1. 概要
コンスタンティン・ガルカ(Constantin Gâlcăコンスタンティン・ガルカルーマニア語/モルドバ語、1972年3月8日 - )は、ルーマニア・ブカレスト出身の元サッカー選手であり、現在はサッカー指導者である。選手時代は主に守備的ミッドフィールダーまたはセントラルミッドフィールダーとしてプレーし、高精度のミドルシュートで知られた。
彼はFCステアウア・ブカレストでその名を馳せた後、スペインで10年以上にわたりプレーし、5つのクラブ(中でもRCDエスパニョールが著名)で合計318試合に出場した。ルーマニア代表としても68試合に出場し、2度のFIFAワールドカップと2度のUEFA欧州選手権に参加した。指導者としては、選手時代に所属したステアウア・ブカレストやエスパニョールを含む複数のクラブを率いている。
2. 選手経歴
2.1. 初期経歴と背景
ガルカはブカレストで生まれ、16歳の若さでFCプログレスル・ブカレストの選手として3部リーグでシニアキャリアをスタートさせた(1988年-1989年)。そのわずか1年後には、ディヴィジアAに所属するFCアルジェシュ・ピテシュティに移籍し(1989年-1991年)、最初のシーズンで4試合に出場した。
その後、18歳でルーマニアU-21代表に選出された。1990-91シーズンにはアルジェシュ・ピテシュティで31試合に出場し2得点を挙げるなど、印象的な活躍を見せた。
2.2. 主要クラブ経歴
1991年、ガルカは国内の強豪クラブであるFCステアウア・ブカレストに移籍した。デビューシーズンである1991-92シーズンには26試合に出場し5得点を記録。ステアウアにはさらに2年間在籍し、合計13得点を追加した。この期間にクパ・ロムニエイで優勝を経験し、約200の公式戦に出場した後、スペインへと活躍の場を移した。
スペインでの最初のクラブはバレアレス諸島のRCDマジョルカで、1996年から1997年まで在籍した。ここでは13得点を挙げ、チームのラ・リーガ昇格に貢献し、チーム内得点王タイの成績を残した。その後、バルセロナを拠点とするRCDエスパニョールで安定した時期を過ごし(1997年-2001年)、エスパニョールでの3年目にあたる1999-2000シーズンには5得点を記録し、コパ・デル・レイ優勝に貢献した。
2001年7月にはビジャレアルCFと3年契約(1年延長オプション付き)を締結した。しかし、2年目の途中である2002-03シーズンにはセグンダ・ディビシオンのレアル・サラゴサにレンタル移籍した。サラゴサは1部昇格を果たしたが、ガルカは完全移籍することなくビジャレアルに戻った。
その後、2部リーグのUDアルメリアでさらに3シーズン活躍し(2003年-2006年)、最終シーズンである2005-06シーズンには40試合に出場した。アンダルシアを拠点とするアルメリアが1部昇格を果たす1年前の2006年6月、34歳で現役を引退した。なお、アルメリア在籍中の2005年には、3年ぶりに代表チームに復帰している。キャリア通算で500試合に出場し、60得点を記録している。
2.3. 代表経歴
ガルカは1993年9月22日、イスラエルとの親善試合でルーマニア代表にデビューした。1994 FIFAワールドカップには代表に招集され、大会中に3試合に出場し、その名を高めた。出場したのはグループステージのアメリカ合衆国戦、アルゼンチンとの決勝トーナメント1回戦(3-2の勝利)、そしてPK戦の末に敗れたスウェーデンとの準々決勝である。
1996年から2000年にかけて、ガルカはルーマニア代表として40試合以上に出場し、しばしばドリネル・ムンテアヌと中盤でコンビを組んだ。1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では、ルーマニアはグループリーグの10試合を無敗で通過し、わずか1引き分けで37得点を挙げ、ガルカも2得点を記録した。1998 FIFAワールドカップ本大会とUEFA EURO 2000では、ルーマニアはそれぞれベスト16とベスト8で敗退したが、ガルカは全試合に先発出場した。国際Aマッチ通算68試合出場、4得点(1993年-2005年)。
3. 指導者経歴
3.1. 初期指導者経歴
選手としてのキャリアを終えた後、ガルカはアルメリアを拠点に指導者としての道を歩み始めた。2009-10シーズンにはUDアルメリアBの監督として4部リーグでキャリアをスタートさせた。しかし、成績不振により2010年1月19日に解任された。
その後、2013年8月20日にはルーマニアU-17代表の監督に就任し、2014年6月に契約を満了した。
3.2. 主要クラブ指導者経歴
2014年6月、ガルカはラウレンティウ・レゲカンプの後任として、リーグ優勝チームのFCステアウア・ブカレストの監督に2年契約で就任した。就任初年度にして唯一のシーズンとなった2014-15シーズンには、チームを国内2冠(リーグとクパ・ロムニエイ)に導くという大きな成功を収めた。
2015年12月14日、彼は元チームメイトのセルヒオの後任としてRCDエスパニョールの監督に就任した。監督としての初陣は、翌日のレバンテUDとのコパ・デル・レイ戦で、ホームで2-1の勝利を収めた(合計3-2で勝ち抜け)。しかし、2016年5月27日、エスパニョールをリーグ13位に導いた後、契約は更新されなかった。
3.3. 海外クラブ指導者経歴
2016年10月19日、ガルカはサウジ・プロフェッショナルリーグのアル・タアーウンFCの監督に就任した。翌シーズンは同じリーグのアル・フェイハの監督を務めたが、9試合でわずか1勝に留まり、チームが降格圏に低迷したため、2017年11月7日に解任された。
2019年3月6日、ガルカはヨーロッパに復帰し、当時デンマーク・スーペルリーガ最下位だったヴェイレBKの監督に就任した。彼の指導の下、ヴェイレは2019-20シーズンに2部リーグで優勝し、トップリーグに復帰を果たした。しかし、理事会との意見の相違により、2021年5月に辞任した。
2021年12月10日、エルデルの解任後、アル・ハゼムFCの監督としてサウジトップリーグに復帰したが、2022年2月21日、双方合意の上でクラブを退団した。
2023年4月16日、ポーランドのエクストラクラサに所属するラドミアク・ラドムの監督に就任し、マリウシュ・レヴァンドフスキの後任となった。就任当初はリーグ戦5試合で3勝1分けと好調なスタートを切ったが、2023-24シーズンが進むにつれて、移籍活動や若手選手の出場時間に関する理事会の決定に不満を表明するようになった。2023年11月27日、シロンスク・ヴロツワフとのホームゲーム開始86分前に、双方合意によりクラブを退団したことが発表された。
2024年4月17日、ルーマニアのトップリーグに所属するCSウニベルシタテア・クライオバの新監督に就任することが発表され、2024-25シーズン終了までの契約(延長オプション付き)を結んだ。しかし、FCラピド・ブカレストに0-1でアウェイ敗戦を喫した後、2025年1月27日にクラブから解任された。
4. 記録
4.1. 選手記録
国際Aマッチ出場記録と得点記録は以下の通りである。
- 国際Aマッチ出場記録**
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
ルーマニア | 1993 | 1 | 0 |
1994 | 9 | 0 | |
1995 | 3 | 0 | |
1996 | 9 | 2 | |
1997 | 7 | 2 | |
1998 | 14 | 0 | |
1999 | 10 | 0 | |
2000 | 8 | 0 | |
2001 | 4 | 0 | |
2002 | 1 | 0 | |
2003 | 0 | 0 | |
2004 | 0 | 0 | |
2005 | 2 | 0 | |
合計 | 68 | 4 |
- 国際Aマッチ得点記録**
スコアと結果はルーマニアのゴール数を先に示し、スコア欄はガルカの各ゴール後のスコアを示す。
ゴール | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1996年4月24日 | スタディオヌル・ステアウア、ブカレスト、ルーマニア | グルジア | 5-0 | 5-0 | 親善試合 |
2. | 1996年8月31日 | スタディオヌル・ステアウア、ブカレスト、ルーマニア | リトアニア | 3-0 | 3-0 | 1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
3. | 1997年8月20日 | スタディオヌル・ステアウア、ブカレスト、ルーマニア | マケドニア | 2-0 | 4-2 | 1998 FIFAワールドカップ予選 |
4. | 1997年9月10日 | スタディオヌル・ステアウア、ブカレスト、ルーマニア | アイスランド | 3-0 | 4-0 | 1998 FIFAワールドカップ予選 |
4.2. 指導者記録
ガルカの監督としての成績は以下の通りである。
- 監督成績**
2025年1月25日現在
チーム | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合数 | 勝利 | 引き分け | 敗戦 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 勝率 | |||
ルーマニアU17 | 2013年8月20日 | 2014年6月1日 | 13 | 5 | 5 | 3 | 17 | 10 | +7 | 38.46% |
FCSB | 2014年6月1日 | 2015年6月1日 | 58 | 37 | 8 | 13 | 110 | 53 | +57 | 63.79% |
エスパニョール | 2015年12月14日 | 2016年6月1日 | 26 | 8 | 5 | 13 | 28 | 55 | -27 | 30.77% |
アル・タアーウン | 2016年10月16日 | 2017年3月20日 | 21 | 10 | 3 | 8 | 23 | 24 | -1 | 47.62% |
アル・フェイハ | 2017年5月20日 | 2017年11月7日 | 18 | 3 | 7 | 8 | 3 | 7 | -4 | 16.67% |
ヴェイレBK | 2019年3月6日 | 2021年6月30日 | 82 | 36 | 23 | 23 | 139 | 107 | +32 | 43.90% |
アル・ハゼム | 2021年12月6日 | 2022年2月21日 | 9 | 1 | 0 | 8 | 6 | 11 | -5 | 11.11% |
ラドミアク・ラドム | 2023年4月16日 | 2023年11月27日 | 22 | 8 | 5 | 9 | 26 | 29 | -3 | 36.36% |
ウニベルシタテア・クライオバ | 2024年4月17日 | 2025年1月28日 | 35 | 16 | 11 | 8 | 55 | 37 | +18 | 45.71% |
合計 | 284 | 124 | 67 | 93 | 407 | 333 | +74 | 43.66% |
5. 受賞歴と功績
5.1. 選手時代の受賞歴
- プログレスル・ブカレスト**
- FCステアウア・ブカレスト**
- RCDエスパニョール**
5.2. 指導者時代の受賞歴
- FCステアウア・ブカレスト**
- ヴェイレBK**
6. エピソード
- 1996年以来、スペインのクラブでプレーし続けたため、ガルカ自身もスペインの市民権取得を打診したことがある。彼の3人の子供はスペインの市民権を保持している。
- RCDエスパニョール在籍時には、チェルシーFCやマンチェスター・ユナイテッド、ACFフィオレンティーナといった主要クラブから関心を持たれていた。
- ビジャレアルCFへの移籍は、当時ビジャレアルに在籍していた同胞のジカ・クライオベアヌの存在が後押ししたという。ビジャレアル在籍中、ガルカはクライオベアヌの隣の家を借りていた。