1. 概要
セバスティアーノ・ネーラは、1961年3月13日にイタリアのリグーリア州ラパッロで生まれた元プロサッカー選手です。主にディフェンダーとしてプレーし、そのキャリアの大半をASローマで過ごしました。彼は優れたクロス能力を持つ左足、そしてスピード、スタミナ、粘り強さ、身体的な強さ、高い運動量によって攻撃的フルバックとしての地位を確立しました。また、守備のあらゆる位置に対応できる汎用性と、かつてはセントラルミッドフィールダーも務めた経験を持つ多才な選手でした。
ネーラはジェノアでプロキャリアをスタートさせ、その後ASローマでセリエA優勝1回、コッパ・イタリア優勝3回という輝かしい成果を収めました。SSCナポリで2シーズンを過ごした後、1994年に引退しました。イタリア代表としては5試合に出場し、1984年ロサンゼルスオリンピックと1986 FIFAワールドカップに参加しました。引退後は、サッカー解説者としてメディアで活動しており、2013年にはASローマ殿堂入りを果たしました。
2. 生い立ちと初期キャリア
2.1. 生誕と幼少期
セバスティアーノ・ネーラは1961年3月13日、イタリアのリグーリア州ラパッロに生まれました。幼少期には主にセントラルミッドフィールダーとしてプレーしていました。
2.2. ユースキャリアと成長
ネーラはジェノアでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせました。彼はユース時代にセントラルミッドフィールダーとしてプレーしていましたが、プロとしての成長過程でディフェンダーへと転向し、その後のキャリアを通じて守備の要として活躍することになります。
3. クラブキャリア
ネーラのプロクラブキャリアは、主にジェノア、ASローマ、そしてSSCナポリでの活動に特徴づけられます。
3.1. ジェノア
ネーラはジェノアでプロデビューを果たしました。ジェノアでの活動は1978-79シーズンから1980-81シーズンまでの3シーズンにわたり、リーグ戦で合計70試合に出場し、6得点を記録しました。
3.2. ASローマ
1981年、ネーラはセリエAのローマへ移籍しました。ASローマでのデビュー戦は1981年9月13日のアヴェリーノ戦で、0対0の引き分けでした。彼はこのクラブでキャリアの黄金期を迎え、1982-83シーズンにはセリエA優勝に貢献しました。このシーズン、彼はリーグ戦で28試合に出場しました。また、コッパ・イタリアでも1983-84、1985-86、1990-91シーズンと3度の優勝を経験しました。
1987年には膝に重傷を負い、約1年間の離脱を余儀なくされました。この怪我からの復帰を応援するため、歌手のアントネッロ・ヴェンディッティは1988年のアルバム『In questo mondo di ladri』に収録された楽曲「Correndo correndo」をネーラに捧げました。ASローマでは1981年から1992年まで11シーズンにわたりプレーし、リーグ戦で281試合に出場し、16得点を挙げました。
3.3. SSCナポリと引退
1992年、ネーラはASローマを離れ、ナポリに移籍しました。ナポリでは1992-93シーズンにリーグ戦23試合、1993-94シーズンに11試合に出場しましたが、得点はありませんでした。彼は1993-94シーズンを最後に現役を引退しました。
彼のプロキャリアにおけるセリエA総出場試合数は315試合であり、全リーグ戦(ジェノア時代のセリエBを含む)での総出場試合数は385試合、総得点数は22でした。
4. 代表キャリア
ネーラはASローマでの活躍が評価され、イタリア代表に招集されました。
4.1. 代表デビューと国際大会出場
イタリア代表でのデビューは1984年5月22日の西ドイツ戦でした。1984年から1987年の間に、彼はイタリア代表として合計5試合に出場しました。
国際大会では、1986 FIFAワールドカップのイタリア代表メンバーに選出されましたが、本大会での出場機会はありませんでした。イタリアはこの大会でベスト16に進出しました。また、1984年ロサンゼルスオリンピックにも出場し、3試合に貢献しました。イタリアは同大会で4位という成績を収めています。
5. プレースタイルと特徴
5.1. 守備的汎用性と攻撃貢献
ネーラは頑固で勤勉な左利きのディフェンダーとして知られていました。彼は主に攻撃的なフルバックとしてプレーし、その左足からのクロス能力、スピード、スタミナ、粘り強さ、身体的な強さ、そして高い運動量が特徴でした。これらの能力により、彼はサイドを駆け上がって攻撃に貢献するだけでなく、素早く守備に戻り相手の攻撃を阻止することができました。
また、ネーラは非常に多才で、ディフェンダーラインであればサイドバック(左右両サイド)だけでなく、センターバックとしてもプレーできる能力を持っていました。さらに、ユース時代に経験したように、時にはセントラルミッドフィールダーとしても起用されることがありました。
6. キャリア成績
ネーラ選手のプロキャリアにおけるリーグ戦の成績は以下の通りです。
シーズン | クラブ | リーグ戦出場 | リーグ戦得点 |
---|---|---|---|
1978-79 | ジェノア | 6 | 0 |
1979-80 | 28 | 2 | |
1980-81 | 36 | 4 | |
1981-82 | ローマ | 30 | 2 |
1982-83 | 28 | 2 | |
1983-84 | 27 | 2 | |
1984-85 | 20 | 1 | |
1985-86 | 28 | 2 | |
1986-87 | 25 | 3 | |
1987-88 | 6 | 0 | |
1988-89 | 32 | 2 | |
1989-90 | 30 | 1 | |
1990-91 | 28 | 1 | |
1991-92 | 27 | 0 | |
1992-93 | ナポリ | 23 | 0 |
1993-94 | 11 | 0 | |
通算 | 385 | 22 |
7. 栄誉
ネーラは現役生活において、クラブと個人で数々のタイトルを獲得しました。
7.1. クラブタイトル
- セリエA:
- ASローマ: 1982-83
- コッパ・イタリア:
- ASローマ: 1983-84, 1985-86, 1990-91
7.2. 個人タイトル
- セリエA年間ベストイレブン: 1983
- ASローマ殿堂: 2013
8. 引退後の活動
8.1. 解説業とメディア活動
現役引退後、セバスティアーノ・ネーラは様々な国内および衛星放送チャンネルでサッカー解説者として活動しています。現在はMediaset Premiumで解説者を務めています。
9. 遺産と評価
9.1. 文化的言及
ネーラは、その輝かしいキャリアと人間的な魅力から、サッカー界のみならず文化的な側面でも言及されています。特に、1987年に負った膝の重傷からの復帰を応援するため、イタリアの著名な歌手アントネッロ・ヴェンディッティが、自身の1988年のアルバム『In questo mondo di ladri』に収録された楽曲「Correndo correndo」をネーラに献呈したことは、彼の文化的影響力を示す象徴的なエピソードとして語り継がれています。この献呈は、ネーラが単なる選手としてだけでなく、多くの人々に影響を与える存在であったことを示しています。