1. 概要
アルボイーノ1世・デッラ・スカラ(Alboino I della Scalaアルボイーノ1世・デッラ・スカライタリア語)は、ヴェローナ領主として1304年から1311年に死去するまで統治したスカリゲル家の人物である。彼はアルベルト1世・デッラ・スカラとヴェルデ・ダ・サリッツォーレの次男としてヴェローナに生まれた。1308年からは弟のカングランデ1世・デッラ・スカラと共同統治を行い、神聖ローマ皇帝のハインリヒ7世を支持したことで、1311年にはヴェローナとその領土における帝国代理に任命された。彼の死後、ヴェローナ領主の座はカングランデ1世が引き継ぎ、その死後はアルボイーノの息子であるアルベルト2世・デッラ・スカラとマスティーノ2世・デッラ・スカラが統治した。
2. 生涯と家族
アルボイーノ1世・デッラ・スカラは、デッラ・スカラ家の勢力を拡大し、ヴェローナの歴史において重要な役割を果たした。彼の私生活もまた、当時の政治的な婚姻慣習を反映していた。
2.1. 生誕と初期の人生
アルボイーノ1世・デッラ・スカラは、1284年にヴェローナで生まれた。彼は先代のヴェローナ領主であったアルベルト1世・デッラ・スカラと、ヴェルデ・ダ・サリッツォーレの次男である。1289年には「非常に幼い」と記録されており、その生年は正確には不明な点もあるが、1284年とする説が有力である。
2.2. 結婚と子女
アルボイーノは二度の結婚をしている。最初の結婚は1298年に、ミラノの領主マッテーオ1世・ヴィスコンティの娘であるカテリーナ・ヴィスコンティとであった。8年後、アルボイーノは1306年にコッレッジョのギルベルト3世・ダ・コレッジョの娘であるベトリーチェ・ダ・コレッジョと再婚した。
彼には二人の息子と二人の娘がいた。息子たちは後にヴェローナ領主となるアルベルト2世・デッラ・スカラとマスティーノ2世・デッラ・スカラである。娘のうち、最初の結婚で生まれたアルボイーナ(およそ1309年生まれ)は、サン・ミケーレ・イン・カンパーニャ修道院の修道院長となった。二番目の結婚で生まれたヴェルデは、1317年にリッツァルド・ダ・カミーノと結婚した。
3. ヴェローナ領主としての統治
アルボイーノ1世・デッラ・スカラは、兄の死後ヴェローナ領主の座を継ぎ、その治世中に弟との共同統治を開始し、神聖ローマ帝国内でのデッラ・スカラ家の地位を強化した。
3.1. 継承と初期の治世
1304年3月7日または8日に兄のバルトロメオ1世・デッラ・スカラが死去した後、アルボイーノはヴェローナ領主の座を継承した。彼は、当時イタリアで有力な政治的派閥であったギベリン側に与し、帝国の権威を支持する姿勢を示した。
3.2. 共同統治と帝国における役割
1308年以降、アルボイーノは自身の弟であるカングランデ1世・デッラ・スカラを共同統治者として任命した。これにより、デッラ・スカラ家は統治体制を強化し、その影響力を拡大した。彼らは神聖ローマ皇帝であるハインリヒ7世への支持を通じて利益を得た。ハインリヒ7世が1311年にイタリアに下った際、彼はアルボイーノとカングランデをヴェローナとその領土の帝国代理に任命した。この任命は、デッラ・スカラ家が神聖ローマ帝国内で正式な地位と権限を得たことを意味し、彼らの支配の正当性を高めることとなった。
4. 死去と継承
アルボイーノの死去は、ヴェローナにおけるデッラ・スカラ家の権力構造に変化をもたらしたが、彼の血統は後に再び領主の座を継承した。
4.1. 死去
アルボイーノ1世・デッラ・スカラは、1311年11月29日にヴェローナで死去した。
4.2. 後継者と遺産
アルボイーノの死後、彼の共同統治者であった弟のカングランデ1世・デッラ・スカラがヴェローナ領主の座を単独で継承した。カングランデは1329年に死去するまで統治を続け、ヴェローナの領土を主要な地域国家へと拡大させた。
カングランデの死後、アルボイーノの二人の息子であるアルベルト2世・デッラ・スカラとマスティーノ2世・デッラ・スカラがヴェローナの統治を引き継いだ。これにより、アルボイーノの血統が再びヴェローナの支配権を握り、デッラ・スカラ家における彼の遺産が維持されることになった。