1. 経歴
ジョスリン・アングロマのサッカー選手としてのキャリアは、幼少期から始まり、フランス、イタリア、スペインのトップクラブで輝かしい功績を残した。
1.1. 幼少期とユース時代
ジョスリン・アングロマは1965年8月7日にフランス海外県グアドループのレザビームで生まれた。幼少期よりサッカーに親しみ、地元のクラブであるエトワール・モルヌ・ア・ローのユースチームでサッカーを始めた。身長は179 cm、体重は71 kgである。
1.2. クラブキャリア
アングロマはフランスのクラブでプロとしてのキャリアをスタートさせ、その後イタリア、スペインの主要クラブで活躍し、多くのタイトルを獲得した。
1.2.1. フランスでの初期キャリア
1985年、スタッド・レンヌでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、2シーズンで公式戦37試合に出場し1得点を記録した。1987年にはリールに移籍し、3シーズンで92試合に出場し13得点を挙げた。1990-91シーズンはパリ・サンジェルマンでプレーし、リーグ戦35試合に出場し6得点を記録した。
1.2.2. オリンピック・マルセイユ
1991-92シーズンにオリンピック・マルセイユに加入。会長のベルナール・タピが彼の獲得を強く望んだとされる。マルセイユでは1991年から1994年までの3シーズンにわたり、公式戦103試合に出場し4得点を記録した。加入初年度の1991-92シーズンにはディビジョン1を制覇。翌1992-93シーズンにはバジール・ボリやマルセル・デサイーらと共に強固なディフェンス陣を形成し、ACミランを破ってUEFAチャンピオンズリーグ優勝を果たした。しかし、1993-94シーズンにチームが八百長事件に関与したことが発覚し、1992-93シーズンのリーグ優勝は剥奪され、クラブは翌シーズンにディビジョン2への降格処分を受けた。また、UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAスーパーカップ、インターコンチネンタルカップへの出場資格も剥奪されることとなった。
1.2.3. イタリアのクラブ (トリノ、インテル・ミラノ)
マルセイユの降格に伴い、1994-95シーズンにセリエAのトリノに移籍した。ここではマルセイユ時代のチームメイトであったアベディ・ペレと再び共演。ネド・ソネッティ監督の戦術にフィットし、好調なプレーを見せた。1995年1月25日のトリノダービーではユヴェントス相手に決勝ゴールを挙げた。トリノでは2シーズンで公式戦61試合に出場し8得点を記録したが、1995-96シーズンにはチームが16位に終わりセリエBに降格した。
トリノのセリエB降格を受け、1996-97シーズンには同じセリエAのインテル・ミラノに移籍。このシーズン、アングロマはレギュラーとして公式戦46試合に出場し3得点を挙げた。インテルはセリエAで3位、コッパ・イタリアでは準決勝に進出した。また、UEFAカップでは決勝に進出したが、PK戦の末に敗れ準優勝に終わった。
1.2.4. バレンシアCF
1997-98シーズンにスペイン・ラ・リーガのバレンシアへ移籍し、キャリアの晩年を過ごした。バレンシアでは2002年まで5シーズンにわたりプレーし、公式戦177試合出場で8得点を記録した。
バレンシアでの主な業績は以下の通りである。
- 1998-99シーズンのコパ・デル・レイで優勝。
- 1999年のスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝。
- 1998年のUEFAインタートトカップで優勝。
- 1999-2000シーズンと2000-01シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで2年連続準優勝。
- 2001-02シーズンにはラ・リーガで優勝を果たした。
2001-02シーズンは出場機会がほとんどなかったものの、リーグ優勝を経験し、このシーズンをもってプロサッカー選手としての現役生活を引退した。
1.3. 代表キャリア
アングロマはフランス代表として主要な国際大会に出場した後、引退を経て故郷グアドループの代表チームで活躍を見せた。
1.3.1. フランスU-21およびA代表
ジョスリン・アングロマはフランスU-21サッカー代表チームの一員として1988年のUEFA U-21欧州選手権に出場し、優勝を果たした。
フランスA代表としては、1990年10月13日のUEFA欧州選手権1992予選、チェコスロバキア戦で国際Aマッチデビューを飾った。その後、1990年から1996年にかけてフランス代表として37試合に出場し、1得点を記録した。アングロマはUEFA欧州選手権1992とUEFA欧州選手権1996のフランス代表メンバーにも選出され、両大会に出場した。特にUEFA欧州選手権1996では、チームは準決勝に進出した。
1.3.2. グアドループ代表での復帰
フランス代表引退から10年後の2006年、アングロマは現役を引退していたが、自身の故郷であるグアドループ代表として再びプレーすることを決意した。グアドループサッカー協会はFIFAに非加盟であるため、FIFAの規定(複数の国籍を持つ選手が異なる国の代表としてプレーすることを制限する規則)が適用されず、彼はグアドループ代表としてプレーすることが可能であった。この復帰後、アングロマは本来の右サイドバックではなく、ミッドフィールダーのプレイメーカーとしてプレーした。
グアドループ代表として、彼は2006年のカリブカップ予選でドミニカ共和国との試合で復帰後初の国際試合出場と得点を記録した。2007年のカリブカップ本戦では4位に入賞し、チームのCONCACAFゴールドカップ初本戦出場に貢献した。
2007 CONCACAFゴールドカップ本戦では、アングロマは4試合に出場し3得点を挙げる活躍を見せた。グループステージでは格上のカナダやホンジュラスを破る原動力となり、チームは史上初の準決勝進出という快挙を達成した。彼はグアドループ代表として通算14試合に出場し、4得点を記録している。
2. 指導者キャリア
選手引退後、ジョスリン・アングロマは指導者の道に進み、クラブチームやグアドループ代表チームで監督を務めている。
2.1. クラブ監督
選手引退後、アングロマは自身のユース時代を過ごしたグアドループの地域クラブチーム、ル・ロイヤル・ド・モルヌ・ア・ローの監督として指導者キャリアを開始した。2009年から2015年までの6年間チームを率い、2014年にはグアドループカップで準優勝、2015年には同大会で優勝を果たした。
2.2. 代表監督
2017年12月、ジョスリン・アングロマはグアドループ代表チームの監督に任命された。彼の指揮の下、グアドループ代表は数々の成果を上げた。
- CONCACAFネーションズリーグBへの昇格。
- CONCACAFネーションズリーグAへの昇格。
- 2021年と2023年のCONCACAFゴールドカップ本戦に出場。特に2023年大会のグループステージ、キューバ戦では4-1の快勝を収め、2009年大会以来14年ぶりのゴールドカップ本戦での勝利を導いた。しかし、最終戦でグアテマラに2-3で敗れ、14年ぶりの準々決勝進出は惜しくも逃した。
3. 私生活
ジョスリン・アングロマの息子であるヨハン・アングロマもサッカー選手であり、グアドループの複数のユースチームでプレーしている。2008年の14歳以下国内カップでは、グアドループU-14サッカー代表チームの一員であった。
4. 統計
ジョスリン・アングロマの選手および監督としてのキャリアに関する統計データを以下に示す。
4.1. クラブ統計
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 大陸大会 | 合計 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
スタッド・レンヌ | 1985-86 | 6 | 0 | - | - | 6 | 0 | |||
1986-87 | 31 | 1 | - | - | 31 | 1 | ||||
合計 | 37 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 37 | 1 | ||
リール | 1987-88 | 32 | 3 | - | - | 32 | 3 | |||
1988-89 | 26 | 3 | - | - | 26 | 3 | ||||
1989-90 | 34 | 7 | - | - | 34 | 7 | ||||
合計 | 92 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 92 | 13 | ||
PSG | 1990-91 | 35 | 6 | - | - | 35 | 6 | |||
マルセイユ | 1991-92 | 32 | 2 | - | 4 | 1 | 36 | 1 | ||
1992-93 | 31 | 1 | 2 | 0 | 9 | 0 | 42 | 1 | ||
1993-94 | 23 | 0 | 2 | 0 | - | 25 | 0 | |||
合計 | 86 | 3 | 4 | 0 | 13 | 1 | 103 | 4 | ||
トリノ | 1994-95 | 28 | 4 | 1 | 1 | - | 29 | 5 | ||
1995-96 | 31 | 3 | 1 | 0 | - | 32 | 3 | |||
合計 | 59 | 7 | 2 | 1 | 0 | 0 | 61 | 8 | ||
インテル・ミラノ | 1996-97 | 30 | 1 | 6 | 0 | 10 | 2 | 46 | 3 | |
バレンシア | 1997-98 | 32 | 3 | 5 | 1 | - | 37 | 4 | ||
1998-99 | 29 | 1 | 6 | 1 | 7 | 0 | 42 | 2 | ||
1999-00 | 30 | 1 | 2 | 0 | 16 | 0 | 48 | 1 | ||
2000-01 | 27 | 0 | 1 | 0 | 18 | 1 | 46 | 1 | ||
2001-02 | 3 | 0 | - | 1 | 0 | 4 | 0 | |||
合計 | 121 | 5 | 14 | 2 | 42 | 1 | 177 | 8 | ||
キャリア通算 | 460 | 36 | 26 | 3 | 65 | 4 | 551 | 43 |
4.2. 代表統計
ジョスリン・アングロマの国際試合での得点記録は以下の通りである。
- フランス代表での得点:
- 1996年6月5日、スタッド・リール=メトロポール(フランス、ヴィルヌーヴ=ダスク)でのアルメニアとの親善試合で1得点(試合結果は2-0)。
- グアドループ代表での得点:
- 2006年11月24日、Bourda(ガイアナ、ジョージタウン)でのドミニカ共和国との2007 カリブカップで1得点(試合結果は3-0)。
- 2007年1月14日、マニー・ラムジョン・スタジアム(トリニダード・トバゴ、マラベラ)でのキューバとの2007 カリブカップで1得点(試合結果は2-1)。
- 2007年6月9日、マイアミ・オレンジボウル(アメリカ合衆国、マイアミ)でのカナダとの2007 CONCACAFゴールドカップで1得点(試合結果は2-1)。
- 2007年6月17日、リライアント・スタジアム(アメリカ合衆国、ヒューストン)でのホンジュラスとの2007 CONCACAFゴールドカップで1得点(試合結果は2-1)。
4.3. 監督統計
チーム | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合数 | 勝利数 | 引き分け数 | 敗北数 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 勝利% | |||
ル・ロイヤル・ド・モルヌ・ア・ロー | 2009 | 2015 | 209 | 100 | 69 | 40 | 282 | 158 | +124 | 47.85 |
グアドループ | 2017 | 現任 | 49 | 26 | 4 | 19 | 87 | 47 | +40 | 53.06 |
キャリア通算 | 258 | 126 | 73 | 59 | 369 | 205 | +164 | 48.84 |
5. 栄誉と成果
ジョスリン・アングロマが選手および監督として獲得した主要なチームタイトルと個人タイトルを以下に列挙する。
5.1. クラブタイトル
- オリンピック・マルセイユ
- ディビジョン1: 1991-92
- UEFAチャンピオンズリーグ: 1992-93
- インテル・ミラノ
- UEFAカップ準優勝: 1996-97
- バレンシア
- ラ・リーガ: 2001-02
- コパ・デル・レイ: 1998-99
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ: 1999
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝: 1999-2000、2000-01
- UEFAインタートトカップ: 1998
5.2. 代表タイトル
- フランスU-21
- UEFA U-21欧州選手権: 1988
- フランス
- UEFA欧州選手権: 準決勝進出 (1996)
- グアドループ
- CONCACAFゴールドカップ: 準決勝進出 (2007)
- カリブカップ: 4位 (2007)
5.3. 個人タイトル
- UEFA欧州選手権チームオブザトーナメント: 1992
- ESM年間ベストイレブン: 1996-97、1999-2000、2000-01
- CONCACAFゴールドカップオールトーナメントチーム (佳作): 2007