1. 生い立ちと背景
エディソン・エルネスト・バリオス・カスティーヨは、1988年10月11日にベネズエラのアラグア州ビジャ・デ・クーラで生まれた。彼の家族は音楽的な才能に恵まれており、父親はボンゴのセミプロ、いとこはプロのトランペット奏者、そして2人の叔父もティンバレスやサックスのプロ奏者という音楽一家に育った。彼自身もボンゴやドラムが得意であり、野球選手としてのキャリアを終えた後には音楽を学びたいと語っている。
2. プロ経歴
エディソン・バリオスは、2006年にピッツバーグ・パイレーツと契約してプロキャリアをスタートさせ、その後、日本の独立リーグ、NPB、そしてメキシカンリーグと多様な環境でプレーした。
2.1. マイナーリーグ及び独立リーグ時代
バリオスはキャリアの初期にアメリカのマイナーリーグやベネズエラのウィンターリーグ、日本の独立リーグで経験を積んだ。
2.1.1. ピッツバーグ・パイレーツ傘下時代
2006年にピッツバーグ・パイレーツに入団したバリオスは、傘下のルーキー級チームであるベネズエラン・サマーリーグ・パイレーツで3年間プレーした。この期間、彼は防御率1点台という安定した成績を残した。2008年シーズン終了後にフリーエージェントとなった。
2.1.2. ベネズエラウィンターリーグ時代
パイレーツを退団した後、バリオスは母国のウィンターリーグ(リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル)に参加した。2009年と2010年には数試合に登板したが、目立った成績は残せなかった。ソフトバンク退団後の2011年と2014年のウィンターリーグにも参加し、2011年には中継ぎで7回2/3イニングを投げ防御率3.52、2014年には6試合登板(先発1試合)で防御率3.46、WHIP2.08の成績を残している。
2.1.3. 関西独立リーグ 神戸サンズ時代
2011年、バリオスは同年から関西独立リーグに参入した神戸サンズに入団し、4月24日にチームに合流した。主に先発としてプレーし、前期リーグでは最多勝利とベストナインを獲得してチームの優勝に貢献した。この時期の彼の防御率はリーグ4位の1.66を記録した。この時のストレートの最高球速は148 km/h、平均球速は146 km/hだった。
2.2. 日本プロ野球 (NPB) 時代
独立リーグでの活躍が認められ、バリオスは日本プロ野球(NPB)の舞台へと進んだ。
2.2.1. 福岡ソフトバンクホークス (2011-2016)
福岡ソフトバンクホークスでは、負傷からの復帰、そして中継ぎとしての活躍を見せた。
2.2.2. 富山GRNサンダーバーズ (2017)
ソフトバンク退団後、2017年3月6日にはBCリーグの富山GRNサンダーバーズに入団した。富山では18試合に登板し、10勝4敗、防御率1.39、WHIP1.05と好成績を残した。
2.2.3. 横浜DeNAベイスターズ (2018-2019)
2017年11月10日、バリオスは横浜DeNAベイスターズと契約合意したことが発表された。推定年俸は2000.00 万 JPYで、背番号は42に決まった。
2018年4月7日の広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)で先発として移籍後初勝利を挙げた。シーズン終了時点で打線の援護に恵まれず2勝に留まったものの、防御率3.33、WHIP1.19と、先発・リリーフの両方で存在感を示した。
2019年はシーズン開幕から不調が続き、二軍でも不安定な投球が続いた。一軍ではわずか3試合の先発登板に終わった。シーズン終了後、10月30日に球団から翌2020年の契約を見送る旨が通告され、12月2日に自由契約となった。
2.3. メキシカンリーグ時代
DeNA退団後、バリオスはメキシカンリーグへと活動の場を移した。
2.3.1. ディアブロス・ロホス・デル・メキシコ (2020)
2020年4月2日、バリオスはリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのメキシコシティ・レッドデビルズと契約した。しかし、COVID-19パンデミックの影響でシーズンが中止となり、公式戦での出場機会はなかった。9月7日、彼はフリーエージェントとなった。
3. プレースタイル
エディソン・バリオスは右投右打の投手で、強いストレートと多彩な変化球を武器とする。神戸サンズ時代には最高球速148 km/h、平均球速146 km/hのストレートを投げ、ソフトバンク移籍後の二軍初登板では最速152 km/hを記録した。彼のストレートはフォーシームとツーシームを使い分け、内角を強気に攻める投球が特徴である。2015年には、当時の工藤公康監督から「日本人のような下半身の使い方ができるため、球速以上に速く感じる」と評価された。
変化球は、NPB移籍前はスライダー、カーブ、チェンジアップを投げていた。NPB移籍後はフォークを磨き、新たにカットボールも習得した。また、ナックルカーブも持ち球としている。2012年のキャンプでは、当時の秋山幸二監督から投球が単調であると指摘されたこともあったが、その後は投球の幅を広げている。
4. 人物
エディソン・バリオスは、野球に対する真摯な姿勢だけでなく、その親しみやすい人柄や文化への順応性でも知られている。
4.1. 家族関係と趣味
バリオスの家庭は音楽的才能に溢れており、父親はボンゴのセミプロ、いとこはプロのトランペット奏者、2人の叔父もティンバレスとサックスのプロ奏者である。彼自身もボンゴやドラムが得意で、野球を引退した後は音楽を学びたいという夢を持っている。
トミー・ジョン手術を受けた際は、家族を母国に残したまま日本でリハビリに励んだ。2013年に支配下登録された後、彼は寮を出て妻と当時1歳の息子、エディソン(Edixon)と共に日本での生活を始めた。
また、バリオスには故郷のベネズエラで食用として飼育されているカピバラを特別な日に食べる習慣があり、それが好物だった。彼はカピバラの肉の味をワニに近いと述べている。
4.2. 対人関係と語学力
バリオスは、人間関係を大切にする人物としても知られている。ベネズエラ時代には、後にソフトバンクでチームメイトとなるアレックス・カブレラの息子とバッテリーを組んでいた経験がある。福岡に移住した直後も、かつて所属した神戸サンズのスタッフに毎日電話をかけるなど、交流を続けていた。オフシーズンには、自身がかつて所属していた母国の自宅近くの野球アカデミーで練習を行うなど、ルーツを忘れない一面も持つ。
日本では通訳を置かずに若手選手から熱心に日本語を学び、平仮名を読めるレベルに達した。ヒーローインタビューなどではスペイン語なまりの英語で話すことが多かった。
王貞治球団会長とは、キャンプの際に毎年食事を共にし、野球に対する考え方や多くの経験談を聞き、自身の糧としてきた。2015年に17試合連続ホールドのNPBタイ記録を達成した日が王会長の誕生日だったため、日本語でメッセージを送っている。
2015年5月から6月にかけてホールド失敗が4度続いた際も、工藤公康監督は「投球内容が悪くなったわけじゃない。(バリオスの再調整は)考えていない。今までの働きを考えると守ってあげられるようにしたい」と発言し、登録を抹消せずにバリオスへの信頼を示した。このような監督からの信頼は、バリオスの選手としての支えとなった。
5. 詳細記録と受賞歴
エディソン・バリオスのプロ野球キャリアにおける具体的な統計記録と受賞歴を以下に示す。
5.1. 年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 奪 三 振 | 与 四 球 | 与 死 球 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | ソフトバンク | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 63 | 13.2 | 18 | 1 | 5 | 0 | 1 | 8 | 2 | 0 | 7 | 7 | 4.61 | 1.69 |
2014 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 12 | 2.2 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3.38 | 1.88 | |
2015 | 30 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 20 | .000 | 152 | 34.0 | 37 | 1 | 16 | 2 | 3 | 34 | 1 | 1 | 15 | 12 | 3.18 | 1.56 | |
2016 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | .000 | 60 | 12.2 | 20 | 1 | 5 | 2 | 0 | 16 | 1 | 1 | 11 | 11 | 7.82 | 1.97 | |
2018 | DeNA | 14 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | .286 | 228 | 54.0 | 52 | 1 | 12 | 0 | 2 | 39 | 2 | 1 | 23 | 20 | 3.33 | 1.19 |
2019 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 66 | 14.2 | 12 | 0 | 10 | 1 | 2 | 11 | 0 | 0 | 8 | 7 | 4.30 | 1.50 | |
通算:6年 | 63 | 16 | 0 | 0 | 0 | 5 | 12 | 1 | 23 | .294 | 581 | 131.2 | 142 | 4 | 50 | 5 | 8 | 111 | 6 | 3 | 65 | 58 | 3.96 | 1.46 |
- 2021年度シーズン終了時
5.2. 独立リーグでの投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | 奪 三 振 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 神戸 | 9 | 6 | 1 | 0 | .857 | 202 | 48.2 | 37 | 0 | 22 | 1 | 38 | 3 | 1 | 14 | 9 | 1.66 | 7.03 | 1.23 |
2017 | 富山 | 18 | 10 | 4 | 0 | .714 | 386 | 97.1 | 73 | 1 | 29 | 5 | 103 | 6 | 0 | 18 | 15 | 1.39 | 9.52 | 1.05 |
通算:2年 | 27 | 16 | 5 | 0 | .762 | 588 | 146.0 | 110 | 1 | 51 | 6 | 141 | 9 | 1 | 32 | 24 | 1.48 | 8.69 | 1.10 |
5.3. 主要記録
NPBでの主要な記録は以下の通り。
5.3.1. NPB
; 初記録
- 初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利:2013年8月18日、対北海道日本ハムファイターズ16回戦(帯広の森野球場)、5回2失点
- 初奪三振:同上、1回裏にミチェル・アブレイユから見逃し三振
- 初ホールド:2015年3月28日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、8回表に2番手で救援登板、1回無失点
- 初セーブ:2015年6月23日、対埼玉西武ライオンズ10回戦(埼玉県営大宮公園野球場)、7回裏に2番手で救援登板、1回無失点 ※8回表途中での降雨コールド試合
; その他の記録
- 17試合連続ホールド:2015年 ※藤川球児と並ぶNPBタイ記録
5.4. 背番号
プロ経歴で使用した背番号は以下の通りである。
- 34(2011年 - 同年7月28日、2017年)
- 69(2011年7月29日 - 同年終了)
- 142(2012年 - 2013年7月30日、2015年1月7日 - 同年3月23日)
- 7(2013年7月31日 - 同年終了)
- 67(2014年)
- 65(2015年3月24日 - 2016年)
- 42(2018年 - 2019年)