1. 来歴
イゴルス・コラブロフスは、1974年11月23日にソビエト連邦のリガで生まれました。彼のサッカーキャリアは、幼少期から始まり、主にディフェンダーとしてその才能を開花させました。プロとしてのキャリアをラトビア国内で確立した後も、選手として、そして後には指導者としても、その経験と知識を次の世代に伝え続けています。
1.1. クラブキャリア
コラブロフスは、1994年にオリンプス・リガでプロサッカー選手としての第一歩を踏み出しました。彼はこのクラブで2年間プレーした後、ラトビアの主要なクラブをいくつか経験し、各チームで重要な役割を果たしました。特にFKヴェンツピルスやFBグルベネでは長期間にわたり主力選手として活躍し、それぞれのクラブの成功に貢献しました。また、2005年から2006年にはウクライナのFCクルィヴバス・クルィヴィーイ・リーフにも短期間所属しました。彼の選手としてのキャリアは、2016年にRTU FCで幕を閉じました。
彼の主なクラブキャリアは以下の通りです。
クラブ名 | 在籍期間 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
オリンプス・リガ | 1994-1995 | 43 | 1 |
FKダウガヴァ・リガ | 1996-1998 | 71 | 2 |
FKリガ | 1999-2001 | 53 | 0 |
FKヴェンツピルス | 2002-2004 | 78 | 1 |
FKユールマラ | 2005 | 13 | 0 |
FCクルィヴバス・クルィヴィーイ・リーフ | 2005-2006 | 20 | 1 |
FKリガ | 2006-2008 | 60 | 0 |
FCダウガヴァ・リガ | 2009-2010 | 23 | 0 |
FBグルベネ | 2010-2015 | 123 | 2 |
RTU FC | 2016 | データなし | データなし |
1.2. 代表キャリア
イゴルス・コラブロフスは、1998年にスロベニアとの国際試合でラトビア代表にデビューしました。彼は2006年までの約8年間にわたり代表チームに選出され、国際Aマッチ通算21試合に出場しましたが、得点はありませんでした。ディフェンダーとして、彼の役割はチームの守備を安定させ、後方から攻撃を構築することにありました。
彼の代表キャリアにおける最大の功績は、ラトビアが史上初めて主要な国際大会の本大会出場を果たしたUEFA EURO 2004のメンバーに選出されたことです。この大会で、コラブロフスは背番号18を着用し、チームの一員として歴史的な舞台に立ちました。ラトビア代表チームは、この大会で世界の強豪と対戦し、その堅実なプレーは国民に大きな感動と誇りをもたらしました。これは、ラトビアサッカー史における画期的な出来事であり、チーム全体の努力と献身の象徴として記憶されています。
UEFA EURO 2004のラトビア代表メンバーは以下の通りです。
- ゴールキーパー: コリンコ、ピーデルス、パフロフス
- ディフェンダー: ステパノフス、ゼムリンスキス、ブラゴナデジンス、イサコフス、ロバノフス、スミルノフス、ズィルニス、コラブロフス、ザクレシェフスキス
- ミッドフィールダー: アスタフィエフス (主将)、ライザーンス、ブレイデリス、ルビンス、プロホレンコフス、プチンスキス、シュトルツェルス
- フォワード: ヴェルパコフスキス、パハース、ミホラプス、リムクス
- 監督: スタルコフス
2. 指導者キャリア
コラブロフスは、選手としてのキャリア終盤において、指導者としての道を歩み始めました。2010年から2015年にかけて所属したFBグルベネでは、選手としてプレーを続ける一方で、クラブのコーチも兼任しました。これは、彼のチームへの多角的な貢献を示すものであり、経験豊かなベテラン選手が若手を指導するモデルケースとなりました。選手引退後も、彼はサッカー指導者としてその専門知識と経験を活かし、ラトビアのサッカー界の発展に貢献し続けています。
3. 功績・評価
イゴルス・コラブロフスは、ラトビアサッカー界において、長年にわたる堅実なプレーと献身的な貢献で高く評価されています。特に、同国が初めてUEFA EURO 2004本大会に出場した際のメンバーであったことは、彼のキャリアにおける最も重要なハイライトの一つです。この歴史的な出来事は、ラトビアサッカーの国際的な認知度向上に多大な影響を与え、その達成に貢献した選手の一人として、彼の名は記憶されています。彼は、個人の華々しい記録よりも、チームへの貢献と、選手そして指導者としての育成への長期的な関与を通じて、ラトビアサッカーの基盤を支えた存在として認識されています。彼のキャリアは、一貫した努力とチームワークの重要性を示す模範として、後進の選手たちに影響を与え続けています。