | 大回転 | |
2004年3月14日 | イタリアセストリエーレ | 大回転 | |
2005 | 2004年11月23日 | オーストリアゼルデン | 大回転 |
2005年1月23日 | スロベニアマリボル | 回転 | |
2005年2月25日 | イタリアサン・シカリオ | スーパーG | |
2005年2月26日 | 滑降 | ||
2006 | 2005年12月11日 | アメリカ合衆国アスペン | 回転 |
2005年12月22日 | チェコシュピンドレルーフ・ムリーン | 回転 | |
2005年12月28日 | オーストリアリエンツ | 大回転 | |
2006年1月13日 | オーストリアバート・クラインキルヒハイム | 滑降 | |
2006年1月27日 | イタリアコルティーナ・ダンペッツォ | スーパーG | |
2006年2月4日 | ドイツオフタースヴァング | 大回転 | |
2006年3月11日 | フィンランドレヴィ | 回転 | |
2006年3月15日 | スウェーデンオーレ | 滑降 | |
2007 | 2007年3月15日 | スイスレンツァーハイデ | スーパーG |
2008 | 2007年12月15日 | スイスサン・モリッツ | 滑降 |
2007年12月16日 | スーパーG | ||
2008年3月9日 | スイスクランス・モンタナ | 複合 | |
2009 | 2008年12月19日 | スイスサン・モリッツ | 複合 |
2009年1月18日 | オーストリアアルテンマルクト・イム・ポンガウ | 滑降 | |
2010 | 2010年1月29日 | スイスサン・モリッツ | 複合 |
2011 | 2011年3月5日 | イタリアタルヴィージオ | 滑降 |
7.3. 世界選手権成績
年 | 年齢 | 回転 | 大回転 | スーパーG | 滑降 | 複合 |
---|---|---|---|---|---|---|
1999 | 17 | DNF1 | DNF1 | - | - | - |
2001 | 19 | 1 | 3 | - | - | - |
2003 | 21 | 4 | 1 | - | - | - |
2005 | 23 | DNF2 | 1 | 1 | 7 | 2 |
2007 | 25 | 3 | DNF2 | 1 | 1 | 1 |
2009 | 27 | 9 | 15 | DNF | 12 | DNF1 |
2011 | 29 | - | 9 | 10 | 11 | 3 |
7.4. オリンピック成績
年 | 年齢 | 回転 | 大回転 | スーパーG | 滑降 | 複合 |
---|---|---|---|---|---|---|
2002 | 20 | 3 | 2 | - | - | - |
2006 | 24 | 1 | 6 | 12 | 3 | 3 |
2010 | 28 | DNF2 | 22 | 11 | DNF | 3 |