1. 幼少期と大学でのキャリア
ペリーはメンフィスで生まれ育ち、後にメンフィス州立大学(現在のメンフィス大学)に進学した。大学ではバスケットボール選手として活躍し、身長183 cmのポイントガードとして、その素早いスラッシング能力と、空中でショットを修正して相手のファウルを誘発する技術で、非常に危険な選手としてマークされた。当時の大学チームは、彼のような質の高いサポート選手が不足していたため、ペリー自身がチームを牽引する役割を担わざるを得なかった。
大学時代のペリーは、後にNBAのスター選手となるアンファニー・ハーダウェイの高校および大学の先輩にあたる。二人は親密な関係を築いていた。ハーダウェイは、ペリーの最終学年時にチームメイトになる予定だったが、学業成績の問題によりレッドシャツ(公式試合への出場停止措置)となり、結局二人が一緒にプレーすることは叶わなかった。
2. プロバスケットボール選手としてのキャリア
エリオット・ペリーのプロバスケットボール選手としてのキャリアは、1991年のNBAドラフトで幕を開け、様々なチームを渡り歩きながら、その能力を発揮した。
2.1. NBA初期およびCBAでの経験
ペリーは1991年のNBAドラフトにおいて、ロサンゼルス・クリッパーズから2巡目全体37位で指名された。1991-92 NBAシーズンにクリッパーズで10試合に出場した後、ウェーバー公示され、同シーズン中にシャーロット・ホーネッツと契約し、40試合に出場した。その後、ペリーは2年間CBAでプレーすることになった。CBAでは、ラクロス・キャットバーズ、ロチェスター・レニゲイド、グランドラピッズ・フープスといったチームで経験を積んだ。
2.2. フェニックス・サンズでの活躍とキャリアのハイライト
1993年にフェニックス・サンズに加入し、NBAに復帰した。そして、1994-95 NBAシーズンにはキャリアのハイライトを迎えることとなる。このシーズン、チームの主力ポイントガードであったケビン・ジョンソンが怪我で欠場したことにより、ペリーはポイントガードのレギュラーとして出場機会を得た。彼はこのチャンスを最大限に活かし、NBA最優秀躍進選手賞(MIP)の候補となるほどの目覚ましい活躍を見せた。このシーズンの彼のパフォーマンスは、チームのチャールズ・バークレーからも高く評価された。
2.3. キャリア後期と引退
フェニックス・サンズで活躍した後、ペリーは複数のチームを渡り歩いた。1996年から1999年にかけてミルウォーキー・バックスでプレーし、1999年から2000年にはニュージャージー・ネッツに所属した。2000年にはオーランド・マジックで6試合に出場し、その後再びフェニックス・サンズに戻り、2000-01 NBAシーズンに43試合に出場した。
そして、2001-02 NBAシーズン、故郷のチームであるメンフィス・グリズリーズと10日間契約を結び、わずか2試合に出場したのを最後に現役を引退した。この2試合でペリーは合計11得点を記録した。
3. プレースタイルと「ソックス」の愛称
エリオット・ペリーのプレースタイルは、カレッジ時代から「ソックス」の愛称と共に特徴的であった。彼は素早いスラッシング能力を持ち、そのアグレッシブなプレーで知られた。特に、空中でショットを修正し、ディフェンダーからファウルを引き出す技術は秀逸で、相手チームにとっては非常に厄介な存在だった。
彼の「ソックス」という愛称は、大学時代からNBAキャリアを通じて、試合中に常にハイソックスを着用していたことに由来する。この特徴的なスタイルは彼のトレードマークとなり、彼の愛称として定着した。
4. 引退後の活動
バスケットボール選手としてのキャリアを終えた後も、エリオット・ペリーは多岐にわたる分野で活躍し、地域社会への貢献を続けている。
4.1. 放送活動と球団オーナーシップ
2006-07 NBAシーズンからは、元NBA選手でメンフィス州立大学の同窓生でもあるハンク・マクダウェルと共に、メンフィス・グリズリーズのラジオ中継におけるカラーコメンテーターを務めている。これにより、彼は引き続きバスケットボールとの関わりを保ち、ファンにその知識と視点を提供している。また、ペリーは現在、メンフィス・グリズリーズの少数株主としても球団運営に携わっている。
4.2. 地域社会への貢献と私生活
ペリーは、故郷メンフィスの郊外であるジャーマンタウンに妻と子供と共に居住している。引退後も彼は、近所の元選手や子供たちと一緒にバスケットボールをすることを楽しんでいる。
地域社会への貢献にも非常に積極的であり、ボーイズ・アンド・ガールズ・クラブ・オブ・グレーター・メンフィス(Boys & Girls Club of Greater Memphis)でメンターとして活動している。また、カッパ・アルファ・プサイ友愛会の会員でもある。
2000年1月には、同じくメンフィス出身のNBA選手であるトッド・デイ、アンファニー・ハーダウェイ、ロレンゼン・ライトと共に、母親の遺体と1か月間生活していたメンフィスの子供に経済的支援を行った。このような慈善活動は、彼が単なるアスリートではなく、地域に根ざした人間として社会に深く関与していることを示している。
5. 受賞と栄誉
エリオット・ペリーは、そのバスケットボールキャリアにおいて、いくつかの重要な栄誉と評価を受けている。
5.1. 大学での栄誉
彼が所属したメンフィス大学では、その功績を称え、彼の背番号34が永久欠番に指定された。これは、大学バスケットボールにおける彼の傑出した貢献と、チームに与えた影響の大きさを物語っている。
5.2. NBAでの評価
1994-95 NBAシーズンにおける目覚ましい活躍は、NBA全体で高く評価され、彼は同シーズンのNBA最優秀躍進選手賞(MIP)の有力候補(最終的な次点)となった。これは、彼が自身の能力を最大限に引き出し、チームに不可欠な存在として成長したことの証である。また、ペリーは1989年のFIBAアメリカ選手権にアメリカ代表として出場し、銀メダルを獲得している。
6. キャリア統計
6.1. NBA
6.1.1. レギュラーシーズン
年 | チーム | 出場試合数 | 先発出場試合数 | 平均出場時間 | フィールドゴール成功率 | 3ポイント成功率 | フリースロー成功率 | 平均リバウンド数 | 平均アシスト数 | 平均スティール数 | 平均ブロック数 | 平均得点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991-92 | ロサンゼルス | 10 | 0 | 6.6 | .400 | .000 | .500 | 0.7 | 1.4 | 0.9 | 0.1 | 1.3 |
1991-92 | シャーロット | 40 | 0 | 9.3 | .377 | .200 | .667 | 0.8 | 1.6 | 0.6 | 0.1 | 2.8 |
1993-94 | フェニックス | 27 | 9 | 16.0 | .372 | .000 | .750 | 1.4 | 4.6 | 0.9 | 0.0 | 3.9 |
1994-95 | フェニックス | 82 | 51 | 24.1 | .520 | .417 | .810 | 1.8 | 4.8 | 1.9 | 0.0 | 9.7 |
1995-96 | フェニックス | 81 | 26 | 20.6 | .475 | .407 | .778 | 1.7 | 4.4 | 1.1 | 0.1 | 8.6 |
1996-97 | ミルウォーキー | 82 | 3 | 19.5 | .474 | .358 | .745 | 1.5 | 3.0 | 1.2 | 0.0 | 6.9 |
1997-98 | ミルウォーキー | 81 | 33 | 21.6 | .430 | .340 | .844 | 1.3 | 2.8 | 1.1 | 0.0 | 7.3 |
1998-99 | ミルウォーキー | 5 | 0 | 9.4 | .529 | 1.000 | .500 | 1.6 | 2.4 | 0.8 | 0.0 | 4.0 |
1998-99 | ニュージャージー | 30 | 0 | 8.1 | .349 | .391 | .750 | 0.9 | 1.2 | 0.5 | 0.0 | 2.6 |
1999-00 | ニュージャージー | 60 | 5 | 13.4 | .435 | .282 | .806 | 1.0 | 2.3 | 0.7 | 0.0 | 5.3 |
2000-01 | オーランド | 6 | 0 | 6.5 | .455 | .000 | .000 | 0.7 | 0.8 | 0.5 | 0.0 | 1.7 |
2000-01 | フェニックス | 43 | 6 | 10.7 | .465 | .250 | .727 | 1.0 | 1.7 | 0.4 | 0.0 | 3.2 |
2001-02 | メンフィス | 2 | 0 | 24.0 | .500 | .000 | .500 | 2.0 | 3.5 | 1.5 | 0.0 | 5.5 |
キャリア | 549 | 133 | 17.3 | .459 | .359 | .783 | 1.4 | 3.1 | 1.0 | 0.0 | 6.3 |
6.1.2. プレーオフ
年 | チーム | 出場試合数 | 先発出場試合数 | 平均出場時間 | フィールドゴール成功率 | 3ポイント成功率 | フリースロー成功率 | 平均リバウンド数 | 平均アシスト数 | 平均スティール数 | 平均ブロック数 | 平均得点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993-94 | フェニックス | 4 | 0 | 3.3 | .143 | .000 | .000 | 0.0 | 0.3 | 0.3 | 0.0 | 0.5 |
1994-95 | フェニックス | 9 | 0 | 11.8 | .476 | .400 | .800 | 1.1 | 1.3 | 0.6 | 0.0 | 6.9 |
1995-96 | フェニックス | 4 | 0 | 12.8 | .500 | .000 | .000 | 0.5 | 3.0 | 0.5 | 0.0 | 3.5 |
2000-01 | フェニックス | 2 | 0 | 8.5 | .600 | .000 | 1.000 | 2.0 | 2.0 | 1.0 | 0.0 | 6.5 |
キャリア | 19 | 0 | 9.8 | .466 | .333 | .778 | 0.8 | 1.5 | 0.5 | 0.0 | 4.8 |
6.2. カレッジ
年 | チーム | 出場試合数 | 先発出場試合数 | 平均出場時間 | フィールドゴール成功率 | 3ポイント成功率 | フリースロー成功率 | 平均リバウンド数 | 平均アシスト数 | 平均スティール数 | 平均ブロック数 | 平均得点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987-88 | メンフィス | 32 | 32 | 30.3 | .417 | .390 | .806 | 3.5 | 4.1 | 2.2 | 0.2 | 13.1 |
1988-89 | メンフィス | 32 | 32 | 31.8 | .462 | .316 | .821 | 3.4 | 3.7 | 2.1 | 0.0 | 19.4 |
1989-90 | メンフィス | 30 | - | 32.3 | .418 | .258 | .753 | 3.7 | 5.0 | 2.7 | 0.2 | 16.8 |
1990-91 | メンフィス | 32 | - | 36.5 | .464 | .360 | .793 | 3.5 | 4.6 | 2.7 | 0.0 | 20.8 |
キャリア | 126 | 64 | 32.7 | .443 | .345 | .794 | 3.5 | 4.3 | 2.4 | 0.1 | 17.5 |
7. 外部リンク
- [http://www.nba.com/playerfile/elliot_perry/ Elliot Perry bio]
- [https://web.archive.org/web/20130720101259/http://www.basketballreference.com/players/playerpage.htm?ilkid=PerryEl01 キャリア成績 (college & NBA)]
- [https://www.sports-reference.com/cbb/players/elliot-perry-1.html カレッジ成績]