1. 選手経歴
アルモンテのプロ野球選手としてのキャリアは、ニューヨーク・ヤンキースでのMLBデビューから始まり、北海道日本ハムファイターズでのNPB経験、そして複数の独立リーグやマイナーリーグでのプレーを経て、再びMLBに復帰するまでの道のりを辿った。
1.1. プロ入りからメジャーリーグデビュー
アルモンテは1996年にニューヨーク・ヤンキースとアマチュアFAとして契約した。その後、マイナーリーグで4年間を過ごし、2001年9月4日にメジャーリーグに初昇格を果たした。2002年シーズンはヤンキース傘下のマイナーリーグで過ごし、2003年にはデレク・ジーターが故障者リスト入りした際に昇格し、ジーター復帰まで遊撃手のレギュラーを務めた。同年オフには、埼玉西武ライオンズが松井稼頭央の後釜としてアルモンテの獲得を目指したが、実現しなかった。
1.2. 日本プロ野球(NPB)時代
ヤンキースから放出されたアルモンテは、2004年シーズンをコロラド・ロッキーズ傘下のAAA級、コロラドスプリングス・スカイソックスで主力として過ごした。2004年11月、クリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだが、試合に出場することなく契約が北海道日本ハムファイターズに売却され、2005年に2年契約で入団した。入団時、スカウトはアルモンテについて「打率3割2分、本塁打20本は打てる」と高く評価していた。
2005年シーズンの開幕当初はなんとか一軍に残り、選球眼の良さから四球を選ぶなど出塁率は高かったものの、打撃は不振に陥った。守備では、当時の日本ハムGMであった高田繁が「(あの守備は)全然駄目」と嘆くほど多くの失策を連発し、5月5日には二軍降格となった。二軍では4番や1番を務めるなど好成績を挙げたため、7月13日に一軍に再昇格した。その後は主に指名打者や代打として起用されたが、昇格後も成績は一向に向上せず、2年契約にもかかわらず、9月3日に同僚のブランドン・ナイトと共に戦力外通告を受け、退団した。アルモンテの起用を巡っては、当時遊撃のレギュラーでチームの信頼も厚かった金子誠を二軍に降格させてまで起用する価値があるのかと疑問視する声も上がっていた。
1.3. 独立リーグ・その他マイナーリーグ時代
日本ハム退団後の2006年は、アメリカの独立リーグであるアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスで主力としてプレーした。2007年から2008年にかけてはデトロイト・タイガース傘下のマイナーリーグ(最高でAAA級のトレド・マッドヘンズ)でプレーした。2008年シーズン後にFAとなり、2009年1月にはシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだが、スプリングトレーニング中にFAとなり、その後ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ。2009年と2010年の2シーズンは、ブルワーズ傘下のAAA級であるナッシュビル・サウンズで過ごした。2012年もブルワーズとマイナー契約を結んだが、メジャーに昇格することなくAAA級ナッシュビルでシーズンを終えた。2013年はリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのアグアスカリエンテス・レイルロードメンでプレーした。
1.4. メジャーリーグ復帰と現役引退
2011年、アルモンテはミルウォーキー・ブルワーズのスプリングトレーニングに招待選手として参加した。規定打席に到達した選手の中で最高の打率.416、3本塁打、OPS1.074という好成績を残し、2003年以来8年ぶりとなるメジャー昇格を果たし、開幕試合にも出場した。4月2日には、ブルワーズで約10年ぶりの本塁打を記録した。しかし、4月26日の練習中に送球を前頭部に受け、4月27日にはこの年から新設された、脳震盪を起こした選手を対象とした7日間から15日間の短期故障者リストを適用された最初の選手となった。6月3日には40人枠から外され、AAA級ナッシュビルに降格した。
2. 指導者経歴
選手引退後、アルモンテはセントルイス・カージナルス傘下の球団で監督や打撃コーチとして、若手選手の育成に携わっている。
2.1. 監督・コーチとしての活動
アルモンテは選手引退後、セントルイス・カージナルス傘下のマイナーリーグ球団で指導者としてのキャリアをスタートさせた。2018年にはカージナルスのルーキー級チームであるガルフ・コーストリーグ・カージナルスの監督を務めた。2019年シーズンにはピオリア・チーフスの監督に就任した。そして、2024年シーズンからはフロリダ・コンプレックスリーグ・カージナルスの打撃コーチを務めている。
3. 人物
アルモンテの人物像は、プロ野球選手である兄の存在、彼の選手としてのプレースタイルや評価、そしてその真面目で面倒見の良い性格にまつわるエピソードから形成されている。
3.1. 家族関係
アルモンテの実兄であるヘクター・アルモンテも元プロ野球選手であり、1999年と2003年にフロリダ・マーリンズ、ボストン・レッドソックス、モントリオール・エクスポズでメジャーリーグでのプレー経験がある。
3.2. プレースタイルと評価
アルモンテは、北海道日本ハムファイターズ入団時にスカウトから「打率3割2分、本塁打20本は打てる」と評価されるほどの打撃力を期待されていた。しかし、2005年の日本ハム在籍時には、選球眼の良さで四球を選ぶなど出塁率の高さを見せたものの、打撃そのものは不振に陥った。
守備面では、当時の日本ハムGMであった高田繁が「(あの守備は)全然駄目」と評するほどのお粗末な失策を連発し、課題とされた。当時、遊撃のレギュラーでチームの信頼も厚かった金子誠を二軍に降格させてまでアルモンテを使うべきなのかという疑問が呈されるなど、彼の守備は多くの議論を呼んだ。
3.3. 性格とエピソード
アルモンテは性格が良く、非常に練習熱心な人物であった。また、後輩の面倒見も良く、若手選手の手本となる存在だったため、日本ハム在籍時には他の日本人選手から「外国人選手とは思えなかった」と言われるほどだった。
彼の日本ハム時代の応援歌は、専用に作られたマイナーメロディのものであった。この応援歌は、歌詞の「アルモンテ」の部分がアウフタクトで8分音符前に出てくるという工夫が凝らされていた。しかし、実際に球場で演奏されると、応援団がメロディを間違って記憶してしまったために、そのアウフタクトが消えていたという逸話がある。なお、この応援歌のメロディは後に2013年に入団したミチェル・アブレイユに流用されている。
4. 詳細情報
アルモンテのプロ野球選手としての公式記録を、打撃成績、守備成績、および背番号に分けて詳述する。
4.1. 年度別打撃成績
年 度 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | NYY | 8 | 4 | 4 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .500 | .500 | .750 | 1.250 |
2003 | NYY | 31 | 111 | 100 | 17 | 26 | 6 | 0 | 1 | 35 | 11 | 1 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | 1 | 24 | 3 | .260 | .321 | .350 | .671 |
2005 | 日本ハム | 34 | 107 | 88 | 14 | 17 | 2 | 0 | 3 | 28 | 8 | 2 | 1 | 1 | 0 | 17 | 0 | 1 | 27 | 2 | .193 | .330 | .318 | .648 |
2011 | MIL | 16 | 29 | 29 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 6 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | .103 | .103 | .207 | .310 |
MLB:3年 | 55 | 144 | 133 | 18 | 31 | 7 | 0 | 2 | 44 | 14 | 3 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | 1 | 29 | 5 | .233 | .282 | .331 | .613 | |
NPB:1年 | 34 | 107 | 88 | 14 | 17 | 2 | 0 | 3 | 28 | 8 | 2 | 1 | 1 | 0 | 17 | 0 | 1 | 27 | 2 | .193 | .330 | .318 | .648 |
4.2. 年度別守備成績
;内野守備
{| class="wikitable"
!rowspan="2"|年
度!!rowspan="2"|球
団!!colspan="6"|一塁(1B)!!colspan="6"|二塁(2B)!!colspan="6"|遊撃(SS)
|-style="line-height:1.25em; text-align:center;"
!試
合!!刺
殺!!補
殺!!失
策!!併
殺!!守
備
率!!試
合!!刺
殺!!補
殺!!失
策!!併
殺!!守
備
率!!試
合!!刺
殺!!補
殺]]!!失
策!!併
殺!!守
備
率
|-
|style="text-align:center;"|2001
|style="text-align: center;"|NYY
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||colspan="6" style="text-align:center;"|-||4||4||3||1||1||.875
|-
|style="text-align:center;"|2003
|style="text-align: center;"|NYY
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||colspan="6" style="text-align:center;"|-||31||49||67||12||13||.906
|-
|style="text-align:center;"|2005
|style="text-align: center;"|日本ハム
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||1||0||0||0||0||----||27||43||80||9||22||.932
|-
|style="text-align:center;"|2011
|style="text-align: center;"|MIL
|2||3||0||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-||colspan="6" style="text-align:center;"|-
|-
!colspan="2"|MLB
|2||3||0||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align:center;"|-||35||53||70||13||14||.904
|-
!colspan="2"|NPB
|colspan="6" style="text-align:center;"|-||1||0||0||0||0||----||27||43||80||9||22||.932
|}
;右翼守備
年 度 | 球 団 | 右翼(RF) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2011 | MIL | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
MLB | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
4.3. 背番号
アルモンテがプロ野球選手として着用した背番号は以下の通りである。
- 11(2001年、2003年) - ニューヨーク・ヤンキース
- 43(2005年) - 北海道日本ハムファイターズ
- 22(2011年) - ミルウォーキー・ブルワーズ