1. 概要
中国の競泳選手である沈鐸(沈铎Shēn Duō中国語)は、自由形短距離を専門とする。1997年6月9日生まれ。2014年には、南京ユースオリンピックとアジア競技大会という二つの主要大会で合計9個の金メダルを獲得し、その才能を世界に示した。特に、3つの世界ジュニア記録(100m自由形、混合400m自由形リレー、女子400mメドレーリレー)を保持する有望な選手として知られる。しかし、2018年のアジア競技大会では、韓国人選手への暴行疑惑で物議を醸した。
2. 幼少期と背景
沈鐸は1997年6月9日に中国江蘇省溧陽市で生まれた。身長は1.81 m、体重は72 kgである。13歳の時、当時のヘッドコーチであるロン・ターナーによって江蘇省水泳チームに昇格し、中国を代表する若手水泳選手の一人へと成長を遂げた。
3. 競技キャリア
沈鐸は、ジュニア時代から国際舞台で目覚ましい活躍を見せ、ユースオリンピックやアジア競技大会、世界水泳選手権で数々のメダルを獲得した。
3.1. ジュニア時代とブレイクスルー
中国の南京市で2014年夏季ユースオリンピックが開催された際、沈鐸は地元での大会で水泳競技において金メダル5個を獲得し、3つの世界ジュニア記録を樹立する快挙を達成した。
- 混合4×100m自由形リレーでは、中国チームの一員として3分27秒02の記録を打ち立て、世界ジュニア記録を更新した。
- また、女子4×100mメドレーリレーでも4分03秒58を記録し、新たな世界ジュニア記録を樹立した。
- 2日後には、女子100m自由形で53秒84という記録を叩き出し、これも世界ジュニア記録を更新しただけでなく、当時の世界ランキングで13位に浮上するほどの躍進を見せた。
- 8月20日には、女子200m自由形で自己ベストとなる1分56秒12をマークし、この大会で4つ目の金メダルを手にした。
- 女子4×100m自由形リレーでは、自身の泳ぎで53秒59という驚異的なスプリットタイムを記録し、チームの3分41秒19での優勝に貢献した。
これらのユースオリンピックでの目覚ましい成功と、主要大会での合計6個の金メダル獲得の功績により、沈鐸は2015年ローレウス世界スポーツ賞の「ブレイクスルー・オブ・ザ・イヤー」部門にノミネートされた。
3.2. アジア競技大会での功績
2014年仁川アジア競技大会では、さらに4つの金メダルを獲得し、自身の功績を積み重ねた。
- 大会初日、女子4×100m自由形リレーで第2泳者として53秒58のスプリットタイムを記録し、中国チームの3分37秒25での勝利に大きく貢献した。
- 女子100m自由形では、2012年オリンピック銅メダリストの唐奕を0.08秒差で抑え、54秒37で金メダルを獲得した。
- 大会3日目には、女子4×200m自由形リレーでアンカーを務め、2分00秒60のスプリットタイムでチームを7分55秒17の勝利に導いた。
- 女子200m自由形では、1分57秒66の記録で他を寄せ付けず、この大会で4つ目の金メダルを獲得した。
2018年ジャカルタ・パレンバンアジア競技大会では、女子4×200m自由形リレーで金メダルを獲得した。
3.3. 世界選手権での功績
沈鐸はFINA世界水泳選手権においても優れた成績を収めている。
- 2015年カザンで開催された世界水泳選手権(長水路)では、女子4×200m自由形リレーで合計7分49秒10を記録し、銅メダルを獲得した。
- さらに、女子4×100mメドレーリレーでは、傅園慧、史婧琳、陸瑩と共にチームを組み、自身が自由形のアンカーとして53秒00のスプリットタイムを記録し、3分54秒41で金メダルに輝いた。この記録は、2009年に中国チームが樹立した大会記録からわずか2秒強の差であった。
- 2017年ブダペストで開催された世界水泳選手権(長水路)では、女子4×200m自由形リレーで銀メダルを獲得した。
- 2014年ドーハで開催された世界水泳選手権(短水路)では、女子4×200m自由形リレーで銀メダルを獲得した。
4. 自己ベスト記録
| 種目 | 記録 | 大会 | 日付 |
|---|---|---|---|
| 100m自由形 | 53秒84 | 2014年夏季ユースオリンピック | 2014年8月18日 |
| 200m自由形 | 1分56秒12 | 2014年夏季ユースオリンピック | 2014年8月20日 |
5. 論争
2018年アジア競技大会において、沈鐸は韓国の選手に対する暴行疑惑で物議を醸した。大韓体育会は8月23日に発生したとされるこの事件について、アジアオリンピック評議会に対し調査を正式に要請した。
大韓体育会の主張によると、韓国人競泳選手の金恵珍(김혜진キム・ヘジン韓国語)が沈鐸の前を泳いでいた際、意図せず沈鐸の胸を蹴ってしまったという。金恵珍は直ちに謝罪したが、沈鐸は金恵珍をプールのレーンエンドまで追いかけ、足首を掴んで水中に引きずり込んだ後、腹部を2度蹴ったとされている。